第29課題 月見杯02

『今回の月見杯は一味違う! 最近頭角を現し始めたスーパールーキー、火登かとう紗々棋ささきペアがクワガタカップから間を置かずの参戦! 自由奔放なギャルクライマー火登かとう選手はどういった登りを見せてくれるのか。和服の貴公子紗々棋ささき選手はどういったオブザベーションをするのか。見ものであります。そしてそして! なんと言っても日本の王者たる昇乃しょうの八馬堕やまだペアが参戦しております! 二人は相変わらず最強なのか。それとも番狂わせがあるのか。目を離せない戦いとなりそうです!』


 驚いた。大会側に認知されているんだ。実力的に認められていると言うのもあるのだろうけれど、燈香ともかさんが目立つ容姿をしていると言うのもあるのだろう。あと僕が和服なのも印象的らしい。いずれにせよ燈香ともかさんのおかげだ。


 みんなスタート位置に着く。FPVゴーグルを装着してドローンのコックピットに入り込む。


 ——プォオンッ。


 スタートの合図と共にドローンを飛ばす。ホールドの配置は序盤から難解だ。最初の5メートルまでで随分複雑なルートばかりになることが予想された。

 スローパーだけでなくハリボテがそれなりに配置されている。ハリボテと言うのは背の低い四角推型の構造物だ。ホールドが石だとすればハリボテは岩のよう。スローパーが苦手な燈香ともかさんからするとこのハリボテと言うのも苦手な部類に入る。


『おおっと! なんと昇乃しょうの選手が壁に近付いて行きます。八馬堕やまだ選手はこの迷路のようなルートを一瞬でオブザベーションしてしまったと言うのか! もはや人間業ではない!』


 遅れること数秒で全体像を掴む。今までの大会通り死路は存在しないが、燈香ともかさんの好みを選んでいくと通れない道が出て来る。

 掴みやすいホールドが多いのは青。


「青だ。燈香ともかさん」

『はいはーい』


 いつもの声色が返って来た。


 僕は細かく指示を出していく。


『え? 右に下がるの? 上に行けそうなのあるよ?』

「行けそうなだけで行けないから」


 いつもは素直に聞いてくれる燈香ともかさんが自分の意見を挟んでくる。どうしても勝ちたい試合だ。気負いがないと言うことはないだろう。それに出遅れてもいる。順当に登っていくだけでは、十秒以上の差は埋めがたい。だからと言って無理をさせるわけにもいかない。


 僕は持てる限りの思考をフルに使っていく。彼女の軌道を描いて行く。大丈夫だ。行ける。まだ追いつける。が——。


「違うそっちじゃない!」

『え!? でも下って言ったじゃん』


 そうか。僕からは見えているホールドも燈香ともかさんからでは見えなかったのか。特に真下なんて視界が狭いから勘違いも生まれやすいのに、冷静じゃなかった。


「そこから足を入れ替えて」


 ここから再計算を行うしかない。僕はフル回転していた脳をさらに酷使する。


『早い早い! 昇乃しょうの選手! 流れるような正対ムーブで登っていく。まるで水が逆流しているかのうよう! 続いて火登かとう選手が食い下がるが、難航しているようだ!』


『ねえこのままじゃ負けちゃう!』


 実況からの情報で燈香ともかさんは焦りをあらわにした。

 実際このままミスなく登れたとしても昇乃しょうの選手を抜けるかわからない。


『最短ルートでお願い!』


 彼女の願いだ。僕は先ほど考え直したルートを破棄し、再構築し始める。

 50手で詰められる内容を30手以内に詰められるように改変していく。ランジとサイファーだけじゃあなんともならないか。


「スローパーも使うよ」

『おっけー!』


 彼女は苦手なホールドも受け入れると言っている。どこまで対応できるかわからないがなりふり構わず突き進むしかない。


『ここで火登かとう選手に火が点いたぁあ! ランジとサイファーの応酬で一気に距離を詰める。豪快なクライミング! 昇乃しょうの選手へと頭一つまで迫っていく!』


 追い越せる。昇乃しょうの選手がどの辺に居るのかはわからないけれど、行ける。このままなら行けるぞ。僕がミスらなければ。次の手を教えないと。僕が。ミスらなければ。次の手。次の手は……あれ?


一葉いちは! 次は』


 ……えっと。……なんだっけ。


 思考がふわふわする。さっきまでレールの上に乗っていた車輪が、突然浮いたような感覚。思考が支離滅裂に飛び交う。


 僕、なにをしていたんだっけ?


『ねえ一葉いちは!』


 誰だっけ。この声。どこから聞こえてくるんだっけ。


「あ、えっと」


 これは、この症状は発作が起きる前の状態だ。記憶が飛んでいる。

 正直今なにをしているのかわからない。多分ボルダリングをしている。で、僕はドローンで空撮している。さっきの声は燈香ともかさんだ。燈香ともかさんに、なにかを求められている。なにを要求されているんだ?


『次もランジでいいの? 飛ぶよ?』


 いいの? 飛ぶ? そもそもランジって? わからない。わからないけど燈香ともかさんが言うなら行けるんじゃないかな。


「飛んでいいよ」


 燈香ともかさんは僕の声が聞こえるが早いか、グッと膝を曲げてそれから上方向に飛んだ。手が青色の石に引っ掛かる。が——。


『きゃああああああっ!』


 消えた。

 燈香ともかさんが目の前から消えた。

 落下したのだ。

 呆然とする中、ボフッと言う小さく空気が爆ぜるような音が響いた。


『あぁああっと! 火登かとう選手落下ぁああ!』


 ドローンで音がした方を見ると、丸い風船のようなものがクッションの上に落ちていた。

 クライミングベストが作動して、燈香ともかさんを守ってくれたのだと遅まきに知る。20メートル以上を落下したのだ。血の気が引くとともに、徐々に記憶が戻ってく。思考が形を取り戻していく。ああ、僕のせいだ。僕の指示ミスで。燈香ともかさんを、僕が突き落としたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る