第2話 そこは鍛冶屋で彼はエルフになっていた

 見知らぬ場所で目を覚まして、眼の前でドアが粉砕されて……。

 それからいまは、この家の人らしき女性に肩を掴まれて、洗濯物かなにかのようにぐらんぐらん揺らされている。

 掴みかかられて怒られてる感じじゃないからまだいいが、何が起きてるのかさっぱりわからん!


「200年もどこをぶらぶらしてたんですか!? 主!!」


 混乱しっぱなしの頭にさらなる情報が叩き込まれた。

 いきなり途方もないことを言われている! 200年なんて歴史の話でしか聞いたことないぞ!


「三日三晩どころじゃなく七日七晩鍛冶場にいることなんて日常茶飯時でしたけど!? 200年も姿を消すなんて! 死んだかと思いましたよ!! 竜族のわたしじゃなかったら死んでますからね!? もう店の中すっからかんですよ!!」


「竜ぅ……? 店ぇ……?」

「酔ってますか、主?」

「待って、待って……。状況がわからなくて。ここどこですか……?」

「どこって、主の店で、主のお家ですよ?」


 心底不思議そうに、きょとんとした感じで彼女が問いかけてくる。

 これは説明が難航しそうだ。


「いや、見覚えがないというか、記憶にないというか……。とにかく、ちょっと待ってください」


 彼女が手を離してくれたおかげで動けるようになった俺は、散らばったドアの破片を避けて廊下に出る。

 廊下はそれほど広くない。

 突き当りに見える窓に駆け寄って外を見る。そこにあるのはオフィス街の風景とは程遠い、木漏れ日の森だ。

 まったくもって、見覚えがない。

 

 次はすぐそばにあったドアを適当に開けてみる。

 ここは倉庫のようで、無数の木箱がうず高く積み上げられていた。

 入ってすぐのところにあったのは樽。そこには傘かなにかのようにさしてあるのは剣や斧。部屋の奥にあるのは映画かなにかで見るような宝箱。

 剣? 斧? 宝箱? 普通そんなモンが家にあるか?


 ドアを適当にしめて、別のドアに走っていき、勢いよく開いて中を見る。

 眼の前には一枚板のカウンター。

 ちょうどこちらは内側らしく、カウンター下には何かがぎっしり詰まった袋や木箱、革か何かでできたバッグが所狭しと転がっている。

 カウンターから出て剣や斧、鎧や兜がまばらに並ぶ店のようなところを、呆然と歩きながら室内を見回す。


「なにか珍しいものでもあります? ご自分で建てたお店じゃないですか。主」

「覚えがないというか、ここがどこかも・・・」


クルッと振り返って、カウンターの内側に立っている彼女の方をみる。


 その瞬間に気づいた。

 なにかに似ている。

 見下ろし型の固定カメラで映された店内。

 何時間も何時間もかけて並べて配置したオブジェや布。

 無数に集めて分類して入れていたストック品。


 ゲーム画面の向こう側、趣味と現実逃避でやり続けていたインフィニティ・オンラインでの、自分のキャラクターの店。


「俺のハウスベンダー……? 俺の店?」

「ですから、先程からずっと言ってますよ。主の店ですって」


 ははあ、走馬灯とやらでゲームの世界を見てるんだろうか。


「もしかして、俺は死ぬ直前で、これは走馬灯とかいうやつ?」

「主は健康そのものですし、すぐ死ぬようには思えませんが……。天寿を全うするのはまだまだ先ですよ。長命種のエルフですし」


 自分の顔をなでてみる。

 もう何度目かもわからない違和感を覚えて、あちこち触ってみる。

 耳が、でかい。というか長い。


「耳が、なんかでかい」

「エルフの耳なんてそんなものですよ」


 改めて目の前の彼女を眺める。

 黒地のドレスのような服に黒い革ブーツ、白のフリルエプロンとヘッドドレス。確かにこんな服をベンダーに着せてた覚えがある。

 顔立ちは少女と女性の間ほどで、人間ならハタチ前かそこらに見える。

 そして、一番の特徴は炎色と紅色が入り交じる長い髪と、鋭い角。角?

