第43課題 ウォール・トゥ・クライム09

 ここに来て、一葉いちはの発作。


 マジ、か……。


 突然足が重くなる。

 下を見ると、一葉いちはがアタシの足にぶら下がっていた。文字通り足を引っ張ってるって?

 幻覚にしてもタチが悪いよね。

 でもこれは、アタシが作り出したもんだ。きっと、心の片隅で「なんで今なの?」とか「うっざ!」とか思っちゃってるんだろうね。わかるわかる。アタシって美人でスタイル良くって社交性もバッチの最高ギャルだけどさ、そう言う心の狭いところあるもん。認めるよ。実際そのせいでこの前は一葉いちはに怒っちゃったじゃん? アイツは全然悪くないのにさ。全部病気のせいなのにさ。アイツが悪いみたいに怒っちゃったじゃん? 傷付けちゃったじゃん?

 それは、反省しないといけないっしょ。

 無敵のギャルは、いつだってヨユーだから、人にやさしくできるはず。まして、心を打ち明けてくれたペア……友達……ううん。一葉いちはなんだから。


 アタシは足にぶら下がっている一葉いちはに、手を差し出した。

 もしもアンタが足を引っ張るなら、アタシがその手を引っ張ってやるよ。そしたら同じ景色を見れるようになるじゃん。


一葉いちは

『ごめん! すぐ戻すから!』

「焦んなー」

『え?』


 アタシは笑っていた。だって今一番キツイのは一葉いちはだ。発作の真っただ中なんだから。それなのにそんなヤツが一番頑張ろうとしている。おかしいじゃんそんなの。理不尽過ぎてウケる。


一葉いちは、一回深呼吸しようよ。アタシもするから」

『……うん』

「いい子じゃん」

『お母さんじゃないんだから』


 一葉いちははいつもの調子でツッコんで来た。二人そろって深呼吸をする。


「そう言えば一葉いちはってあれから服買った?」


 今のこの状況とは関係のない話。多分一葉いちはも面食らったんだろう。一瞬遅れて言葉が返ってくる。


『服って?』

「オシャレなやつ」

『ううん。自信なくて』

「なら言えよなー。言ってくれたらアタシがまた一緒に行くのに」

『いいの?』

「当たり前じゃん! アンタさーアタシのことなんだと思ってんの? ダチなんだから行くに決まってるっしょ。んで、今度はハンバーガー以外食べよ。バーガー三兄弟と会うのはもうヤだから」

『そうだね。でも、どこが美味しいかわからなくて』

「あの辺はアタシの庭だから。任しといて」

『頼もしいなあ』


 そんな感じで他愛もない話をした。いや、大事な話かも。だってデートの約束だもんね。童貞にとっては死ぬほど大事な話だきっと。……なんて、アタシにとってもすごく重要な話だよ。アタシも処女だし。これ知ったら驚くだろうなあ。みんなに合わせるためにテキトーな人数と経験したことにしちゃってるけど。

 でも、それもバレてたりして。一葉いちははアタシのこと、全部知ろうとしてくれたから。


燈香ともかさん』


 一葉いちはの声に、心が戻っていた。そんな重さを感じた。


『戻って来られたよ』


 アタシが差し出していた手を、一葉いちはが掴んだ。


「おかえり」


 そう言ってぐっと持ち上げた。


『ただいま』


 一葉いちはの幻影はそう言って光の粉になった。風に流されてキラキラ光って散って行った。


「そんで、どう? 行けそう?」

『うん。でも、昇乃しょうのさんは結構先に行っちゃったよね』


 さっきは聞き流していたけれど、実況がわめいてたから多分順位は入れ替わっている。


『ここから勝ちたいとなると相当無理するけれど、どうしようか』

「勝ちたいよ」


 もう今は、ただただクライマーとして勝ちたい。同時に、アタシを勝たせようとしてくれる一葉いちはの気持ちにも応えたい。


一葉いちはが限界を超えてベーションしてくれたみたいに、アタシも限界を超えるから。あ、ごめんやっぱり今のなし。ギャルに限界なんてねーからっ!」

『わかった。なら随分無理するから付いて来て。デッドポイント、攻めまくるよ』


 デッドポイント。勢いを付けて体を伸ばしきってホールドを取りに行く、掴めなかったら終わるムーブだ。でも今は怖くない。落ちたらどうしようより、一葉いちはと一緒に登りたいって気持ちの方がデカい。


