第23課題 二人の休日03

 燈香ともかさんが行きたかった店はハンバーガー屋で、スポーツ用品店は特に目星を付けていなかったようだ。


 予定通りシキブスポーツへ向かった。

 テナントは広く、天井から垂れ下がっているプレートを頼りにクライミングコーナーへ向かった。お目当てのクライミングパンツがハンガーラックに掛かっていたので、手に取って薦めてみる。


 SoiLLソイルのデニムシリーズ。足にピタッとフィットして物凄くストレッチが効くタイプで、彼女が一番懸念していたダサいと言う部分はクリアできていると思う。


「おー! カッケーじゃん。一葉いちはホントはシャレオツなんじゃん」


 褒められてついニヤけてしまう。


「濃紺色が似合うと思うんだけど」


 試着してもらうことになった。

 試着室から出て来た彼女は仁王立ちをして腰に手を当てた。スラッとした長い脚がなおさら際立っていてとても似合う。けれど……けしからん。そう、過去の自分に言いたい。考えてもみれば想像できたはずのことだ。彼女の脚やお尻のラインが強調されてしまうことは。


「じゃ、実際登ってみようかな」


 店の奥には簡易的なクライミングウォールがあった。


 彼女が足を動かすたび、強調されたヒップラインが僕の目に飛び込んできてしまい、まったく動きを追えなかった。

 これでは的確なオブザベーションができないのではないか。しかしそんな心配をよそに彼女はひょいひょいと登っていき、2メートルの壁の最上段に両手をマッチさせた。ぴょんと飛び降りてこちらに向かって来る。


「これいいじゃん。ストレッチがバチクソ効いててすごく動きやすい。ほら」


 彼女はハイキックするように自分の足を持ち上げ、Y字バランスをして見せた。


「見てよ。足をどの方向に曲げてもストレスがないってゆーの? こんなに動きやすいパンツあるんだねー。ってちゃんと見てる?」


 見られないよ! まさかこのクライミングパンツが童貞を殺すクライミングパンツだったなんて思わなかったから。


「え。一葉いちは顔真っ赤じゃんどうした……あ、もしかしてエロい目で見てたの?」

「え、あ、いや」

「アタシが勝つために真剣に選んでくれたのかと思ってたのに。そーゆー目的で穿かせたんだ」


 燈香ともかさんの語調が弱くなっていった。ああ、僕はなんてことを。彼女は真剣なのに。


「本気で選んだよ! 燈香ともかさんに勝ってほしくて。見せて。この目に焼き付けるから!」


 僕は慌ててY字バランス中の彼女のパンツに顔を近付けて凝視した。股関節周りに生地の偏りやダボつきがないかをくまなく調べる。


「さ、さすがにそれは近過ぎ」


 燈香ともかさんは目を逸らして頬を赤くしていた。おかしいな。彼女がそんな風になるなんて珍しいことだ。冷静になって自分の行動を振り返ってみる。


 ……変態じゃあないか。


 僕はゆっくりと姿勢を元の位置に戻し、丁寧に辞儀をする。


「申し訳ございませんでした」


 それから彼女には元の服に着替えてもらって、今度はクライミングシューズを見て回った。今のところホールドストーンのクライミングシューズをご厚意で貸してもらっているけれど、これからレベルの高い大会に出るならちゃんとしたものを買った方が良いだろう。彼女のプレイスタイルに合った靴があればいいのだけれど。

 どのクライミングシューズも見た目は似たような感じだが、透湿性とかグリップ力とかいろいろ書かれているから違いはあるのだろう。やはり値段が高い方が性能は良いのだろうか。ただ性能が良くても燈香ともかさんのクライムに合わなければ意味がない。