 彼女の額の少し上から、確かに、青みがかった透明感のある黒い角がシャキーンと突き出している。


「それは? その、頭の……」

「角です。我々の誇りたる角ですよ」


 俺は知っている。

 女性の身体的特徴について迂闊にものを言うと、まずい。

 これは世界が違ったとしても同じはずだ。


「──えーと、綺麗な色ですね?」


 彼女は顔を真っ赤にして、頬に手を当ててくねくねしながら嬉しそうに答える。


「さ、触っちゃダメですからね。まだダメですから。ダメなんですからね。そういうのはもっと段階を踏んでから」


 あ、なんか怒ってはないけど、これはなんか変な方向に行きだした。

 とりあえずセーフだ。これ以上はいけない。話題を変えよう。


「それはそれとしてだけど……」


 何となく頭がはっきりしてくる。

 そして、残念なことに頭がむしろはっきりすればするほど、わけがわからないということがわかってきた。

 こんなときは深呼吸と水分補給。そうだ。


「何か飲み物とかあれば……。ちょっと落ち着きたいんだけども」

「私は店員であってメイドではないんですが、私はスーパー優秀なので、エヘヘヘ。もちろんどこにあるか知っていますよ!」


 壁に掛けてあるリュックサックに即座に手を突っ込んだ彼女は、サッと赤紫色の液体の入った瓶を取り出してみせる。


「ワインです!」


 ド直球にアルコールだ。飲み物ではあるが。


「そっかー、アルコールかあ」

「アルコー? ワインですよ。主がよく買ってきてたじゃないですか」


 彼女は呆れ混じりに答えながら俺の前にワインを置くと、グラスは~♪ と朗らかな口調で言いながらカウンター下を覗いている。

 そのワイン瓶を手にとってしげしげと眺める。

 シンプル極まりないもったりとしたフォルムの、深緑色のガラス瓶。

 中身は俺の知っているワインと似たような色。

 蓋はコルクだが、なんだかえらく雑に詰められている。

 ラベルをちらっと見ると、何らかの記号が書かれている。文字だ。


 ぼんやりと見ていると、思い出したように読めてくる。

 これはワインと書かれていて、こっちは伝統と自慢のと書かれていて、こっちはどこそこで作られたという内容だ。


 読める。読めるぞ?? なんでだ??

 一旦それを机に置いて、目頭を押さえて眉根を揉みほぐす。

 なんだ今の、知らないと思っていたけど思い出せたみたいな感覚は……。


 そこにトンッとグラスが並べられた。


「さあ、お酒です♪ おっさっけ~♪ あ、コルクを取らないと」


 いや、酒飲んでる場合か? と思いながら顔を上げる。

 その瞬間、ビュオッという風切り音がして、コトンという音が聞こえた。

 カウンターの上を見ると、寸断されたワイン瓶の首が転がっている。


 音のした方を見る。

 彼女が見惚れるほどいい笑顔でひらりと手を振って手刀を解いた。

 それから優雅にワイン瓶を捧げ持ち、グラスに注ぎはじめる。


 あ、そういう感じ?

 フィジカルが、その、とっても、すごい感じ? やっぱり?


 上部をスパッと斬られたワイン瓶から注がれるワイン。

 グラスになみなみと注がれたそれを差し出されても、これを飲むのはさすがにいろんな意味で勇気が要る。


「では、主の帰還に乾杯ということで!」

「え……帰還? まだわから──」

「ドラゴンを前に酒を我慢しろだなんて後生です! 酒こそ叡智の雫! 命の水! 酒が原因で死んだ仲間もいるんですよ!」


 彼女はコクッと喉を鳴らしてグラスの中身を飲み干し、美味しそうに真っ赤な舌をペロッと出して微笑む。


「ん~! 美味し♪ この鼻に抜ける香りと燃える吐息のような味わい♪ 生き返りますねぇ~♪」


 いや、酒飲んでる場合か? 今さっき朝だったよな? 会社は? 朝イチの仕事は? いや、とにかく仕事に行くのに飲酒ってわけにはいかないし、いまその前にここはどこなのかわからないし……。


 俺がぐるぐるぐるぐると益体もない思考で目をさまよわせている間に、彼女は二杯目を手酌で注いで、またクイッと飲み干してしまった。

 ぷはぁ~!と景気良く息をついて、ボッ!と口の端から火を漏らす。


 わあ、満面の笑み。こんなに美味しそうに飲む人見たことないや。

 眼の前でこうも嬉しそうに堂々と飲まれると、なにかこう、考えているのがバカバカしくなってくる。

 もういいか。とりあえず飲んでしまえ。

 夢ならどこかで覚めるだろう!






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