伝説の鍛冶師になりましたがスローライフでほのぼの暮らします
鍛冶屋おさふね
第1話 その社畜は灰色の生活に沈んでいた
「おばあさま。この広場のほこらはなあに?」
「このほこらはねえ、勇者様のための剣を祀るほこらなのよ」
勇者。それは人々の期待を背負い、人々を救うために送り出される戦士。
危険甚大な怪物を討伐するため、魔物の侵攻を食い止めるため、彼らは期待と憧れを背負って送り出される。
「剣の名前は”銀翼の閃光”。勇者ファーレンハイネ様の愛剣よ」
「ほこらに入れば、ぼくも勇者様になれるかなあ」
「ええ。紅竜様に認められればね」
木剣を持った男の子の頭を撫でながら、穏やかな顔の老婆は王国の西を指差す。
「夕日が沈む樹海の奥の、そのまた奥にまします、紅竜様の試練に打ち克つこと。そうすれば、勇者様にだってなれるかもしれない」
城壁の遥か向こうに輝く夕日は、水平線上に広がる樹海へと沈んでいく。
鎮守の竜が眠るという大樹海。
聖域として崇められるその森には、守護の竜と槌の巨人が眠ると言われている。
「勇者になるのならば、紅竜様に認められなくてはね。そのためには?」
「うがい! てあらい! はやね! はやおき!」
「はーい。よくできました。今日もおうちに帰ろうねえ」
少年の手を引く老婆が、整備された美しい街並みを歩いていく。
街のにぎわいが昼間のものから夕暮れのものに変わる。
家路につく人々は平穏と豊かさを謳歌している。
この祠に刻まれているのは感謝と祝いの言葉だ。
建国の祖ファーレンハイネが記した、人々の安寧を守った紅竜への感謝。
そしてその永遠の幸福を願う祝いの言葉。
物語はあの老婆が生まれる遥か昔にまで遡る。
しかし、その物語には知られていないもう一つの物語がある。
紅竜と国祖の佩剣を作った幻の鍛冶師の物語が。
◇◆◇
「灰沢君。今転送したメールの分さあ、お客さんから直してって言われてるんだよね。私もある程度対応してあるから。確認して修正してくれる?」
「確認します」
上司から転送されてきた客先からのメールたちを開き、リンクが張られているシステムから要求内容を確認していく。
まず機体の腕部分に当たる部品の細かなネジ穴に関する内容、こちらは別製品の納期に関する事項、こちらは他社の見積もりに関しての交渉内容。
まだ他にもある上に、一連の内容というわけではない。
途中まで対応しておいたという分は、具体的な回答のないオウム返しの確認メールや、明日までに回答しますとだけ返事してある状態だ。それも、夕方になって返事をしてある。
年かさの部長が荷物を片付け、上司が窓を締めたりゴミ箱片付けたりするのを横目に、俺はPCの画面を睨みつける。
同時に開いている見積書の内容と、商談の議事録を目で追って、頭の中で文言を捻り出しながら文章と数字を修正していく。
さっさと片付けた部長がお先に、と声を掛けてから部屋を出ていった。
それにちらりと目をやりながら挨拶し、作業を続ける。
視界の端で、上司がこちらを見下ろしているのが見える。
顔を見るともはや胃痛どころか耳鳴りがするが一応、目線を上げ、顎のあたりまでを見るだけ見る。特大のため息をつかれた。
それでも声を掛けられていないならまだマシだ。少なくとも手を止めなくて良い。
しかして、上司はこちらを見下ろしながら宣った。
「それ朝イチで出せるよね。あー、でも。あまり残業はね、困るんだよね」
吐き気がしてきた。
◇◆◇
「あー……。頭回んねえ。やってられるかよ。いったい何なんだよ!」
エナジードリンクを片手に、赤錆びた手すりに寄りかかりながら、誰もいなくなった社屋に向かって言ってみる。
返事などない。
そりゃそうだ。残ってるのはもう俺だけだ。
灰沢兼一。29歳。独身。
名前負けしない灰色の生活を送るいわゆる社畜の俺は、今日もいつものように、上司からの定時キャンセルキラーパスを処理しつつ残業をしている。
残業代が出るだけマシではある。
それでも残業代なぞ、このご時世では貰えばもらうほどいろんな所から嫌な顔をされるモンでしかない。労務からも上司からも罵倒寸前の嫌味を言われ、月末が近づくとどう誤魔化したもんかとメシも喉を通らなくなってくる。
そもそも残業への嫌味を言いつつ勝手に客先と約束して定時キャンセル&朝イチコンボしてくるのはダブルスタンダードってもんじゃないのか。
手すりに背中を預けて、デスクワークでなまった体を伸ばしながら、気だるい体から声を絞り出す。
「好きでやってるわけじゃねぇええ……!!───うわ!?」
ガンッだか、バンッだか、そんな音がして、一瞬の浮遊感のあとにぐるりと世界が回った。
振り回されるような感覚に戦慄して足をバタつかせる。
伸ばした手に触れるものもなく、ただ無防備に背中から転げ落ちる。
落ちた? 落ちてる? ──落ちてる!!?
