第4話 10年目の宝物
8月14日、目を覚ますと、目元が涙で濡れていた。居間へ行くと、母が一人でお茶を飲んでいる。沙保里が起きたことに気が付くと、立ち上がって朝食の準備のために台所へと向かった。
「おはよう、沙保里」
「うん。お父さんたちは?」
「もうとっくに出たわよ」
他愛もない会話を交わしながら、食卓には豪華な朝食が次々と並べられていく。昨日から、沙保里が帰ってくるのを待ち望んでいた母の様子が見受けられ、その度にくすぐったい気持ちになる。一人では食べきれないほどの食事が並び、母も沙保里の向かいに腰を下ろした。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
両手を合わせた後、朝食に手を付ける。どれもこれも、昨日の夕食に負けず劣らず、優しくて美味しい。口に運ぶたびに、体がポカポカとしてくる。母は、沙保里の食べる様子をニコニコしながら見守っていた。
「ねぇ、お母さん。今日、健二の夢を見たの」
母は一瞬驚いた様子だったが、すぐに柔らかな表情を浮かべた。
「健二の家に行こうと思う」
沙保里の箸を持つ手に、しわしわになった母の手が重なる。10年前、何度もこうして沙保里に寄り添ってくれていたのに、当時は振りほどいてばかりだった。でも、今は、沢山の感謝と敬意を込めて、力強く握り返すことができる。
「お母さん、ありがとう」
沙保里は、揺るぎない決意を持って、健二の家へと向かった。
******
沙保里の家から、自転車で15分ほど走った先に、健二は住んでいた。互いの家には何度も行き来し、家族ぐるみの仲だった。健二の母親、おばさんとは、本当の親子のような関係を築けていたが、健二が亡くなって以来、会えていない。
健二の家に着くと、途端に鼓動が早くなった。呼び鈴を押す指が震え、上手く動かない。逃げ続けた10年間を思うと、おばさんたちに合わせる顔がなかった。一歩後ずさると、後ろから背中をポンと押された気がしたが、背後には何もない。
沙保里は滲む視界を振り切り、意を決して呼び鈴を押した。昔ながらのチャイムの音が鳴ると、すぐに見覚えのある女性が家から出てくる。沙保里の顔を見るや否や、女性は目を大きく見開いた。
「沙保里ちゃん?」
「おばさん、ごぶさっ――」
堅苦しい挨拶の途中、凄い勢いで抱きしめられた。おばさんは顔がぐちゃぐちゃになるほど号泣していた。その温もりは、あの日から止まった沙保里の心を溶かしていく。
「待ってたよ!沙保里ちゃん!」
その言葉を聞き、沙保里も涙があふれた。今日は泣いてばかりだ。絶対におばさんも沙保里のことを恨んでいると思っていた。それなのに、待っていたと涙を流して喜んでくれるおばさんを前にして、場違いにも幸福感がこみ上げてくる。
迎え入れられた家の中は、変わらず落ち着いた雰囲気だが、健二の存在を感じられなかった。健二の部屋はすっかり片付けられており、かつての賑やかな思い出がどこか寂しい。昨日から何だか昔に戻ったような気がしていたが、長い年月が経っていることを痛感した。
健二の部屋の押し入れを覗く。押し込まれた布団や、無造作に積まれた漫画もなくなり、中はがらんとしていた。ただ一つ、奥に佇む缶を除いて。
「沙保里ちゃんが取りに来る気がして、ずっとそこにしまっておいたの」
おばさんはそう言い、部屋を後にした。沙保里は去りゆくおばさんに頭を下げ、宝箱を手に取った。かぶっていたほこりを払うと、そこには”健二と沙保里の秘密の宝箱”と書かれている。心が高鳴る。10年前、沙保里と健二は、確かに同じ時間を共にしていたのだ。
中を開けると、交換日記や二人で撮ったプリクラ、懐かしい思い出の品々が入っている。一緒に幸せになろうと誓いながら交換したミサンガも出てきた。幼さあふれる宝物は、大人になった沙保里には恥ずかしく感じる部分もあったが、それよりも嬉しさの方が大きかった。
――なに、これ?
1つだけ、沙保里の知らない桜柄の封筒が入っていた。開けてみると、中にはメッセージカード。健二の字で書かれた言葉に、沙保里は胸が締め付けられる思いがした。
『沙保里へ。3年記念日!愛してるぞ!健二』
封筒を逆さにひっくり返すと、指輪が落ちてきた。淡い桜色のリングはプラスチック製のようで軽かった。田舎町にはジュエリーショップなんて存在しないから、商店街唯一の雑貨屋さんで購入したのだろう。未だ切られていない値札が笑いを誘った。
健二が何故あの日、プレゼントを用意していないと言ったのか、その真相は永遠に分からない。しかし、沙保里には、健二の大きな愛が、10年の時を超えて届いていた。
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