第二幕前編

第12課題 “真偽一体”——【昇乃佳奈美1】

「そろそろ休憩にしないか? 佳奈美かなみ


 クライミングウォールに張り付いてたわたしの背中に声が掛けられた。

 振り返ると尚輝なおきくんがスポーツドリンクを掲げていた。

 わたしはそのまま5メートルほど降り、クッションの上に足を下ろした。ふかふかのマシュマロの上を歩くようにして尚輝なおきくんがいるベンチまで向かう。


「あまり根を詰め過ぎるなよ。君が体を壊しては元も子もない」

「うん。ありがとう」


 尚輝なおきくんからペットボトルを受け取り、それを飲んだ。少し休んだら、もうちょっと頑張ってみよう。この10メートルの壁をあと10往復はしないと。


「あまりわかってなさそうな顔をしている」

「え? そう、かな?」


 飲みかけのペットボトルから口を放した。

 尚輝なおきくんは鋭い目つきでわたしを見下ろしながら、頭にポンと手を置いた。


「練習はここまでにしよう。私が居ないときに勝手に練習するのもダメだ。佳奈美かなみが努力家なのは良いことだが、度を越してしまうときがあるからな」

「でも、わたし……足を引っ張りたくなくて」


 わたしが俯くと、彼のため息が聞こえた。肩が沈んでいるのも掌から伝わって来た。


「引っ張っていい」

「え?」


 彼の顔を見上げた。いつもは厳しそうに吊り上がっている眉尻が、今は柔和に下がっている。


「お互い様と言うことさ。我々はペアだろう? 私は登れない代わりにオブザベーションを頑張る。君はそれに応じる。どちらかだけが頑張っているわけではない。佳奈美かなみが頑張れないときは私が頑張ればいいし、私が頑張れないときは佳奈美かなみに頑張ってもらう。ただそれだけだと思うのだが?」

「う、うん……」


 彼は姿勢を低くしてわたしの顔を覗き込んで来る。


「なにか不満かな?」

「だって、尚輝なおきくんが頑張れないときって、ないじゃない?」

「たまたま私が頑張れているのが続いているだけさ。気にすることではない。とにかく、佳奈美かなみは自分を追い詰め過ぎないように」


 頭を撫でられた。尚輝なおきくんはとても自然にスキンシップをしてくれて、それが全然いやらしくない。家族みたいなのだ。それに、彼の大きな掌で撫でられると、とても安心する。

 でも、ずっと昔からある不安は簡単に消えてはくれない。負けたらどうしよう。尚輝なおきくんに見放されたらどうしよう。そんな不安は。


 わたしは小さいころから器用貧乏だった。なにをやってもそれなりにできるけれど、決して一番にはなれない。周りで一番に成っていく子に取り残されては、焦燥感に苛まれていた。そのうち焦ることにも疲れ、一番に成れないことから離れて行った。

 地味で目立たないわたしのことを、周りの子たちは少し下に見ていたと思う。被害妄想かもしれないけれど、多分当たっている。

 人並みに恋もしたけれど、成就したことはなかった。男の子たちは、派手でキレイな女子を選んだから。わたしは路傍の石ころと大差なかったんだと思う。

 そんなわたしでも、青春してなかったわけではない。打ち込めることがあったのだ。それがボルダリングだ。誰とも競わずただ一人で黙々と課題をクリアしていく。性に合っていたと思う。できなくても焦る必要はなかった。


 ある日ボルダリングジムの受付の人からボルダリング大会へ出場することを勧められた。競うことは苦手だったけれど、これまでの成長を自分自身実感したい気持ちがあったので出ることにした。

 結果、優勝した。

 一番に成ることに慣れていなかったわたしは、たまたまだと思った。でも周りの人たちの声は違った。みんな「すごい」と言ってくれた。キラキラとした瞳でわたしを見てくれた。それは路傍の石ころに向けるようなまなざしではなかった。なにかで一番に成ると、こんなにも違うのだ。みんなに認められて、嬉しかった。


 しばらく一人でボルダリングをしていると尚輝なおきくんが訪ねて来た。ペアを組んでボルダリングペアをやってみないかと誘われた。特に断る理由もなかったのでオファーを受け入れた。

 しばらくは大会に出ず、二人での練習が続いた。その間に彼のオブザベーションは精度を増していった。


 そして満を持して大会に出場し、優勝した。初出場にして優勝を飾り、メディアに注目されるようになった。今度は周りの人だけじゃなくてもっと遠くの人たちの見る目が変わった。

 みんな、わたしのボルダリングを褒めた。最初は嬉しかった。でも、回数を重ねるごとに増していく称賛は、一方で疑念を生んだ。もしかしたらみんな、わたしからボルダリングを取ったらなにもないことを知っているから、ボルダリングの結果を褒めるのかな。そんな風に考えると、突然怖くなった。

 負けたらきっと掌を返されると思った。だからいっそう頑張った。そしたらいつの間にか何度も大会で優勝するようになっていた。


 ある日スポンサーが付いた。うちのクライミングパンツを穿いてくれないかと言われて、言われるままに穿いた。ただクライミングパンツを穿いただけなのに、褒められてお金がもらえた。


 それからまた少ししてテレビCMのお話が来た。スポーツドリンクを飲んで一言セリフを言うだけで良かったので受けることにした。実際にテレビで流れたCMを見て驚いた。自分がかわいかったからだ。プロのメイクの人に化粧をしてもらったし、そのうえで画像も加工されていたようだった。テレビの中で仕上げられた偽物のわたしを見て、本物のわたしはただただ焦った。

 そのCMのあとだったと思う。わたしがかわいいと言われ出したのは。わたしはみんなの願望に応えるためにメイクを覚えた。スポーツする人にふさわしいナチュラルメイクを。そんなわたしを見て尚輝なおきくんはエステを薦めてくれた。みんなが作った偽物に向かって登って行った。


 そう。偽物はいつだってわたしの上を登っていた。

 彼女はたまにボルダリングの最中に現れることがある。わたしよりもかわいいわたし。わたしよりも強いわたし。わたしよりも人気者のわたし。みんなの昇乃しょうの佳奈美かなみならこんなムーブをするだろう。もっとやわらかく、もっと軽やかに、もっとあでやかに。わたしは偽物のわたしに追いつくために登っていく。するといつしか追いついて、ピタリと重なる。偽物になれる。

 そうなったときわたしは、とても心地よいのだ。


 偽物とシンクロする不思議な現象。わたしはそれを“真偽一体アイドルワーシップ”と名付けた。

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