第33課題 二人の行方03
ジムのカフェコートで休んでいると
「ぷぷぷーっ。開けられないっしょ」
「うん。握力が、もう」
さすがにそれくらいはやれるんだけどな。
「あとこれも。元気になるよ」
カプリコを取り出して、封を開けてくれた。僕の口元に持って来る。
「アタシがほしーって言い続けて最近ようやくここに置いてもらえるようになったんだよね。これ。それまでバランス栄養食しか置いてなくてアガんなかったんだー。疲れてるときには甘いもんじゃない? やっぱさ」
ジュースもお菓子も食べさせてもらえて至れり尽くせりだ。
この間のことなどなかったみたいに彼女は笑っている。でもどこか寂しそうで。
「やっぱり、ボルダリングって難しいね」
「そうかな。アタシは簡単だったよ」
「そりゃ
「違うよ。
穏やかな表情だった。でもまだ、どこか寂しそう。
「そんで?
「僕、まだ一回も登ってなかったから。その、この間、登る人の気持ちわからないって言われて、その通りだなって」
「ふーん。反省してるんだ」
どこか他人事みたいな風に言う
「それでその、虫のいい話かもしれないんだけど、ペア、まだ続けたいんだ。だから、お願いします」
「いいよー」
「そりゃもちろん簡単なことじゃないってわかっているつもりだよ。許されようなんてそんな——いいの!?」
彼女はツインテールの毛先を弄んでいる。何事もなかったかのように。
「うん。あのときはムカついてたからめっちゃオコだったけど。まーアタシも悪かったかなーって。なのに
「でも、その代わり、教えてよ。
「隠してるって?」
「あのとき、ごめんしか言わなかったじゃん。それに、試合中は焦ってたからわかんなかったけど、今にして思うとさ、
僕がてんかんという病気を持っていることを知ったのは中学生の頃だった。ひきつけを起こして意識を失う。幼い頃は理由がわからず、原因不明とされていた。それが、脳や体が成熟したことによって解明され、病名が付けられた。それから朝と夜に薬を飲むようになって、発作が起きることはなくなった。薬さえ飲んでいれば発作は起きない。そう思っていたのだけれど、僕の場合はそれで解決してくれなかった。
確かに意識がなくなるような大きな発作は起きなくなった。けれど、脳を酷使すると突然直前の記憶が喪失してしまう状況に見舞われた。一時的かつ落ち着けば記憶も戻って来るので、僕はその現象を記憶が飛ぶと言うようにした。
脳を酷使すると記憶が飛ぶと言うことはつまり、長時間の思考、或いは複数の演算の同時進行が不可能ということだった。それは当時棋士を目指していた僕にとって致命的な欠陥と言えた。頑張ってはみたものの、やはりダメだった。将棋の真っ最中に記憶が飛ぶのだから、勝てるわけなどなかった。
棋士の夢を諦めてわかったのだが、考える職業と言うのは棋士だけではなかった。また同時に、仕事の最中に記憶が飛んだらいけない職業はいくつもあった。医者のように人の命に直接関わる仕事はもちろん、重機の操縦をする職人や包丁を持って作業をする料理人も難しいと言えた。
さらには車の運転免許証も手に入れづらいことがわかった。医者は免許を取るなら診断書を書くと言ってくれたが、それは別に車に乗っているときに発作が起きないことを保証するようなものではない。
てんかんは脳の病気だから、ストレスによって引き起こされることが多い。車の運転と言う未知のストレスが、必ず薬で抑えられると言う保証はどこにもなかった。
そう考えると、僕がこれから目指して成れる者と言うのは、非常に限られているように感じた。
しかしそれでも試合に出る勇気は持てなかった。途中で気を失って、客席にドローンを突っ込ませてしまったらと言う不安は払拭できなかったからだ。
僕はこれらのことをなるべく暗くなり過ぎないように
「この前、クラスメイトが僕のことを嘘吐き呼ばわりしていたでしょ?」
彼女は驚いた表情をしている。この前の試合で、彼女が言っていた言葉でもあったから。
「中学の頃に、友達とトランプでゲームをしたんだけど、そのときに考え過ぎちゃって記憶が飛んだんだ。自分がなにやっているかとか、ルールもわからなくなって、それで、素直に言ったんだ。そしたら『嘘吐き』って言われた。自分が負けそうだから嘘を吐いて無効試合にしたいだけだろうって。そんなつもりなくて、ただ本当のことを言っただけなのに」
あのときのことは、今思い出しても悲しい。
「友達なら信じてもらえるって思ったんだけど、無理だった。でもわかったんだ。本当のことだろうがなんだろうが、理解できないことは嘘に思われてしまうって。幽霊や宇宙人と同じだよ。理解の範囲を超えたことを人は認めようとしない。僕の病気だって、知らない人からすれば超常現象と同じなんだ。がんや白血病みたいにみんなが知っている有名な病気でもなければ、風邪みたいにみんなが罹るありふれた病気でもない。言って伝わらなくて嘘になるなら、閉じ込めて置いた方がいい。だから、言えなかった」
情けない話を聞かせてしまった。
僕は罪悪感のようなものに苛まれて俯いた。けれど
交じり合った視線の中で、呼吸も混じり合う。
それから眉を困らせてため息交じりに言葉を吐く。
「
「え?」
「だからー、ダチが裏切ったんじゃなくって、ただ敵が攻撃してきただけっしょ。いや、まー、それでもソイツのこと信じたいとか、仲良くしたいって思うんならいいんだけど。でも、別になんでしょ? てーかこの間昼飯食ってるときに突してきたバーガー三兄弟っしょ?」
「あ、あー、うん」
「もしさー、ソイツが
「そうなのかな」
「そりゃ宇宙人と同じとかって言われたときはへーなーるほどねーって妙に納得しちゃったけど、んなわけなくない? ちな、仏頂面マジ眼鏡には打ち明けたの?」
「いや、怖くて」
「中学んときにそんなことがあったあとじゃ言いづらいんだろうけど、アイツだったら大丈夫っしょ。だって
それからややあって、少し気まずげに、視線を逸らして唇を尖らせる。
「それにー……アタシだって別にー、初めからそれ言われてたら信じたよ。そしたらあんなに怒んなかったのにさー。なんか、事情とかわかんなかったからめちゃ怒っちゃったじゃん!」
「ご、ごめん」
「いやごめんはウチなんだけどさ。でもまあとにかくバーガー三兄弟のことは気にすんなよな。アイツらただの敵モブだから。アタシは味方。おけ?」
両手で両肩をぎゅっと握られて言われた。鍛え上げられた握力によって、肩に指が食い込んでくる。味方宣言なのに、どういうわけか恐喝の様相を呈していた。
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