第42課題 ウォール・トゥ・クライム08——【火登燈香4】

 一葉いちはが戻って来てくれた。

 あんなことがあったのに。

 他人を助けるために自分のドローンを……あれ? 眼鏡ボーイのだっけ? ……ちょっとそれはかわいそうかも。ま、いいや。人命最優先だし。とにかく一葉いちはは超エラい。それは確かだから。


 一葉いちはにとってはまったく新しい二度目のオブザベーションだ。アタシは途中から一葉いちはのオブザベーションなしにとにかく赤色を進めばいいんだと思って頑張って来たんだけど、多分一葉いちはの思い描いてたのと違う方向に来ちゃったんだよね。


『右上に右手からのダイアゴナルで5手まで進んで』


 1、2、3、4、5。

 それなのに一葉いちはは瞬時にベーションをしてくれる。ピョンジムで見た、一葉いちはの真剣な顔を思い出す。胸がトゥクトゥク言う。トゥクトゥクトゥクトゥクと。今にもタイの街並みを走り出しそうだ。


 最初のベーションだってちょっぱやだった。

 それにも実は理由がある。登る前の作戦会議のとき、一葉いちははとんでもないことを言ってた。


「オブザベーションは、最後までやりきらない」

「は? どゆこと?」

八馬堕やまださんのオブザベーションのスピードには絶対に敵わない。仮に最後まで全部やってから戻って来てオブザベーションしたのでは、いくら燈香ともかさんが頑張っても追いつけないからね」

「じゃあどうすんの?」

「適当なところで済ませる。そうだな。最初の50メートル。ここまでまずオブザベーションする。そのあとすぐに燈香ともかさんに指示を出すよ」

「なるなる。じゃあ50メートルのところまで行ったら一旦そこで待てば良いってことね」

「いや、登り続けてもらうよ」

「ん? 無理くない? 51メートルより上はベーションしてないんでしょ?」

燈香ともかさんに指示を出しながら、51メートルより上のオブザベーションを並行してやれば大丈夫」


 その話を聞いてもアタシの頭の上にはハテナマークが立ちまくるだけだった。多分この数のハテナは違法建築だと思う。


「順番に説明するよ。まずは50メートルまでオブザベーションをします」

「うん」

「そのあと50メートル地点から燈香ともかさんに指示を出します」

「うん……うん?」

「それから」

「いやいやいやいや! 待って待って。え、その位置からアタシ見えなくない?」

「見えないよ」

「はあ?」

「でも、ホールドの位置とかは全部覚えておくから、指示通りに動いてくれれば大丈夫」

「……はああ!?」

「もちろん、指示通りに動けない場合は戻らないといけないけどね」

「はあ」

「で、話は戻るけれど、50メートルの位置から指示を出しながらドローンを上昇させて、51メートルより上のオブザベーションをおこないます」


 ここまで来るとため息も出なかった。どんな脳ミソしてたらそんなことできるわけ?


「えーっと、つまりー、一葉いちはは最初の50メートルのベーション以外は、暗記した壁を想像しながら指示出しつつリアルタイムで51メートルより上のベーションをやるってこと?」

「そうだね」


 当たり前みたいに言う。


「勝つためには、それくらいしないといけない」


 一葉いちはは覚悟が決まった顔をしてた。すごくカッコイイ。


一葉いちは、マジでベーションの化身じゃん。もうマスターじゃん。ベーションマスターじゃん!」

「うぉおおああやめてえええ!」


 一葉いちはの掌がアタシの口元を覆った。


 そんなことを思い出しているうちに、佳奈美かなみに追いつく。追いつくって言っても、雰囲気でわかるだけで、実際に向こうが見えているわけじゃない。


『いったいどうやってこんなスピードで……。鷹戯たかぎさんのような独自のクライミングテクニックがあるわけでもないでしょうに』


 佳奈美かなみの悔しそうな声が聞こえた。


一葉いちはが神だから。こんなんラクショーよ』

『どれだけ早いオブザベーションをしても1分は絶対に掛かるはずよ。オブザーバーの実力にも限界はあるはず』

『だからー、一葉いちはは限界を超えてベーションしてくれてんの』

『いったいどんな』

一葉いちはは昔プロ棋士を目指して頑張ってたんだって。そんで、棋士っていろんなことを同時に考えたりしてプレイするから、ベーションしながら指示も出せるの。今もアタシに指示出しながらその先のベーションしてくれてるんだよね。ホールドの位置を全部暗記して、見えないアタシの居場所を想像しながらさ』

『そんなこと、できるの……』

『だから言ったじゃん。一葉いちは、マジ神だからさ。じゃーねー』


 アタシはいとも簡単に追いついて、追い越した。


 PPPPピョンピョンパパが言うには、昇乃しょうの八馬堕やまだペアは「面白くねえ」らしい。なんでもそつなくこなせるから。でもそれって戦う相手としてはめちゃ厄介ってことじゃん。実際昇乃しょうののムーブってずっと一定で安定感がある。失速する感じとかまったくなさげ。


 でも逆に、爆発力みたいなものは感じない。ここで抜いちゃえば、そのまま順位も変わんなそうな気がする。もちろん、昇乃しょうのは別に大したことないなんて言わない。すごい実力があるんだと思う。急に爆発力見せて来るかもしれない。そう考えても負けるだなんて思わない。それ以上に今のアタシは無敵。“神の道案内イチハプラン”があるんだから。


 一葉いちはに導かれるままに、先に125メートルのラインを割った。ここから残り25メートルは、面が二つしかない。昇乃しょうのとの一騎打ちだ。


 この高さまで来ると横風も強まる。今までできていた技ができなくなるかもしれない。でもそれは昇乃しょうのも同じ。だからこのまま行けばアタシは勝てる。だけど――


『ごめん、燈香ともかさん』


 イヤホン越しの一葉いちはは、心ここにあらずって感じの声色だった。


『飛んだ』

「飛んだって?」

『記憶が飛んだ。僕、今、なにやってるんだっけ……?』


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