第19課題 鷹戯・紺瞳ペア02

 彼女とは高校に入学して知り合った。同じクラスで右隣の席だった。友達と呼べる友達がいなかったわたしに気さくに話しかけてきてくれて、嬉しかった。

 なにより嬉しかったのは、最初に話しかけてきてくれたのが「調子悪いの? 保健室行く?」だったことだ。

 わたしの病気のことを知らないのに、わたしは明るく振舞っていたのに、張っていたバリアをするりと抜けて、あっさり見抜いて来たのだ。


 でも第一印象は「さとい人」ではなく「かわいい子」だった。子供みたいなのだ。小学生くらいの身長に童顔が相まって、小学生が飛び級して来たのかと思ったくらいだった。真ん丸の赤い瞳に、鮮やかなオレンジ色のショートヘア。かわいくてさといひなちゃんと仲良くなるのに時間はいらなかった。


 しかしひなちゃんと仲良くなるにつれて彼女と同じ中学の子らから中学時代のひなちゃんが浮いていたことを聞かされるようになり、モヤモヤとした霞が心の中に入り込んで来た。こんなにいい子が浮く理由と言うのが気になった。訳を聞くと、彼女はとても負けず嫌いらしく、特に運動などで負けると勝つまで勝負をやめなかったのだそうだ。根負けして相手がギブアップしたり、気を遣われてわざと負けたりするとたいそう喜んだとも。そんな性格のせいで、周囲の人々は彼女の機嫌を窺うようなことが多く、一歩も二歩も引いていた。

 しかし周りから彼女がどう思われていようと、話すたびに仲良くなっていくその進行速度は変わらなかった。周りが言うほど、彼女が傲慢な女の子には見えなかった。自信があった。彼女がどんな子でも、きっと嫌いにならないだろうと言う自信が。


「ねえひなちゃん。ひなちゃんって負けず嫌いなの?」


 ある日ひなちゃんに真偽を確かめてみた。オレンジ色に染まった公園で、ブランコに乗りながら。


「そうだよ」

「どうして?」


 ひなちゃんはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの表情になって、ブランコからぴょんと飛び降りた。くるりと振り返る。


「あたしが負けたら、あたしを産んでくれたお母さんの否定になるもん」


 彼女は病気のせいで体の成長が止まっていた。それでもなお、いや、それゆえいっそう、己が体を最大限に活かし切るスポーツというステージで自分を披露し続けた。

 どうしてそこまでするのか。敢えて不得意分野で頑張るなんて、自分の得意分野を探し続けていたわたしとは正反対だ。


「ひなちゃんの得意なことで頑張ったりはしないの?」


 ひなちゃんは実はわたしより勉強ができる。絵だって上手い。わざわざ運動で頑張らなくてもいいはずだ。


「そしたら、あたしの得意分野が狭いのは私のせいだ、ってお母さんが思っちゃうから。お母さんに、この体でなんにも問題ないよって言ってあげたいんだよ」


 なんて悲しい献身なのだろう。胸が締め付けられた。


「あとまあ普通にスポーツ好きだし、勝ったら楽しいじゃん」


 ニシシと屈託なく笑う彼女に、一片の陰りもない。西日に照らされたその顔は、落ちる太陽の代わりだと思った。胸が解放されていく。


「それにね」


 ひなちゃんは続ける。


「あたしがこの体でスポーツを頑張ると、周りが褒めてくれるんだよね」


 解放された胸が再度締め付けられる。さっきはきゅうっと、今はぎゅっと。わたしがずっと目を背けて来たものたちだ。障害を乗り越える人々。お前は頑張っていないと言う針。


「本当に、反吐が出る」


 わたしは口を覆っていた。自分がうっかり言ってしまったのではないかと思ったから。でもその言葉を放ったのはわたしではなくてひなちゃんだった。

 困惑するわたしに、ひなちゃんは笑いかける。


「だって、そうでしょ。こっちはお母さんのことを思ってるだけなのに、関係ない人たちまで勝手に応援して『そんな体でよく頑張ったね』って褒めてくれるなんて、気持ち悪いよ」


 眉を困らせた彼女は、周囲からの嫌がらせに耐えているようだった。


「感動ポルノってやつでしょ? 結局みんな、あたしが頑張ってるのを応援している自分の姿に酔いしれたいだけ。気持ち良くなりたいだけ。あたしの応援なんて、二の次なんだよ」


 ああ……!

 そうだ。そうなのだ。

 そういうことだったのだ。

 わたしがずっと抱いて来た違和感の正体。

 病気の人たちが頑張ること自体は別に間違ってない。だって普通にやりたいことをやっているだけだから。でもそれを、とりわけ素晴らしいことのように見せびらかしてくる周囲の人たちの行動が嫌だったのだ。当事者と一緒に頑張っているかのような錯覚を錯覚とも思えない卑しさに対して、わたしは嫌悪感を覚えていたのだ。

 彼らはわたしに『頑張っている人たち』の本や動画を見せて、わたしを奮い立たせて、「我々が紺瞳こんどう璃々りりを勇気付けてあげた」と思いたかったのだ。だからみんな必死だった。自分こそが正義の使者になりたかったから。救世主になりたかったから。その明け透けな卑しさ、その丸見えの魂胆がたまらなく嫌だったのだ。

 ああ……! なんてことだろう。こんなバカバカしい卑しさに傷付けられて、こともあろうにわたしは「やさしさに傷付けられた」と錯覚していて、それを無視する自分が狭量だと責め続けて来た。

 あいつらは友達でもなんでもなかった。卑しい他人だったのだ。


「それに『そんな体で』ってすごく失礼じゃない? 『この体だから』できたって考えるのが普通なのに。まっ、でもそれも、全部利用してやろうって決めたの」


 ひなちゃんは飛び切りの笑顔でわたしを見る。


「そんな人たちの称賛でもお母さんが喜んでくれるから。ううん。そんな人たちの称賛だからこそ、世間から認められてるってお母さんが思ってくれるから。反吐が出るような周りの人たちの応援や嬉々として取材に来るメディアたち全員利用して、全力でお母さんを喜ばせてあげるの。それがあたしの親孝行。愛の証」


 光の中でなにも見えないなら、自らが光ればいい。より強い光になって、全部を陰らせてやれば世界の輪郭がわかるから。

 ひなちゃんはそんな意志を赤くて丸い瞳に宿しているようだった。


 わたしの将来は暗闇だった。でもひなちゃんが傍にいたら、夜明け前の街並みみたいに輪郭だけは取り戻せるかもしれない。

 それからわたしの目標は、ひなちゃんを勝たせることになった。わたしの闇を照らすために。

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