燈香ともかさんはどんなのがいいとかある?」

「んー、かわいいの」

「そうじゃなくて、性能」

「どれも同じじゃね?」

「そんなことないよ。ほらこれなんてつま先が落ちているでしょ。逆にフラットタイプもあるし」


 僕は靴を持って彼女に説明する。


「つま先が落ちているのがダウントゥって言うので、足でホールドを掴みやすいんだって」

「へー」


 今度は靴底をぐいぐいと曲げて見せる。


「それに靴底も普通の靴と比べてやわらかいんだ。ホールドを掴みやすい理由は、このやわらかな靴底のおかげで足が自由に曲げられるからなんだ」

「じゃあやわらかい方がいいの?」

「いや、それは好みに寄るみたい。あまりにやわらかいとホールドが足に刺さって痛いんだって」

一葉いちは詳しいよね。なんで?」


 心底不思議そうな顔をされてしまった。


「調べて来たんだよ。燈香ともかさんに合った靴を選びたかったから」


 改めて口に出すとなんだか恥ずかしい。

 燈香ともかさんは口角を持ち上げて満足そうにしている。


「じゃあさ、一葉いちはが選んでよ。今までアタシのムーブを一番近くで見て来たんだから、きっとアタシより一葉いちはの方がアタシのことをわかってると思うんだよねー」


 光栄な話だ。そして買い被りではない。実際その可能性はある。だから実は昨日までに下調べをしておいて、彼女に相応しい靴に目星は付けて置いた。

 僕は棚から一足のクライミングシューズを取り出し、彼女に見せる。


「おっ。かわいいじゃん。でもそれだけじゃあないんだよね?」

「うん。燈香ともかさんは銀将ぎんしょうなんだ。どこにでも行ける優秀なクライマーだと思う」


 そんな彼女をさらに飛躍させる靴。それがこのアディダス510ファイブテンCraweクロウ

 ミディアムアングルのダウントゥと中硬度のミッドソール。これらはテクニカルなルートで活きる……と雑誌に書いてあった。まさに銀将ぎんしょうにふさわしいクライミングシューズだ。さらに、バランスの取れたシューズはパワフルなムーブにも対応できるので、燈香ともかさんの雑……強力な力技も活かすことができるだろう。


「きっとこれは燈香ともかさんの躍進を支えてくれる靴になると思う」


 僕は彼女の前に靴を置いて促した。彼女の足がハイヒールから出てきて、目の前の靴の中に入っていく。僕はプルストラップに手を回して足の侵入を助けた。ベルクロをぎゅっと絞って貼り付ける。


「どう? つま先痛くない?」

「うん。ちょっときついけど、ピョンピョンが少しきつめのやつを選んだ方がいいって言ってたから、多分これで合ってんだと思う」


 そう言ってクライミングウォールのホールドに飛び乗った。それからトンッと飛び退いて着地。片足だけで姿勢を、一瞬とは言え保持する体幹はさすがだ。


 僕はシューズとパンツをカゴに入れてレジに向かい、支払いを済ませた。


「プレゼント」

「え。マ? 嬉しい! 超嬉しいんだけど! ……でもなんで?」


 レジから離れ、エレベーターに向かいながら答える。


燈香ともかさんを応援したいから」

「んでもそれだけじゃ理由として薄くない?」


 エレベーターの中に入る。


「そうだね。燈香ともかさんは、僕を引っ張り出してくれたから」


 首を傾げる燈香ともかさん。


「ずっとわからなかったんだ。僕みたいなのが大会とか、そういう表舞台に立っていいのか。でもそんな迷いを吹き飛ばしてくれた。手を取って、無理矢理にでも引っ張り出してくれた。だからわかった。なにも恐れる必要なんてなかった。僕だってやれる。大丈夫だって」


 そう言い切る僕を、彼女は真剣な目で見つめている。


「あのさ」

「なに?」

一葉いちはが童貞って嘘でしょ」

「え?」


 いや、なんでこのタイミング。


「だって絶対モテるじゃん。アタシのことなのに、こんなに一生懸命考えてくれて、プレゼントまでしてくれて。しかも自信満々の発言。そーゆーの女子絶対好きだから。こんなことしてたらモテるって、まずいって」

「なにがまずいのかわからないけれど、でも、やっぱりモテないよ。だってこんなことするのは、燈香ともかさんにだけだもん」


 僕はモテない。そう説明しただけなのだけれど、彼女は顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。「それ卑怯だって」と小声で呟いて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る