第16課題 アジサイカップ04

 かくして試合は始まった。


 六角柱の壁。アジサイウォール。一組に一つの壁が割り当てられており、選手たちは接触することなく頂上を目指すことができる。


 お互いに他の選手の動向はわからない。が、それはクライマーの話であって、引いた場所で壁を見ているオブザーバーは両隣のオブザーバーを見ることができる。隣には穂麦ほむぎさんが居て、双眼鏡を持ってスタートのときを待っていた。

 本当に双眼鏡でやるんだ。確かに30メートルくらいだったらドローンなしでも行けそうだけれど、オブザベーションは難しそうだな。


 逆隣の人はドローンを用意して、プロポの中央の大きな画面を見ていた。空撮用のドローンは通常あのようにして映像を見る。

 かく言う僕は空撮用のドローンにFPVゴーグルを使用する。三者三様のオブザーバーが隣り合っていることに感心しながらも気持ちを切り替え、ゴーグルを装着。今は自分のオブザベーションに集中しないと。

 ドローンとのペアリングはもう済んでいるので、ゴーグルを掛けた時点でドローンの視点となった。


『スタート三秒前!』


 スピーカーから声が響いた。3,2,1、


 ——プォーン。


 電子音と共に僕はドローンを飛ばした。


 壁にあるホールドは赤、緑、青の三色。どの色で登ったとしても死路——つまり行き止まりはない。だが、明らかな回り道があったり、スローパーが多かったり、クライマーの身長や性質によっては登頂困難なルートが存在する。燈香ともかさんはスローパーが苦手で、代わりに身長が高く手足も長い。それにランジやサイファーなどの飛びつきは一応できる。今のところ安定感はないが、いざと言うときには使える。ただし出しどころを間違えれば墜落の恐れもある。なにより燈香ともかさんの最高飛行距離は不明だから、なるべくなら使わない方がいい。逆に得意なのは踵をホールドに引っかけて安定させるヒールフックなどだ。一見して腕の力で登っているように思えるボルダリングだが、本当は足の力をどう活用するかが重要なのだそうだ。足技が使える燈香ともかさんは、それだけ適量な力の使い方が出来ていると言うこと。だから銀将ぎんしょうのように軽々とどこにでも速やかに足や手を運ぶことができる。それらの点を踏まえて、最短ルートを導き出す。


「青のルートで行こう」

『ほいほーい』


 ヘッドセットのマイクに向かって指示を出すと、燈香ともかさんの声がヘッドフォンから聞こえて来た。

 青は斜め下に降りたりするなど手数は多そうだがスローパーを使わなくても行けるルートだ。


『おおっと! 初めに動き出したのは火登かとう紗々棋ささきペア! 初出場のダークホースが走り出し、アジサイの丘に新しい風を吹かせる!』


 実況の声が場内に響いた。どうやらオブザベーションは最初にできたようだ。ここから先は僕のオブザベーションが間違ってなかったのかの答え合わせになる。

 右手人差し指でプロポの側面についているボタンをクリック。ゴーグルに映し出されている映像が変わり、遠かった壁が一気に近く見える。俯瞰モードからズームアップモードに切り替えたのだ。デュアルカメラを搭載しているこの機体ならボタン一つで画角を切り替えることができる。

 俯瞰モードで弾き出したルートはあくまでも机上論。実際にその通りにはいかないだろう。だからズームアップモードでホールドの向きや指の掛かり方を見て、サイファーやランジなどの飛びつき技が可能かどうか判断していくつもりだ。


『続いて飛び出したのは郷兎さとう郷兎さとうペア! 双眼鏡とスマフォで指示を出す異色のオブザーバーと! 鍛え抜かれた肉体で力任せに突き進むマッスルクライマー! ボルダリングジム・ホールドストーンの看板を背負っていざゆかん!』


 事前に実況にそんな情報が行っていたのか。自分のジムの宣伝も兼ねているらしい。そう言う側面もあって出場したのかな。だとしたらすごい訴求性のある宣伝……——いやいや今は自分たちのことを考えないと。


 燈香ともかさんに指示を出す。彼女は指示通りスイスイと動いてくれる。さすがのしなやかさだ。危なげない。


『うぉおお! ランジ! ランジ! ランジィイイイイ! これでもかこれでもかと飛びつき技を繰り出す、まさにマッスルクライム! その筋肉はハリボテじゃなかったぁああ!』


 実況の声にヘッドフォンから反応が聞こえる。


『ま? 今のピョンピョンだよね。アイツ目立ちすぎじゃね? 空気読めよマジ。ねえ、アタシもいいとこ見せたい! ランジとか行けるよ!』

「そこで張り合わなくても大丈夫。燈香ともかさんは優勝するから嫌でも目立つよ」

『でもランジしまくったらピョンピョンめっちゃ早く行けてるくない?』


 少し語気が弱々しい。不安が混ざっているように感じた。落ち着かせないと。


「それも大丈夫」


 公平を期すために6面の壁の作りはすべて同じだ。だから郷兎さとうさんが登った道筋も見えている。


「ランジを序盤で3連続おこなえるのは赤のコース。でもこっちの方が早くスタートしているから、郷兎さとうさんが居るのは燈香ともかさんが今いる場所よりまだまだ下だよ。普通はもっと手数が多くなるところをすべて飛びつき技でショートカットしたのはさすがだけれど、このあとは必ず横へ移動する必要がある。燈香ともかさんはこのまま行けば勝てる」

『りょ!』


 僕の言葉に安心したのか、いつもの燈香ともかさんの声色に戻ってくれた。彼女のツインテールが上昇気流に踊って銀色に燃えだした。背中に銀将ぎんしょうの駒が見える。これなら大丈夫。彼女の実力なら、必ず一位で頂きに辿り着ける。

 彼女は指示通り動き、まさに銀将ぎんしょうのごとくテクニカルに進み続け、頂きのホールドを両手で持った。


 ——プォーン!


『マァァァッチ! 火登かとう選手マッチ! 一位は火登かとう紗々棋ささきペア! 初出場にして一位! ダークホースが巻き起こした一陣の風は、新しい革命の風だったぁあ!』

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