いつかの日。
「おーかみくんってさ、人間、好きなの?」
「あー?」
くらくらする頭でなんとか結良の質問の意図を理解しようとするも、思考がまとまらずに、ベッドにうつぶせになったまま、考えることも答えることも放棄した。
「今月はいつにも増してお疲れだねー」
「誰のせいだと思ってんだ」
「あ、それには返事するんだ」
ベッド横でしゃがみながらケラケラと笑う吸血鬼を、首だけ動かしてジトッとにらむ。
痛む体は、満月のせい。
さっきまで俺は狼の姿に変身していた。
結良の家の二階には、いつも吸血されるときに使う部屋とは別に、もう一つ、部屋がある。
平均身長よりは高い俺が、背伸びしてやっと外が見える位置にある、小さな窓と、壁に打ち付けられた四本の鎖とそれに繋がる四つの枷のみの、あまり広くはない部屋だ。
結良いわく、前に住んでいた吸血鬼の趣味の部屋、らしい。詳細は考えたくないので聞いていない。
この部屋のことを話すときに、結良が珍しく苦い顔をしていたことから、絶対にろくな趣味ではないことは確かだ。
その部屋の鎖に、先ほどまで俺は繋がれていた。
理由はもちろん、理性を失った狼の俺が、外に出て人を襲ってしまわないためだ。
つい数時間前まで、自分を繋ぎとめる鎖を千切ろうと、狼の俺はもがき、吠えていたのだろう。
体中が痛いのは、そのせいだ。理解している。
じゃあ、頭がくらくらしているのは誰のせいなのか。
すぐそこでケラケラと笑っている吸血鬼のせいだ。
ついでに、痛む首筋も、お前のせいだろ。
「動けなくなるくらい飲んだげるって、最初話したでしょ?」
「……毎度実践される身にもなれよ」
「有言実行があたしだからね」
ちなみに、動けなくなった俺を軽々と担ぎ上げていつもの部屋のベッドまで運んだのも、すぐそこにいる吸血鬼だ。
折れそうに細い体のどこにその力があるのだろうか。
合コンのときと言い、吸血鬼の見た目ほど信用ならないものはないと、改めて思った。
「人間は、好きでも嫌いでもねえ」
やっと少しずつ回りだした頭で答える。
「そうなんだ」
「それだけかよ」
「んー、なんとなくきいてみただけなんだよね。ほら、化け物同士での会話でよくのぼる話題じゃない?」
「知らねー。家族以外にこっち側の奴に会ったの、お前らが初めてなんだよ」
「あ、そうなんだ。じゃあじゃあ、吸血鬼は好き?」
「……」
「黙っちゃった」
細い腕が伸びてくる。
俺の頭に小さな冷たい手が着地すると、ふわふわと撫でてきた。
心地がよい。猫だったらきっと喉が鳴っていた。よかった、狼で。まあ今は人間の姿だが。
「それこそ、お前らしか知らねえから、個人的な好き嫌いにしかならねえよ」
「ふーん、そっか」
「お前は?」
「ん?」
「人間、好きなのか?」
うーん、と悩むように、結良は宙を睨む。
ややあって、大きな瞳がまた、俺を見た。
「もろいから、得意じゃないかな」
「……言うて、俺も吸血鬼のお前らよりはもろいぞ」
「それでも、人間とは比べ物にならないくらい頑丈でしょ」
頭を撫でていた手が、耳のうしろを通り、首筋を撫でて、あごをくすぐる。
くすぐったさに、やめろとその手を掴めば、結良はおとなしく手を引いた。
まあでも、と、結良は静かに続ける。
「人間ほどもろくはなくてもさ。きっと君も、いつかはあたしを置いていくんだろうね」
静かな声に、息が、止まる。
線を、引かれたと思った。
遠い。
手を伸ばせば触れられる距離なのに。
「そこで、嘘でも置いていかないとは言わないんだ?」
囁くように、結良が笑う。
瞳が、寂し気に揺れた気がした。
実際は揺れていないかもしれない。
そうあってほしいと、願ってしまったのかもしれない。
だって、寂しいと思ってくれていたら、まだ、近い気がするから。
「むなしいだけだろ、そんなの」
言えるはずがない。
狼人間だって、長生きする。
だけど、俺は狼人間の血が薄い。
純粋な狼人間なんて、数えるのも嫌になるほど前の代だ。
対する結良は、吸血鬼と人間のクオーターだと以前言っていた。祖父が純粋な吸血鬼らしい。
そんな結良と比べれば、置いていかない、なんて嘘、言えるはずがない。
目を細めて、結良はふわりと微笑む。
冷たい手がまた伸びてきて、ゆっくりと俺の頭を撫でる。
「おーかみくんは、狼なのに嘘を吐かないねえ」
「狼は関係ないだろ」
「ふふ、まあ、そういうところも可愛いんだけどね」
「可愛くねえ!」
そして、月に吠えた。 奔埜しおり @bookmarkhonno
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