第41課題 ウォール・トゥ・クライム07——【昇乃佳奈美2】

 下の方がなにやら騒がしい。


「なにかあったの?」


 イヤホンマイクの向こう側にいる尚輝なおきくんに問いかけた。


『一人墜落した。一瞬佳奈美かなみを抜いた鷹戯たかぎだ。彼女は人気がある選手だから、ファンたちが落胆しただけだ。こちらとしてはなにも問題ない。上を目指そう』

「うん」


 わたしは尚輝なおきくんの言う通りに進んだ。

 鷹戯たかぎさんは最近頭角を現した選手だった。体が不自由なのに頑張っているから、とても人気がある選手だ。みんな応援していたのだろう。


 自分は取り柄のないクライマーだった。正対ムーブ、ダイアゴナル……すべてのムーブがそつなくこなせる。けれどそれだけ。ボルダリングがただ好きで、趣味でやっていた。プロのクライマーになろうと言う思いはなかった。


 けれどある日、10m級の個人ボルダリングに出てたまたま優勝して、尚輝なおきくんからボルダリングペアの誘いを受けた。

 わたしはペア競技には興味がなかったし、これ以上注目されるのも望んではいなかった。けれど、褒められたりもてはやされたりされることは別に嫌ではなかった。取り柄のないわたしの自己肯定感が上がる瞬間でもあった。

 だからわたしは尚輝なおきくんの申し出を受け入れて、ペアを組んだ。


 わたしのムーブは地味だったけれど、雑誌やメディアにはなんでもそつなくこなすオールマイティなクライマーとして紹介された。それは尚輝なおきくんのおかげだった。そう言う売り込みをしてくれたのだ。雑誌に取り上げられる際も、緊張するわたしの代わりに発言してくれた。本当はわたしのクライミングテクニックより、尚輝なおきくんの早くて正確なルート案内のおかげで勝てているのに、彼はわたしを立てるために、わたしのテクニックをことさら素晴らしいことのように主張し続けた。


「地味かもしれないが、確かな技術に裏打ちされている。本物のクライマーだ」


 そんな風に言ってくれた。彼の発言に応えるように頑張って、わたしたちは勝利し続けた。


 尚輝なおきくんのオブザベーションは本当に早かった。他のペアがオブザベーションに20秒かかるところを尚輝なおきくんはものの5秒で叩き出していた。15秒もイニシアチブがあれば負けることはない。400メートル走で15秒もハンデを貰っているようなものだ。


 勝利を重ねるごとにスポンサーも増えて行った。CMのオファーも来た。好きなことをしてお金を貰えることは嬉しかった。しかしそれと同時に、わたしの偽物が度々わたしを脅かすようになっていった。皮肉なことに、偽物とシンクロする不思議な現象——“真偽一体アイドルワーシップ”をおこなうほどに勝利の回数は増え、ファンも増えていった。


 しかし勝利を重ねるごとに、こんなこといつまでも続けられるだろうかと言う不安感が増していった。

 そんな折、尚輝なおきくんから提案があった。


「あくまで現状ベースだが、おそらくクライマーとしてのピークは25歳くらいだ。ただのクライマーとして稼ぎ続けるのは難しいだろう。しかしそれならば、そうなるまでに業績を上げて知名度を確保し、ボルダリングジムを開き、トレーナーとして人に教える立場になればいい。そうすれば将来安泰になるだろう」

「でもそうしたら、尚輝なおきくんはどうするの?」

「私の選手生命は長い。経験を積めば積むほどオブザーバーとしての精度は上がっていく。佳奈美かなみがジムで育てた選手と私が組めばその選手も勝つことができる。佳奈美かなみが育てた選手なら、佳奈美かなみまでとは行かないまでも、基礎が整った良い選手だろうからな。それに、優勝候補の選手を育て上げれば佳奈美かなみのトレーナーとしての箔も付く。相乗効果だ。いいと思わないか?」


 とてもいい話だと思った。お互いに互恵関係を続けられるなら、それに越したことはない。


 何度もペアとして試合に出て行くうち、尚輝なおきくんのオブザベーションの速さが気になり始めた。速いのはいいことなんだけれど、30メートル級ならともかく、150メートル級を一瞬でオブザベーションするなんていくらなんでもおかしかった。ふと、以前将棋でAIを使って失格になった人がいたのを思い出した。もしかしたら、尚輝なおきくんも同じことをしているのではないかと言う疑念が湧いたこともあった。


「だったら、言わないと……でも」


 すぐに払拭した。でも、だからなんだと言うのだ。ルール的にもAIはNGとは書かれていない。将棋とボルダリングペアは違うのだ。

 ただ。もしも発覚したら次回からNGにするような流れは絶対に出て来るだろう。そうしたら勝てなくなるかもしれない。そうなったらジムを開いて人を育てることもできなくなる。好きなことでお金を稼げなくなる。


 ……いや、違う。憶測だ。ペアを信じよう。AIは使ってない。尚輝なおきくんは単純に頭がいいだけだ。そこに加えてデータ取りを緻密にやっているからあんなに早くオブザベーションができるんだ。仮にやっていたとしてもルールには違反してない。わたしは間違ってない。そう思い込むために、さらにボルダリングに没頭して、勝利を重ねて行った。


 この大会も優勝する。優勝した人が正しい。わたしが勝てば尚輝なおきくんも正しいんだ。

 わたしの偽物が壁の上の方でこちらを見ながら「うんうん」と首を縦に振っている。わたしよりかわいい笑顔で。彼女が言うなら間違いない。彼女はわたしよりもずっと正しい。わたしはどんどん高度を上げて偽物に近付いて行く。もう少しで一緒になれる。偽物になったらそれはもうわたしじゃあない。そうすればもう、考えなくて済む。楽になれる。全部を任せられる。


 不意に、下からただならぬプレッシャーを感じた。立ち上る炎のように熱い。誰のものだろうこれは。


『なーにつまんなさそうに登ってんの?』

「え!?」

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