第31課題 二人の行方01

 放課後。


 僕はドローン部を訪れていた。ここ最近はずっとボルダリングペアの練習ばかりしていたから、部室に入るのも久しぶりだった。

 扉を開けると見慣れない女の子が立っていた。ぺこりと頭を下げて来る。


「こんにちは!」

「あ、どうも」


 藍人あいと以外の声を聞くとは思わず驚いてしまった。いつの間に新入部員が入っていたのだろう。


紗々棋ささきさんですよね! よろしくお願いします!」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 僕は挨拶もほどほどに、競技スペースの方へ向かった。その途中にも別の新入部員と挨拶を交わした。その子は男子だった。


 ベンチに座っていた藍人あいとを見つけて近寄って行く。


「珍しいな。紗々棋ささき

「あ、うん。すごいね。新入部員入ったんだ。これも藍人あいとの努力おかげだね」


 彼は飛呂瀬ひろせコーポレーションの御曹司としてドローンの普及を目指している。学校行事の空撮や大会での活躍が方々に知れ渡ったに違いない。


「いや、お前のおかげだ」

「僕?」


 思わず自分で自分を指してしまう。


「なにもやってないよ」

「ボルダリングペアでドローンを操縦しているだろう」


 腕組みをして空を仰ぐ藍人あいと


「ドローン単独での活動より、ボルダリングペアの方が効果的だったらしい。新入部員の二人とも、ボルダリングペアを見に行ったときのお前の活躍を見て入部して来た」

「そうなんだ」


 意外だった。


「僕みたいな童貞でもあんなかわいいギャルと付き合えるならドローン飛ばしてもいいかなって思いました。よろしくお願いします! と言っていた」

「え。そんな理由で!? って言うかなんで僕が童貞だってバレてるの!? 嘘でしょ?」

「ああ嘘だ。お前を見てカッコイイと思ったらしい」

「それも嘘でしょ?」

「それは本当だ。和服姿がよくお似合いだったと二人とも言っていたよ」


 耳が熱くなるのを感じた。和服のおかげで良い目立ち方をしたようだ。

 これも燈香ともかさんのおかげ。そこまで考えて、この間の情けない自分を思い出してしまう。


火登かとうが落ちたらしいな」


 藍人あいとの言葉に呼吸が止まる。


「どうした?」

「……燈香ともかさんが落ちたって言うより、僕が落としたんだよ」

「変わらんだろう。ペア競技なのだから」


 さもありなんと言った表情だ。

 確かにそうかもしれないけれど、あれは僕のミスだ。やはり僕なんかが、表舞台に出てはいけなかった。


「これ」


 ドローンを差し出した。

 これは部のものだ。ボルダリングペアで使わないのなら、僕が持っている資格はない。


火登かとうと別れたのか」

「別れるもなにも付き合ってないよ」

「ペアを解消したのか」

「いや……だけどいつか解消すると思う。いつまでも縋りついていたら、迷惑だと思うから」


 藍人あいとは鼻を鳴らした。それから立ち上がって僕の肩に手を置いた。


「せっかくドローン部に来たのだ。久しぶりに一緒に飛んでいかないか?」


 言われるままにベンチから離れ、ドローンを置く。FPVゴーグルを装着して藍人あいとの声を待つ。


「付いてこい。ランデブーとシャレ込もうじゃあないか」


 僕は言われるままに藍人あいとの機体に付いて行った。久しぶりのフライトは楽しかった。いつもはドローンを飛ばすと言うより、ウォールを観察しているだけだから。こういう爽快感は味わえない。

 けれども、ボルダリングペアもやはり、あれはあれで楽しい。元々考えることが好きだったから。それが人の役に立つのだから、喜びもひとしおだ。


 二人でのランデブー飛行を終えて、FPVゴーグルを外す。藍人あいとに返そうと近付く。


「なにがあったんだ」


 藍人あいとの不意の言葉。彼は自分の機体を見つめていた。


「さっき藍人あいとが言ったじゃないか。転落したんだ」

「そんなもの、あの手の競技なら別に珍しいことではないだろう。確かに火登かとうは努力していただろうし、それに見合った結果が付いて来ていた。見合わない結果になったのは嫌だろう。だがたった一度結果に結び付かなかっただけでペアの解消を考えるなど有り得んことだ。それに、俺が火登かとうの転落を知っているのは、試合を見に行っていたからだ。火登かとうは自分が落ちたことを誰にも言ってない。自分のミスだと思っているからだろう。紗々棋ささきに落とされたと思っているなら、それでお前のことを嫌いになったのなら、きっとクラスメイトに触れ回っている」


