第15課題 アジサイカップ03

「ねえ、ストレッチ手伝ってよ」


 そう言うなり燈香ともかさんは僕の両方の腕を取り、背中合わせになってぴょんと跳んだ。


「うぉおっ!」


 燈香ともかさんは僕よりも背が高い。そんな彼女が跳んだら僕の背中を簡単に飛び越えてしまう。バックドロップならぬフロントドロップをかましてしまう。なんとか踏ん張って最悪の事態を回避する。


「危ないよ!」

「えへへ」


 僕が真剣に注意しても悪びれる様子もない。


「ダイジョーブ。ケガしないように注意してるから。でも驚かせたならごめん。一葉いちはをからかうと顔が真っ赤になるから面白くてさー」


 ヒッヒッヒと笑った。僕は言われて自分の顔に手を当てた。ほのかに熱を持っていることがわかった。


「からかってる意識はあるんだね」

「嬉しいくせにぃ」


 そう言って僕の胸をツンと突いた。その爪は短く切られていたが、所々に筋が入っていて、先も欠けていた。ヤスリで仕上げてはいるのだろうけれど、どうしてもデコボコになってしまうようだ。毎日の練習の痕が、爪の先から伺えた。


「ネイル、した方が良いんじゃない?」

「え? アタシ遊びでやってるわけじゃあないんだけど」

「そうじゃなくて、爪の保護のために。なんだっけ、マニキュアって言うんだっけ」

「あー」


 燈香ともかさんは置いてあったカバンからポーチを取り出して、そこからマニキュアを取り出して自分の爪に塗った。


「おすそ分け」


 手の甲を掴んだかと思うと僕の爪にもマニキュアを塗ってくれた。普通に考えたら絶対要らないおすそ分けだけれど、燈香ともかさんから貰ったと思うと嬉しくなってしまうのが悔しい。


「でもやっぱ、中途半端だなー。ここまで来たらガッツリやりたくなっちゃう」

「それは我慢して」


 爪にストーンなんて付けたら邪魔になるだろうし、万が一脱落させたらルール違反になりかねない。安全面を考慮して、アクセサリー類を付けることは禁止されているのだ。


 燈香ともかさんが僕の後ろの方を見て目を丸くする。


「ピョンピョンだ!」


 振り返るとそこにはタンクトップ姿の郷兎さとうさんが居た。兎だからピョンピョン。たまにシゲシゲとか言ったりするときもある。筋骨隆々な姿には似合わない名前だ。


「よう二人とも。調子はどうだ?」

「バッチ! 一葉いちはも」

「え、僕も? ああ、まあでも悪くはないからそうだね」

「はっはっは。息ピッタリじゃねえか」

「シゲゲのピョンピョンはアタシの応援に来てくれたの? ありがとー!」

「いや違う。てーかなんだそのシゲゲのピョンピョンって」


 その問いに郷兎さとうさんを指す燈香ともかさん。僕は彼女の指を包んでそのまま無言で降ろさせた。


「じゃあなにしにここまで……まさか浮気!? アタシと言うものがありながら!?」

「誤解を招くからやめろ!」

「ごめんなさいパパ」

「わざとやってんだろテメー!」


 二人で騒いでいると、周りからひそひそと声が聞こえた。視線が痛い。


「シゲシゲが大声出すからー。それで? 本当はなにしに来たの?」


 彼女の言葉に、吊り上がっていた眉尻が落ちる。いろいろ諦めたようだ。


 それから肘を上げ、拳を掲げる。力こぶを作り、そこをもう片方の手で叩く。


「パワー!」


 声を出したのは燈香ともかさんだった。


「変なアテレコやめろ!」

「ん? カッチカチやぞ! だった?」

「違う……って言うかお前何歳だよ。いつのネタだと思ってるんだそれ」

「知らなーい。なんか最近ショート動画で見たんだよね。昭和を代表するネタだって」

「そこまでは遡らんし代表もしてない」

「フェイクニュースだったかー。恐るべし情報化社会」


 二人の会話を聞いていると試合が終わってしまいそうだ。


「それで郷兎さとうさんは一体なにをしに来たんですか?」

「あ、ああ、そうだった。オレも登りに来たんだよ。今日のオレはライバルだぜ」


 力こぶを作った手の指先がボルダリングの壁を指していた。


「ま?」

「マジだ」

「えーっと、ピョンピョンって女の子だったっけ?」

「オレは男だ。ボルダリングペアに性別は関係ねえんだよ。確かに男は筋力があるかもしれねえが、その分体は重くなる。それに女は男にはねえ柔軟性を持ってる。柔道や空手みたいに体重差や筋力差がそのまま勝敗に直結するような対人が基本になる競技ならともかく、身体の総合的な能力を問われるボルダリングはその限りじゃあねえってことだ。第一、おめえさんとペア組んでる紗々棋ささきも男だろう」


 言われてみればそうだ。この競技、クライマーやオブザーバーに性別の決まりはなかった。今まで見て来たクライマーが女性だったものだから、なんとなく女性がクライマーをやる競技だと思っていた。


「ペアの人は?」


 燈香ともかさんの問いに、郷兎さとうさんが振り返って手招きをした。するとベンチに座っていた女の子が走って来た。中学生くらいだろうか。


「姪っ子の穂麦ほむぎだ。たまに店番手伝ってもらってる」

「あー、見たことある。ホムホムって言うんだ。よろしくね」

「ホムホムではなく穂麦ほむぎさんだよ。よろしくね」

郷兎さとう穂麦ほむぎです。よろしくお願いします」


 とても礼儀正しいいい子だった。


穂麦ほむぎさんもドローン操作できるんですね」


 僕の問いに彼女はフルフルと首を振った。そして首からぶら下げていた双眼鏡を掲げる。


「これで見ます」


 ……え?

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