第10課題 ドローン01——【紗々棋一葉2】

 燈香ともかさんが放課後ドローン部に来ると言っていた。おそらく僕をボルダリングペアの相方として大会に出ることを認めてもらうために頼みに来るんだと思う。

 けれどその前に、僕は僕として藍人あいとに話しておかないといけない。なんでもかんでも燈香ともかさん任せではいけない。


 300平米を緑色のネットで囲まれたドローン飛行場。その入口付近に置かれたベンチに座って、藍人あいとに話しかける。


燈香ともかさんが、僕とボルダリングペアをやりたいって言ってくれた」

「お前は、やりたいのか?」


 眼鏡の奥のシャープな瞳が刺して来た。


「やりたい気持ちはある。けど、自信がない」

「自信、か。俺が大会に出るように勧めたときにもそんな断り方をしたな。腕前は確かだと思うが?」

「僕は、大事なところで思考停止してしまうから。部のドローンを壊してしまうのが怖かったんだ。なら、やらない方がいいかなって」

「誰だって、プレッシャーは感じるぞ。俺とてそうだ。お前がそんな風に思ってしまう根拠はなんだ」

「根拠……」


 燈香ともかさんにも同じことを言われた。


 根拠はある。それは将棋を辞めた理由と同じ。持病のてんかんが、僕の思考を邪魔するんだ。薬を飲んでいるから倒れたりはしないけれど、それでも難しいことをずっと考えていると発作の予兆を感じるときがある。そして、倒れなくても記憶が飛んでしまう。今自分がなにを考えていたのか。なにをしようとしていたのかわからなくなる。すごく怖いんだ。さっきまでの自分の思考回路と感覚がなに一つ信用できない。

 中学の頃、それを友達に話したら、嘘吐き呼ばわりをされた。

 わかっている。普通ではわからない感覚だ。だから聞いてくる。「記憶が飛ぶってなに?」でも答えられないよ。僕だってそのようにしか言えないのだから。

 理解を求めて言葉を尽くすほどに、嘘吐きとしての疑惑が深まっていった。結局理解は得られないまま、僕だけが傷付いて終わった。


 藍人あいとはわかってくれると思う。でも怖いんだ。一瞬でも疑いの目を向けられることすら、耐えられそうにない。


「根拠もなく、ただ自信がないと言うだけなら、原因究明も解決もできない。つまるところ、火登かとうの足を引っ張るのではないか」


 根拠はある。でも、藍人あいとの言う通りだった。


「ちょっと待ったー!」


 ネットの向こう側から声が響いた。指がネットをガシッと掴んでいる。


「なんかよくわかんないけどアタシの話してたよね? そんで足を引っ張るとか言ってなかった?」

「ああ」


 ネットから離れて駆け出す。入口を目指しているようだ。


「——ノンノンノンノン!」


 大声を出しながら距離のある場所から全力で駆けて来た。


一葉いちは助言神じょげんしんだから! 絶対絶対絶対足を引っ張らない! 寧ろ手を引っ張ってアタシを天辺まで連れてってくれるから!」


 僕たちの前まで来て仁王立ちになる。


「そう言うわけで一葉いちははボルダリングペアに出るから! アタシと! あ、これは部のドローンだから大会以外で使うなー! とか言うんでしょうよそうでしょう。でもね、アタシ考えたんだ。吹奏楽部って野球部の応援に行くじゃん? コンクールとかそう言うのじゃなくても部の楽器を使うじゃん。だったらドローン部も同じなんじゃないって。ドローンの大会以外にもドローンを貸し出すこともOKにしていいんじゃないって思ったの。どよ? どう思う?」


 早口でまくし立てて、藍人あいとにずんずん近寄って行く。燈香ともかさんの距離の詰め方が香車きょうしゃみたいに一直線で淀みがない。藍人あいとは後退……って言うかほとんどバックステップをしながら言葉を返す。


「そもそも禁止してないし、問題ないぞ」

「そうだよねわかるわかる確かにドローンは高額なものかもしれないし前例がないかもしれないけどそういうところでフロンティアスピリッツを——っていいんかーい!」


 燈香ともかさんが膝から崩れ落ちながら今度は座っていた僕の方に雪崩れ込んできた。僕の膝に手を突いて立ち上がる。


一葉いちはが浮かない顔してたから反対されてたのかと思った」

「そんなことはない。が、俺としても腑に落ちない部分もある」


 藍人あいとがドローンのコントローラー——プロポを渡してくる。


「お前は実力があるのに、ずっとドローンレースに出なかった。何度勧めても、だ。なのに火登かとうに誘われたらそっちに出ると言うのは、友として裏切られた気にもなる」


 僕の行動だけを見れば、藍人あいとより燈香ともかさんを優先しているように感じるだろう。気を悪くするのも仕方ない。


「無論、お前がそう言うつもりではないことくらいはわかっている」


 僕の不安を察してか、藍人あいとは相変わらずの仏頂面でフォローしてくれた。


「だから、勝負しろ。俺に勝ったらドローンは自由に使っていい。その代わり負けたら今度のドローンレースに出場しろ」


 藍人あいとは掌に載せたドローンを突き出した。両掌にすっぽり収まるこのサイズはレーシングドローンだ。空撮用のデカい機体とは違い、敏捷に振り切った小さな機体は風の抵抗を受けやすく、操縦が難しい。彼はレーシングドローンの操縦が得意で、前回も大会でいいところまで行っている。

 なぜ勝負になるのかわからないけれど、それで藍人あいととしては納得できるのだろうか。


「ヒロヒロって案外脳筋なの? 青春の一ページを情熱と言う名のキャッシュでお買い上げしたい系? 一万円入りまーす!」


 居酒屋の店員みたいに元気な声だ。


「じゃああとは一葉いちはが勝つだけだね。よろー」


 勝つだけって。相手はドローンを取り扱う飛呂瀬ひろせコーポレーションの御曹司であり、このドローン部の部長の飛呂瀬ひろせ藍人あいとだ。簡単な話ではない。けれども、ここで降りるようなら火登かとうさんのペアになる資格はない。


 藍人あいとは一足先にアスレチックコースの部屋に入った。強化アクリルで作られた透明な部屋は、外気の影響を受けない。風の影響を受けやすいレーシングドローンが、公平にタイムを競えるように配慮された作りである。


「勝負の内容は簡単。レーシングドローンでアスレチックコースをどちらが速く駆け抜けられるかの一本勝負」


 藍人あいとがドローンの本体の電源を入れ、次いでプロポの電源を入れる。眼鏡を制服の胸ポケットにしまい、FPVゴーグルを掛けた。僕もならって機体とプロポの電源を入れ、首にかけていたFPVゴーグルを手に取る。右側面にあるリンクボタンを長押しして起動させる。ペアリングが開始され、ドローン付属のカメラに接続される。ゴーグルを装着すると右半分にドローンからの映像が映っていた。


 スタート位置に滞空させて、ゴーグルの左側面のボタンを押す。今度は全体がドローンからの映像——まさにファースト・パーソン・ビュー一人称視点になる。まるでドローンのコックピットの中にいるよう。浮遊感までもが体に伝わっていると錯覚する。


「用意は良いか」

「うん」

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