第2話 10年前の記憶
夜の静寂が街を包み込む中、沙保里は一人、窓の外を見つめていた。さっきまで神々しく煌めいていた星々は、今では沙保里の心に重い影を落としている。健二との思い出は、まるで昨日のことのように鮮明だ。
健二は、高校生の頃に付き合っていた恋人で、10年前に事故で亡くなった。彼とは、高校1年生のクラスが同じで、出席番号が前後だったこともあり、初日から沢山の会話を交わした。帰り道、満開の桜の下で、彼の太陽のように明るい笑顔を見た瞬間、沙保里は健二に心を奪われた。後に聞いた話では、健二もこの瞬間、沙保里に惹かれたという。二人が、友人を超えた親しい間柄になるのに、長い時間は必要なかった。
出会った日から、二人の時間はいつも笑いに溢れていた。毎日のように一緒に帰り、田舎で数少ない自動販売機で飲み物を買い、暗くなるまで共に過ごした。週末も学校に忍び込み、持ち寄ったお菓子を分け合って、時に先生に叱られたこともあった。あぜ道を散歩しながら未来の話を語り合ったりもした。
田舎だから毎日が退屈なのだと自棄になっていた沙保里に、そうではないことを教えてくれたのは健二だった。おしゃれなカフェや映画館ではなく、健二とのデートは学校や近所の商店街、港や山だった。どんな場所でも彼と一緒にいるだけで、特別に輝いて見え、毎日がカラフルに色づいていた。
しかし、楽しい日々は突然失われた。10年前、沙保里と健二が付き合って3年目を迎えた日、二人は大喧嘩をした。きっかけは、健二が記念日のプレゼントをまだ用意できていないと言ってきたことだ。
「いや、忘れてたわけじゃなくて、ちょっと、もう少し後が良いっていうか……」
「だから、なんで!?」
「なんでって、それは、そのー」
「――もういい!」
煮え切らない健二の態度に腹を立てた沙保里は、先に走って帰ろうとした。ずっと前からこの日を楽しみにしていた自分への情けなさと、大好きで信頼していた健二に裏切られた喪失感で、心がぐちゃぐちゃだった。振り返ると、健二は必死に沙保里を追いかけていた。
「待って、沙保里!」
叫び声は今も耳に残っている。
「誰が待つか!健二の馬鹿!」
そう吐き捨てて、階段を駆け下りた。階段の麓まで降りる。振り向くと、足を滑らせた健二の姿が飛び込んできた。まるで、時間が止まったようだった。階段を転がり落ちた健二は、打ち所が悪かったらしい。そのまま呆気なく死んでしまった。
当時は、頭の整理が追い付かず、ただ自分を責め続けた。健二の歪んだ表情が脳裏に張り付き、沙保里を苦しめる。自分のせいだと泣き叫び続け、家族に当たり散らし、部屋に閉じこもった。いっそ、化けて呪い殺してくれた方がよっぽど楽だった。
お通夜にもお葬式にも、沙保里は顔を出さなかった。健二はこの街の皆から愛されていた。自分が与えた沢山の痛みを感じるのが、背負うのが、怖かった。結局、健二やその家族、街の人たちと会わず、逃げるように上京した。
それでも、健二のことを忘れた日は一度もない。現在も、健二との記念日、つまり命日が近づくと、夜は眠れなくなる。もし彼が生きていたら、そんなことばかり考えてしまう。
「ごめんなさい」
沙保里は小さく呟いた。その言葉は虚空に消えていく。いくら謝っても、健二が戻ってくることはない。健二の大切な時間を奪ってしまった事実は変わらない。過去の思い出と罪悪感は、沙保里の心を縛り付け、離してくれなかった。
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