第32課題 二人の行方02

 僕はピョンピョンジムことホールドストーンを訪れていた。


「お? 一人でなんて珍しいじゃあねえか」


 カウンターで受付をしている郷兎さとうさんに言われた。僕はいつも付き添いだから。


「僕もやってみようかなって」

「いいね。あっ、でも親が一緒に居ないとダメなんだ」

「いつも燈香ともかさんはどうやって?」

「あいつがどうしてもって言うからなあ。親の代わりにオレがずーっと付き添ってやってんだよ。まあ、一葉いちはもあいつのペアだしな。今日だけ特別にオレが見てやるよ」

「ありがとうございます」

「でも同意書にはサインな」


 そう言って渡されたのは、一枚の紙。このジムでケガをしても自己責任だと言うものだった。改めてボルダリングが危険を伴うスポーツだと言うことを実感する。


 着替えらしい着替えはないから、上着だけロッカールームに入れておく。シューズをレンタルして早速取り掛かる。一番簡単なコースから挑戦してみた。


 しかしそもそも運動神経がない僕は、その一番簡単なコースすら難しかった。絶妙に届きづらいホールドとホールドの間隔。わかっていても上手く使えない足。

 しかもホールドを持っているときはそのホールドに集中してしまって、次にどんな格好でどこを掴めばいいかなんて想像すらできない。

 そうこうしていくうちに握力はなくなっていって落ちてしまう。

 二度三度とやっていくうちになんとなく理解は進んでいくのだけれど、逆に体力は削られて行って理解通りに体が動いてくれない。


 四度目の挑戦。一番簡単なコースでここまで失敗するのは史上初かもしれないと郷兎さとうさんも呆れていた。そんな僕がオブザベーションだけはできると言う奇跡。手足が長くて体がやわらかくて体力も根性もあって自分の指示通りに動いてくれる燈香ともかさんと言うクライマーに出会えたからだ。

 僕は彼女のことを銀将ぎんしょうだと思った。比べればおそらく、僕なんかは歩兵ふひょうだろう。一歩ずつ前に進むしかない。けれどそもそも歩兵ふひょうの動きすら出来ているかどうか怪しい。だって、思ったように一歩前進できないんだから。


「確かに……駒じゃ、ない」


 しかしそれでも、彼女は動いてくれた。僕の導き通りに。


 僕もようやくゴールへと辿り着いた。たった3メートルを登り切るのに、何回落ちたことだろう。


「大したもんだ」


 へなちょこな僕だけれど、郷兎さとうさんが声をかけてくれた。嬉しくて、その声に応えようと振りむいたとき目に入った光景に息を呑んだ。


 意志の強そうな大きなツリ目を僕に向けて見上げる女の子がいた。深く澄んだエメラルドグリーンに釘付けになり、僕はなんの言葉も発せない。

 彼女が首を傾げると頭頂部の左右で結ばれた銀色のツインテールが、ふぅっわふわと踊った。

 彼女は銀色に燃えていた。

 艶やかに揺れる銀色を、潤んだエメラルドグリーンを、健康的に焼けた肌を、そのすべてを美しいと思った。


 そして僕は落ちた。

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