 藍人あいとの言っていることはよくわかる。けれども、そんな単純な話ではない。


「……まあ、僕が悪いんだよ」

「お前ならきっとそう言うと思った。じゃあ別に、お前が悪いと言うことでいい」


 藍人あいとのスルースキルはこんなときにも役立つ。議論を前に進ませたいとき、個人の罪悪感なんて些末な問題なのだろうから。


「それを踏まえて聞くが、お前はもう辞めたいのか?」

「……いや」


 辞めたいわけじゃあない。燈香ともかさんに失望されてしまったから、続ける権利がないと思っているだけだ。役に立てるなら、まだ続けたい。でももしもまたあんなことになったら、同じように足を引っ張る。


「相手の言うことを聞けば、相手は満足するだろう。だが、相手が満足するだけでは解決しない問題なら、解決するためになにかをすべきではないか?」

「そりゃあ、そうだけどさ」

「かく言う俺も、お前と火登の言うことを聞いてドローンを貸し出して、ボルダリングペアへの参加を承諾してしまったことを……今は後悔している」

「後悔って……え、ドローンを無償で貸したから他の人から反発が来たの? お父さんから怒られたとか?」


 藍人あいとは首を振る。


「違う。俺はお前とドローンの大会に出たかったし、もっと端的に言えばずっと遊んでいたかった。俺にとってお前との時間は大切だったのだ。お前にとってそうではないかもしれないがな」

「そんなことは」

「ある」


 断定的な物言いに、僕は口を噤んだ。仰る通り、彼が言うほど僕は彼との時間を大切にしていなかったかもしれない。少なくとも、口に出して大切だとは言ったことがないのだから。


「実際、紗々棋ささき。お前はきっと、火登かとうと一緒にいるときの方が楽しいと感じている。ドローンだって真剣に操作している」

「ごめん」

「謝るな、阿呆。俺はお前が真剣に心から楽しめることができて良かったと思っている」

「そうだんだ。あれ? じゃあ後悔って?」


 僕に無償で貸したことを怒られたわけでもなく、僕が燈香ともかさんとボルダリングペアをすることで藍人あいとと過ごす時間が減ってしまったことでもないとすれば、なんだろうか。


 僕の問いに一拍置いて、彼はため息と共にこちらを向いた。眼鏡の中から覗いた切れ長の双眸の端が、垂れ下がっている。


「今がその答えだ」


 心底寂しそうな呟きだった。僕は息を呑んだ。彼は続ける。


「何事にも真剣に成れず適当に過ごして来たお前が、唯一本気で取り組んで笑顔で楽しめる……居場所をせっかく手に入れたのに、それを火登かとうの言いなりになって手放そうと言うのだからな」

「そんな……言いなりだなんて」

「なっているだろう。お前は、本当はまだやりたいと言っていただろう?」


 そうだ。燈香ともかさんの役に立ちたいと言う願望は今もある。けれどもその前に、彼女と一緒にボルダリングペアを楽しみたいと言う思いがある。


「俺は居場所になってやれなかった。それは悔しい。だからせめてお前が自分の手で探し出した居場所は、簡単に諦めてほしくないのだ」


 こんなにも僕のことを考えてくれる友達がそばに居てくれるなんて、僕はなんて恵まれているのだろう。目の奥が熱くなる。


「ありがとう。あのさ」


 藍人あいとは視線だけで返事をする。


「ドローン。もうちょっと貸しておいてくれない?」

「好きにするといい」

「それとさ、疑問なんだけど」

「なんだ?」

「なんで藍人あいとはそんなに僕にやさしくしてくれるの?」

「お前を一目見たとき、守ってやらないといけないと思った」


 不覚にもドキリとしてしまった。


「お前は入学初日、父さんと同じ目をしていた」

「え? お父さん?」

「ああ。祖父が死に、仕方なく継いだ会社がすでに赤字経営で自己破産するしかなく、母さんにも逃げられて絶望に暮れていたあのときの父さんと」


 藍人あいとにそんな過去があったなんて。というか、僕はそんな絶望に暮れた目をしていたのか。


「当時幼かった俺が、たまたま興味を持ったドローン。隣の家のおじさんから借りたドローンで、大会に出場して優勝した。そしたら俺がまだ幼いこともあってテレビに取り上げられた。俺が嬉しそうにしているのを見て、父さんはこれだと思ってドローンの会社を設立した。結果成功。ドローンが俺たちを救ったんだ」


 自嘲めいた笑みを浮かべる。


「だからお前をドローン部に誘った。お前がどういう理由であんな目をしていたのかはわからないが、ドローンがなんとかしてくれるのではないかと思ったのだ。結局お前の瞳に光を宿させたのは俺ではなく火登かとうだったがな。まあそれでも、俺は俺に出来る選択をして、ここまでは導いてやれたと思う。そこには後悔も疑念もない。あとはお前次第だ。プロポは手放すなよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る