第4話 灰と書類で埋もれた過去と新たな世界
倉庫兼工房の奥に並んだ生産設備の前で、いっそ爽やかな気分で天井を見上げる。
道具の使い方、むしろ名前もわかりません。
全くわからないです。
よしんばここに並んでるものでなにか作れたとしても、ちょっと大掛かりな工作くらいだろう。だが、さっき見たような見事なものは到底無理。
「むしろ、そんなことができたらサラリーマンじゃなくて他の仕事できたねえ」
「サラリーマン? なんです?」
「いや、うん。なんでもない」
「そもそも酒を飲んで工具を扱うのは危ない──」
あれ? 酔っ払った感覚がもうない。
そういえば、酒を飲んだというのに気分が良くなっただけで、身体がふらつく感じも手元が狂う感じもなかった。
それどころか、もう既に酔いが覚めたんじゃないかと思うほどだ。
「酔いが覚めてる」
「さっきのなんて飲んだうちに入りませんからね。これなら万全でしょう! 久しぶりになにか作ってみますか?」
「──なにか……」
もしもできるとして、何ができるんだ……?
というか、この体が本当に俺が操作していたTONKACHIなら、そもそも何ができたんだっけ?構成は・・・?
キャラの構成を思い出してみる。
鍛冶、細工、付呪、裁縫、木工、付呪、武具学……それから最低限の魔法。
完全な生産特化型キャラだったなあ。
あとは、ソウルオーブにスキル移してた覚えがあるんだけど……。
「それがわかったからと言って、俺がなんか作れるかとは関係ないよねぇ」
「懐かしいですねえ。こうやって突然棒立ちになって虚空を見上げたまま……主は彫像のようにボッ立ちでここに何日も……」
「俺、そんなおかしな感じだったの?」
「うーん、そうですねえ。一言でいうと、中身がどっかに抜けてる感じでしたねえ。アンデッドだってもっとソウルの入った顔をしてるくらいには」
中身が抜けてるのは合ってるから、まあ、近いのか……?
「俺、正直言って、こういうのでなにか作るようなことできないんだけど……。なにか作れるのなんて、料理くらい」
「主、戻ってきてからずっとそれですねえ。できないできないって。ちょっとショックを受けたら思い出しますかね? 頭をぶつけてみたり」
困り顔でワイン瓶を片手に持つ彼女に心底ビビリながら質問する。
「ワイン瓶でいく感じ? それは無理かな。もっとなにか忘れそう。呼吸とか」
「息もできないくらい私に夢中ですか?」
「夢中じゃなくて臨終だね。それ」
道具を一つ手にとって、じーっと眺める。
これもさっきの文字を読んだときみたいに思い出す感じにならないもんだろうか?
思い出すとも思いつくとも違う、あの感覚。
銀色の丸い素材を手にとってみる。
銀色。銀。シルバー。
違う、これはライオンシルバーだ。獅子銀。
素材特性は武器と防具なら雷属性付与と耐久度上昇。宝飾品の場合は──
作るものはバレッタにしよう。
装飾部はライオンシルバーと相性のいい──
ハッと顔をあげると、空のワイン瓶をいくつも並べたま機嫌良さそうにグラスを傾けている彼女の姿があった。
手元には、完成したバレッタ。
作業台の周辺を見ると、自分の作業工程を思い出す。
確かに、これは俺が作った。だが、なんでこんなことができるのか……。本当に俺はキャラクターに転生でもしたというんだろうか。
「ほら、言ったじゃないですか! 主は名工だって!」
バレッタを目線のところに持ち上げて、じっと見つめる。
新品そのもので、輝く宝石からは幸運の力を感じる。素材効果だ。付呪はされていない。おそらくいくつもの付呪に耐えられるだけの強度が残っている。
上品で慎ましい佇まいでありながら、配された宝石の輝きは眩く、繊細な彫金は室内の光を反射するたびに優美な輝きを見せる。
特にアクセサリーに詳しいわけでもない俺でもわかる。
綺麗だ。
「こんなもの、作れるのか──」
身体が自然に動くのに任せて、机の上にある素材の切れ端や金属粉を掃除して近場のゴミ箱に入れながら、ぼんやりと実感をする。
革手袋を外してバレッタを裏返すと、そこにはTONKACHIと銘が入っていた。
くるくると手の中で回転させて、その美しい細工品を何度も何度も確かめる。
「そうか……。俺が、これを……」
「主、本当に様子がおかしいです……」
「──ちょっと整理しないと、説明が難しそうだ」
獅子銀の宝石バレッタを置き、額に手を当てて近場の椅子に腰掛ける。
「大丈夫ですか? その、戻って来るまでになにかあったりしたんですか……?」
「……いや、ちょっと疲れてて」
俺はこの体の持ち主じゃない、なんて言ってしまったらどうなるんだろうか?