そんな混乱と同時に、大量の風景がザザザァー!! と眼の前で流れていく。流れる風景はスローモーションとなって、目には入るがそれが何なのかを認識できない。
地上6階からの落下。
背中から倒れる姿勢での落下は即ち、頭部からの着地を意味する。そして、下はおそらくコンクリート。
その意味するところは明白だ。
スローモーションのようにビルの灯りや街並みが流れていく。
しかし、その流れる風景に見知らぬ風景のノイズが混じる。
火山から吹き出すマグマ。
風が吹き抜ける青々とした広大な草原。
大海原の先に見える島々。
鬱蒼とした森と、光の差し込む泉。
石造りの建物と木造の建物が入り交じる風景。
行ったことも見たこともない、ましてや暮らしたことなんてあるはずもない風景が混じりだす。
どこだ?なんだこの景色は?なにを見ているんだ俺。一体これは──?
空回る思考と加速する落下感の中で、意識が遠のいていく。
◇◆◇
「ウゥウウウウウワアァアアアーッ!!!」
叫びながら両手両足を思い切り振り回して、体にまとわりつくなにかを蹴散らして喉を振り絞って叫んだ。
ゴッ!!
その次の瞬間、したたかに頭をぶつけて再び悶絶してその場を左右に転がる。
「っ!! 痛ぇぇ!!」
涙目で頭をこすりながら目を開けると、やけに古臭い木の床材と白い土のような壁が目に入る。
落ちる恐怖でパニックになったままの頭でもわかる、見たことのない床と壁。
跳ねる心臓を落ち着かせるように服の胸元を握ると、知らない触り心地がする。ゴワゴワとした、毛羽立った感じの布だ。
息を荒く吸って吐いてを繰り返しながら立ちあがろうとして床についた手。そこに着けているグローブには全く見覚えもない。
膝を床についたときの感覚も全く知らない。感じたことがない履き心地のボトムスに、ブーツ。
フラフラと立ち上がって、後ろにたたらを踏んで、うろたえながら見上げた天井は黒く煤けている。
見回すと薄灰色とクリーム間の漆喰らしき建材の壁に、ランタンが引っかかっており頼りなく光っていた。
家じゃない。
会社でもない。
こんな建物は知らない。
俺の服じゃない。
こんな服着たこともない。
なんだ。
何が起きた。
なんだこれは。
「なんだこれ、どこだよここ」
「侵入者は排除します!!!!」
女性の声が響いて、ドアが吹き飛ぶ。というか、砕け散った。
ドアって砕けるものなんだな、と呑気な感想を抱いた瞬間に鱗に覆われた巨大な鉤爪が目の前にズドン! と振り下ろされる。
砕ける床板、飛び散る破片、それが頬に当たって少し頬が切れる。
今、あたったら死んでた。
っていうか、さっき死んだと思ったけど今のでも死んでた。
「わが主の部屋に忍び込んだ賊は、八つ裂きにしてアビスに投げ込んでくれるわ」
息ができないまま、どこかで見た動画のフクロウのように身を細くしてその場に固まっている俺。
切断バーナーでも稼働させているような音を鳴らしながら、入れ替わりに中に入ってくるハタチ前かそこらの女性。
ぱっちりした目と豊かな曲線、流れるような炎色の髪、真紅の瞳、美女と美少女の間の顔立ち。
しかし、口元から漏れる炎と黒煙、何よりも殺意に燃える目つきが恐すぎてそれどころではない。
真っ先にベッドを確認した女性は、俺に目を移し、そして可憐な顔をぱあっと輝かせて開口一番こう言った。
「主!」
どちら様で!?
口から炎を吐いていた彼女はトトっと足を鳴らしてこちらに駆け寄り、俺の肩を掴んだ。華奢な手なのにとんでもなく力が強い。
動けない!
そして大の男の俺を、まるで洗濯物かなにかのようにぐらんぐらん振り回しながら彼女は問いかけてくる。
「200年もどこをぶらぶらしてたんですか!? 主!!」
あっ、なんか途方もないことを言われている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます