第三幕

第35課題 ウォール・トゥ・クライム01——【火登燈香3】

 ウォール・トゥ・クライム。


 ついにこのときがやって来たんだ。

 前は観客として来た場所に、今度は選手として入れるなんて、なんか変な感じがする。ふわふわするって言うかなんて言うか。気分がコーヨーしてるのかも。


 あれから練習をたくさんした。けど、パーフェクトってわけじゃあない。


結局金きんには成れなかった」


 控室でそんなことを言った。


燈香ともかさん、将棋のルール覚えてくれたんだ」

「うん。一葉いちはには絶対勝てないと思うけど、一応知っといた方がいいかなって。んで、全部の駒ってさ、上から3マス目に行くときんに成れるんでしょ?」

「そうだよ」

「なんかそれって、レベルアップして強くなるみたいだなって思って。アタシも銀将ぎんしょうから金将きんしょうに格上げされないかなーって思ってたんだけど」


 スローパーやハリボテの苦手を克服しようと頑張った。けど、まだまだできないことの方が多い。その分一葉いちはに迷惑かけちゃうかな。


「無理に金に成る必要はないよ。成ったら行けない場所もある。成らない方が有効なときもあるんだ」

「そうなん?」

「うん。銀将ぎんしょう金将きんしょうになると、斜め下に行けなくなる。だから厳密にはレベルアップじゃないんだよ。できることが変わっただけだ。燈香ともかさんは、自分の成りたいものに成ればいい。飛車ひしゃでも角行かくぎょうでも。それこそ、駒ではないものにでも」


 アタシは駒じゃない。前にケンカ……ってーか一方的にまくしたてたときにそう言った。でもそのときとは違う意味で、今の一葉いちははもっともっと前向きな意味で言ってくれている。


 一葉いちははアタシと違って体力作り的な練習はできない。だから代わりにアタシの全部を知ろうとしてくれた。

 腕の長さや足の長さを巻尺で計ってくれた。身長や座高も。まあそれはいいとして、さすがに体重だけは勘弁してほしかった。フツーに聞いて来るからフツーに答えるところだった。

 でも、一葉いちはも別によこしまな気持ちで聞いてるわけじゃない。そもそもアタシが尚輝なおきのことを引き合いに出して、「アンタはアタシのこと、なんにも調べないでやってたよね」って言っちゃったから一葉いちはも動いてくれているわけだし。それなのに教えないなんて酷いよね。

 だからアタシは一葉いちはに体感で計ってもらうことにした。両腕を前に突き出させて、そこにぶら下がるような感じで。でもさすがにその計り方は無理があった。

 結果、お姫様抱っこをしてもらうことになった。


「軽すぎるよ!? え、燈香ともかさんこれ本気出してる!?」

「体重に本気とかねーし!」

「じゃあもっと食べないと!」

「ママかよ!」


 アタシは身長が高いからこんな風に体を持ってもらうことがなかったし、見た目重そうだから冗談で重いって言われることはあっても、真剣に軽さを心配されたことはなかった。

 嬉しかった。

 だから素直に喜べなくて強めにツッコんじゃった。でも一葉いちはは嬉しそうだった。アタシが嬉しいのを隠してるのも、全部見抜いているみたいだった。改めて、アタシが一葉いちはのオブザベーションを信頼している理由がわかった気がした。一葉いちはの頭がいいとか、将棋ができるとかそんなこと関係なしに、アタシをわかろうとしてくれる人間として信用しているんだ。

 生まれて初めて、依存なしに甘えられているって思った。


 一葉いちはが書いてくれたアタシのパラメーターを見せてもらった。

 身長173センチ。股下87センチ。肩幅38センチ。腕の長さ67.5センチ。そして体重の欄には『軽過ぎ! 要注意』。

 なんだかよくわからないけど、抱きしめたくなった。


 アタシの体の全部を知って、心をわかろうとしてくれてる一葉いちはが、成りたいものに成ればいいって言ってくれてる。それなら。


「わかった。アタシはアタシとして、アタシができることを精一杯頑張るよ」


 二人は絶対強くなってる。一葉いちはがアタシを知ったように、アタシも一葉いちはの過去を知ることができた。

 二人して控室を出て、クライミングウォールへ向かった。


 元々切符が渡された人しか来られないこの大会は、予選と本線しかない。つまり、しょっぱな準決勝から始まる。

 準決勝は75メートルの壁を登る。75メートルなんて未知の体験だった。

 でも、始まったと思ったら、あっという間に終わった。今までやってきたことが、無意識にできたってことなんだと思う。それと、一葉いちはのオブザベーションに100%応えられたから、一葉いちはが考え直す時間も必要なかった。

 結果アタシは一位で通過できた。これで決勝に進められる。


 一葉いちはと一緒に喜んでいると、一葉いちはが今回の大会とシードについて説明してくれた。


「30ペアが6ペア1組になってA~E組みに別れて登って、それぞれの一位が決勝に進める。そこに前回王者がシードとして加わって、決勝が始まる」

「だね」

「でもこれ、昇乃しょうの選手だけ体力を温存できているってことなんだよね。なんか不公平感があるって言うか」

「スポーツってだいたいシードあるし、そう言うもんなんじゃないの? アタシはいいアップになったよ」


 実際そんなに疲れてない。なにより、一葉いちはが導き出したルートに乗るのが気持ち良かったし、自分のことを理解してくれているのを確認できて嬉しかった。


「あ、でも、一葉いちはが疲れるのは嫌かも」

「大丈夫。楽しんでいるから」

「じゃ、いいね」

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