いや? むしろこの体の元の持ち主は?
俺の作ったキャラクターが実は異世界にいたなんてそもそもあり得ないが、俺の意識が異世界の別人の中に入っているなんてもっとあり得ない。
この娘は俺が、彼女が慕うこの体の持ち主じゃないと知ったら?──命が危うい。
あの様子じゃ、この世界から戻る前に死にかねない。
モノを略奪したならまだしも、意識を上書きしたなんて殺したも同然だ。
ドアも床も砕いた彼女の爪を思い出す。
俺は、主の仇ということになってしまうのではないのか?
殺されるかもしれない。
早く戻らなくては、戻ってまた……。
──また、あの刑務所みたいな気分のところで働くのか……。
殺されるかもしれない。
しかし、戻った後の日常が頭をよぎる。
胸元に湧き上がる不安と不快感。心臓が締め付けられるような痛み。
薬とカフェインでなんとか身体を動かしているゾンビのような生活。
不安と切迫感で無理やり誤魔化して仕事をし、それで稼いだ金も右から左で家賃と食費に消えていく、灰色の生活。
そしてこの身体で今しがた作った美しいモノへの感動。このささやかだが心地よい達成感。
どっちが幸せだろう?
あんな生活に戻りたいのか? 俺は──
「やっぱり主の中身は、別の人になってるんですね」
顔をあげて彼女の方を見る。
彼女は顔を伏せていて表情すら見えない。
背中にどっと汗が滲み、血の気が引いていくのがわかる。
「俺は……──」
「初めて会ったときは、もっと無表情で。それから文字を頭の上に浮かべていて、今みたいにうろたえたり、考え込んだりしてませんでした」
懐かしむような言葉が出てきて、俺は驚いた。
頭の上にチャット発言を表示するのは、確かにインフィニティ・オンラインのシステムと同じだ。
無表情というのは良くわからないが、エモートを出していないときは無表情といえば無表情かもしれない。
動揺しながらも、今言わなければならないだろう言葉を、迷いながら吐き出す。
「俺は──……多分、君が初めて会った時の、この身体の中身ではあるんだが……本人とは違う──と、思う」
「そうかもしれませんね……──」
彼女の手元は震えている。表情は変わらず、長い髪の毛に遮られて見えない。
心臓が暴れる。
この身体で死ぬとどうなるんだ?
彼女の次の言葉次第で、運命が決まるかもしれない。
冷や汗が額から流れるのを感じる。
「私は、今の主のほうがいいと思っています」
二度目の驚きで言葉が続かなかった。
「もしかしたら、あの時出会っていたらこんなふうにお酒を飲んだりできなかったかもしれません。きっと、これも、願いの結果なのかもしれません」
「願い?」
「……──秘密です。乙女の秘密ですよ? 教えません」
うーん……とりあえず助かったらしい、ような気がする。
そう思えた瞬間に、どっと疲れが押し寄せてきた。
緊張の糸が切れて肩の力が抜け、へたりこみそうになる。
「あー、とりあえず。疲れた。この身体ってちゃんと疲れるんだな。まあ、そうか。これが今の俺の身体なんだもんなあ」
ぶつぶつと呟きながら作業スペースを離れて、バレッタをしげしげと眺める。
「こういうの作れるの、いいな。なんか、前の身体ではずーっと忘れてた気分を思い出したよ」
「気分、ですか?」
「……達成感? かな」
「それ、どうされるんですか?」
不意に問いかけられて、答えに窮する。
作れたのはいいが、どうしたもんか。
ふと顔を上げて彼女の炎色の髪を見る。
「よかったら、要らない?」
「──ぜひください。大切にします」
「え、そんな。いいよ。多分また作れるし」
「これは”イグニカの願いのバレッタ”です」
イグニカ。イグニカ……?
なんか覚えがあるな。なんだっけ。
あ。
「ドラゴノイドのベンダードール……」
「はい。イグニカです。はじめまして、主。──そして、おかえりなさい」
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