第25課題 クワガタカップ02——【九度雨綾】

 今日もきっと雨が降るわね。

 空を見上げていると、隣でドローンを調整していた里見さとみが半開きのタレ目を一層細めて、おっとりとした口調で笑いかけて来る。


「いい天気だねぇ」


 からかって言っているわけじゃあない。九度雨くどう水機みずきペアの本領を知っているから言っているのだ。


 私、九度雨くどうあやは生まれながらの雨女だった。

 幼いころから体を動かすのが好きで、小学生の頃から陸上サークルに入っていた。でも試合の日はたいがい雨。たまたまだろうと思っていたけれど、そんなレベルを超越して雨に見舞われ続けた。7割前後は雨だっただろう。屋内でやるバレーやバスケットなどは、団体競技なのでやる気になれなかった。特に好きでもない人間と関係を築くと言うのが億劫だったから。


 高校に入ったとき、ボルダリングに出会った。屋内競技のこれなら雨の心配はないと頑張った。けれど、県大会以上になると壁が高くなり、同時に舞台は屋外へと移行。結局雨が立ち塞がった。

 しかし、雨の中で戦い続けて来て私は気付いた。試合の日にたいがい雨が降ると言うことは自分だけが雨の日の練習をできるということだ。雨が降るとパフォーマンスが下がる。しかしそれでも他の選手よりは雨慣れてしている自分の方が有利。


 そしてそれはオブザーバーの水機みずきも同じだ。雨が降ればオブザベーションの種類が変わる。しっかり種類だけを変えて、クオリティを落とさないようにすることは容易ではない。滑落の危険性に囚われれば、過剰に安全な道を選んでしまい、無駄な遠回りをさせることになる。降り注ぐ雨と滑りやすい壁は、ただその場にいるだけでクライマーの体力を奪っていく。これに加え手数を増やすと言うのは悪手だ。しかしそれでも、安全性を鑑みれば悪手に手を出さざるを得ない。並のオブザーバーなら。


「私とペアを組んで、後悔してないかしら」


 以前私はそんなことを言った。彼女のオブザベーションには助けられていたけれど、それゆえ、雨が降らない中でならもっと実力を発揮できるのではないかと思ったからだ。しかし彼女は首を振る。


「雨の中、必死になって壁を登るあやちゃんはすごくカッコイイと思うのぉ。そんなあやちゃんを応援できるなんて、とっても光栄だと思うわぁ。それにぃ、楽しいからいいじゃない?」


 彼女はレインコートの下からほがらかな笑みを編んだ。それはマフラーみたいなやわらかさと温かさを持っていた。


「スポーツができなくなっていくわたしの分まで頑張ってねぇ」


 スポーツができなくなると言っても、彼女は病気というわけではなかった。ただ、中学の途中から突然胸の発育が良くなり、巨乳になった。その胸に身体能力が追い付かなかったのだ。

 おっとりした性格と喋り方に加えて、この巨乳。スポーツをやりたいと言う願望が貧乳女子への嫌味な嘘に思われてしまう彼女は、周囲の女子から妬まれていた。私も会ったときに思わず「デカすぎんだろ」と小声で言ってしまったくらいだ。

 しかし彼女が嫌味や嘘を言う人間ではないことは、ボルダリングペアを通じて知ることができた。水機みずきは本当にスポーツをしたいのだ。それを誰からも理解されない。彼女もまた日陰で太陽を夢見る蕾だった。ならば共に、スポーツと言う舞台で頂上を目指そう。


 私たちは雨の中で登る道を選んで、勝利を重ねていった。

 確かな実績を重ねたつもりだった。けれど周囲の意見は違った。

 雨だったから本当は強い選手が実力を発揮できなかった、と考えたのだ。それゆえ、「九度雨くどう水機みずきペアが勝てたのはたまたま」というのが世間の評価だった。

 悔しかった。日の当たらない場所でずっと勝ち続けて来た。だからか誰からもこの勝利を信用してもらえない。事実を認めてくれない。

 けれど、それもウォール・トゥ・クライムで優勝すれば変わるはずだ。さすがにもう、認めざるを得ない。世間は、私たちの実力を。


 足元を見る。TRIOPトリオプTANTRUMタントラム。透湿・耐水性に優れたクライミングシューズ。水機みずきにプレゼントされたものだ。雨に強いシューズを贈ってくれたことは、私のクライミングの全肯定だった。彼女は雨の日を、私と共に受け入れると誓ってくれたのだ。

 彼女の思いを背負って、私は登る。今日の大会で優勝して、ウォール・トゥ・クライムへの切符を手に入れる。木漏れ日を手に入れるための切符を。




『あいにくの曇天ですが、やってきましたクワガタカップ! この暑さと湿度の中、30メートル先の頂をマッチするのはどのペアか!』


 ——ポツッ。


 一粒の雨が肩に当たった。ついに降り出して来た。

 思わず口角が上がる。これで勝負はもらったようなもの。


 ——プォオンッ。


 スタートの合図と共にドローンが飛んでいく。しばらくしてから水機みずきの指令が下る。私はいつもと同じようにそれに従う。

 簡単なことだ。ただ登ればいい。雨の中を。日向で暮らして来た人間にとっての非日常が、私にとっては日常なのだ。

 徐々に雨脚は強くなっていく。中止になるようなレベルではないが、クライムには支障が出るレベルだ。

 思い知るがいい。当たり前を当たり前に享受できない人間の実力と言うものを。


 着々と高度を上げていく。調子がいい。けれどなんだろう。なにか得体のしれないプレッシャーを感じる。ほとんどの選手が縮こまったり滑り落ちたりする中で、確固たる信念のようなものが迫って来る。ゆっくりと、しかし確実に。この正体はいったいなに……。

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