「あいよー」


 一葉いちははオブザベーションを開始した。そしてすぐに指示をくれる。


『右下に行ってそこからランジ。右手で取りに行って。その勢いを使ってさらにランジ。今度は左手』


 確かに無理してるかも。下の方の、まだ体力がある状態なら行けるかもだけど、疲れがたまっていて風も強いこの状況じゃあなかなか行こうって思わない。でも“神の道案内イチハプラン”がそう言うなら、これが勝ち筋って言うなら、行くっきゃない。


 ランジ、ランジ。そのあとも息吐く暇なしにレベルの高いムーブを要求される。アタシはそれでも一葉いちはの指示に応えた。ううん。正しくは、応えられた。無理するって言ってたけど、アタシが本当に無理なやつは要求してこない。指やつま先の引っ掛かり具合までしっかり見て、行ける場所を探してくれているんだ。


 自分の中の成るべきはずの自分がどんどんと解放されていく。なんかまるで、花が開くような、殻を破るような、とにかく内側から外側に向かって膨らんでいく感覚だった。


 汗が引いて疲れが飛んで、手足をどこにでも持って行けるように思えた。


「ねえ、一葉いちは。アタシ、もっと行けるよ。一葉いちはが思うアタシの限界の、その先へ連れてってよ」


 10メートル以上先にある頂が、とてもすぐ近くに感じた。


『わかった。僕が思う、燈香ともかさんの限界を超えるよ』


 一葉いちははアタシの要求に応えて、ルートを変えてくれた。限界を超えた最短ルート。それを登っていく。


『僕は今ルートを案内してない。有り得ない道を切り拓いているよ。一歩間違えば滑落する道を選んでいる。でもそこは死路じゃない。獣道だ。将棋では味わえなかったよ。飛車ひしゃ歩兵ふひょうを飛び越えて敵陣の駒を取るような。桂馬けいまが5マス以上一気に駆け上がるような。こんなに自由な筋道を立てるのは生まれて初めてだ。頭が軽い。なんでもできるから、考えるのが楽しい』


 それなら良かった。一葉いちはがつらい思いをしないで行けるのが、一番嬉しい。アタシだって楽しい気持ちになれる。


一葉いちは、今アタシなにに見えてる? まだ銀将ぎんしょうのままってことはないよね」

燈香ともかさんは今、成ったよ。銀将ぎんしょうでも金将きんしょうでもない。無敵のギャルに。“成りギャル”だ』

「最強じゃん。ん? 待って、それ最初からじゃん」

『はははっ。それはそうかも』


 どんどんと登っていく。でも、限界は感じない。とうの昔に超えているからかも。かも? 自分でもわかんないなんて、マジウケる。


 ――あっ。


 これは無理かなって思ったホールド。指示を変えてもらおうかなと思ったら、そこに一葉いちはが現れてこっちに向かって手を差し出していた。さっきまでアタシの足にぶら下がってたくせに、生意気じゃん。こうなったら手を取ってそのまま抱きしめてやる。


 あそこに届かせるにはサイファーしかない。一葉いちはが初めてしてくれたオブザベーション。アタシは手足を振り子みたいに使って、大きく高く強く飛んだ。絶対掴んでやる。届け。届け!


















『マァアアアアアアアアアッチ!! 両者同着だぁあ!』


 うっせ。ちょ、うっせ。実況、もうほんと声量加減してほしい。

 てか両者同着ってなに?


 そう思うのと同時に、いつもはないはずの感触が自分の手の甲にあるのがわかった。


 アタシは脇を絞めて自分の体を引き上げた。頂上は向こう側と繋がっていた。アタシの手の甲にある感触の正体は、向こう側から登って来た昇乃しょうのの掌だった。


 ん? 待って? アタシの手の甲に昇乃しょうのの掌があるってことは——


『初めに頂に手を掛けたのは火登かとう選手!! 優勝は火登かとう紗々棋ささきペア! 僅差も僅差、タイムにして0.1秒も開いていませんでした!』


 勝ったんだ。


 隣にいた一葉いちはが微笑む。


『おめでとう』

「ありがと。でもそれ、アンタもだから」

『確かに』

「おめでとう」

『ありがとう』


 こうしてアタシたちは日本一になった。


 壁の向こう側で、昇乃しょうのは震えていた。負けた悔しさか、これからの未来を想像してビビってんのか、それはわからない。でも、なんかつらそうだし、あとで声をかけてやろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る