第37課題 ウォール・トゥ・クライム03



 僕は言葉を失った。確かにそんな文言はなかった。けれど、普通に考えればいけないことだとわかる。だって、オブザベーションは自分の頭で考えるからこそ意味があるんだ。そのためのオブザーバーだ。


 彼は鼻を鳴らす。


「私は道具を賢く使っているだけ。君だってドローンを使っているだろう?」

「ドローンはズルではないですよ」

「そうか? この競技、オブザーバーとクライマーの二人一組でおこなうと言うルールはあるが、必ずドローンを使わなければいけないと言うルールにはなってない。双眼鏡を使用しても良いし、もっと言えば肉眼で見ても良いのだ」


 めちゃくちゃを言っているが、ルール的にはそうだ。


「先のAIの話に戻すが、私が自分で考える力を持たないから仕方なくAIを頼ることを不正と言うのなら、100メートル先のホールドを見る視力を持たないから仕方なくドローンを頼ることも不正にならないか? 視力が5.0あればドローンなしでも100メートル離れた壁のオブザベーションすることができるだろうなあ」

「それは例えが特異過ぎます。日本人の視力は良くて2.0くらいなものでしょう。100メートル先のホールドなんて見えない。一方で考える力はみんなに備わっている」

「それは君のものさしで計った世界の話だろう? 考える力はみんなに備わっている? そう言う君は棋士を目指していたと聞いているぞ? 頭の出来が私とは違うのではないか? 自分が有利な部分は道具を使わないことを相手に対して強いるくせに、自分が不利な部分は道具を使ってもいいと言う。どうせ君は、頭の他にも目が良かったら、ドローンなんて卑怯だと言うのではないか?」


 なにも言い返せなかった。彼はルールに則っているだけに過ぎず、不正と言うのも僕の価値基準によって作り出されたものなのだ。


「でもそれなら、クライマーにパワードスーツを着させて登らせても良いってことになりませんか? でもそれをみんなやらないでしょう」

「やらないだろうな。作れないから」

「え?」

「君ももし作れるのなら作って出場すると良い。別に違反はしてない。止めはしないよ」


 相手の論述の穴を穿ったつもりが、その穴はこちらまで続いていたようだ。そこまで開き直られたら言い返すことができない。


 八馬堕やまださんは組んでいた手を広げて肩を竦めた。


「まあ、君が言う君のための正々堂々を実現するためにAIを使用するなと言うならそうしてもてもいい。ただし、正々堂々と言うのならAIのみならず、あらゆる道具の使用を禁じなければいけないが。これから他の選手に『ドローンもヘッドセットも使用禁止。肉眼で見て大声で指示してください』と、頼んで回って来てくれないか。全員が応じると言うのなら私も応じよう。まあ、仮に実現したらクライマーの技術だけの戦いになるだろうから、佳奈美かなみの勝率は今よりもっと上がることになるが。なんだかんだ言って燈香ともかは君のオブザベーションがないと勝てない。評価しているんだよ。私は、敵として君を」


 ボルダリングペアと言う競技自体がまだまだ未熟なのだ。ルールで厳密に決まっていない部分がある。オブザベーションはこちらの勝手な解釈でドローンを選んでいた。思い返してみれば郷兎さとうさんの姪っ子さんの穂麦ほむぎさんは双眼鏡でオブザベーションをしていた。AIのことも明るみに出れば今後禁止の方向になるだろうが、摘発するための材料がないうえAIの指示がゴーグルの内部に出ているのなら現場を抑えることもできない。よしんばそのチャンスがあったとしても、僕みたいな知名度のないオブザーバーが言ったところで誰も取り合ってくれない。スポンサーは昇乃しょうの八馬堕やまだペアの味方だ。それにファンも多い。騒いだ分だけ関係者各位の攻撃の矛先がこちらに向いてしまう。僕だけじゃない。燈香ともかさんまで責められてしまう。


 燈香ともかさんと八馬堕やまださんが付き合い直すなら、不正を正してからにしたいと思っていたが、状況は思ったより複雑だ。


 しかし、AIが不正ではないと言う事実がある以上、僕がどう思っているかなどはもう関係ない。燈香ともかさんにとってそれがズルくないかどうかだ。

 その部分では一つクリアになった。が、それ以外のスポンサーのあれこれは今すぐ解決できるような問題ではないし、八馬堕やまださん一人の問題でもない。僕は結局、もやの中に引きずり込まれるような形で、八馬堕やまださんの前から立ち去るしかなかった。



□ □ □ □



「なんか表情暗くない? ダイジョーブ?」


 出会い頭に燈香ともかさんにそう言われ、一瞬遅れで笑顔を取り繕う。


「あ、ああ、うん」


 持ち上げた両方の頬に、銀将ぎんしょうが描かれた親指がそれぞれ突き刺さる。


「だからー、なんでも言ってって言ったよね。ダチじゃん、ペアじゃん? 今から決勝じゃん?」


 繕った笑顔から、ほつれた糸を引っ張られてしまって、僕はたちまち素の表情になる。


「実はさっき、八馬堕やまださんと話して来たんだ」


 ためらいもあったけれど、それよりも隠し事をすることの方が正しくないように感じた。こんなモヤモヤした状態で決勝に臨んだら、それこそ本当に足を引っ張ってしまう。

 僕は八馬堕やまださんと話したことをすべて話した。そこで感じたこともすべて。

 燈香ともかさんは腕組みをして難しい顔をして、それから何事もなかったかのように明るい顔を見せる。


「アタシ、バカだからAIとかスポンサーとか不正とかよくわかんないけどさー、なんかめっちゃ不利って言うのはわかったよ。あとなんだかんだ言って尚輝なおきは悪い男だってのも。でも結局やることは一つじゃない?」


 親指を立てた。銀将ぎんしょうは空を目指している。


「勝ちゃーいーじゃん? アタシと一葉いちはなら、行けるっしょ」


 ニヒッと笑った。彼女の笑顔を見て、自然と僕の頬も持ち上がった。


「そうだね。勝てばいい。燈香ともかさんなら……いや、僕が付いている燈香ともかさんなら、一番に登れるよ!」


 僕は燈香ともかさんが掲げた手を両手でマッチした。

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