第07課題 二人の始まり01——【火登燈香1】

 んー、やっぱそーかー。

 尚輝なおきからの連絡を受けてからのアタシの第一の感想はそんなものだった。


「でもさー、別れよう、って、そんだけぇ?」


 文面にはそうとしか書かれてない。取り付く島もないって感じ。ん? 島付く鳥だっけ? どちでもいっか。なんにせよ新しい女ができたってことはわかってた。ボルダリングペアの相方、昇乃しょうの佳奈美かなみ。アイツが尚輝なおきを奪った。


 一応答え合わせしておくためにメッセージを送る。


『新しい女? 昇乃しょうの?』

『そうだ』


 答えがわかったところでなにってわけじゃあないんだけどね。別に復讐してやろうとか思わないし。だけどそのあと聞いてもいないのにどしどしメッセージが送られてきて気が変わる。


『彼女は素晴らしい才能の持ち主だ』『私はそんな彼女をさらに輝かせることができる』『私でないといけない』


 うるせーし。ナルってんじゃねーし。

 ふつふつと苛立ちが込み上げてくる。

 ボルダリングの女王だからってなに。アタシだってなれるし。まだやってないからできないだけだし。クッソ。絶対見返してやる。アタシの方が良い女だって証明してやる。

 苛立ちそのままにスマフォで近くのボルダリングジムを探して自転車をかっ飛ばした。


 国道から二つ外れた、住宅地と賑やかな道路のちょうど間くらいにそのジムはあった。看板にはカラフルな色でホールドストーンと書いてあった。


 ジムに入るとすぐ自販機があり、その横に受付があった。マッチョで髭がボーボーのおじさんがお出迎え。


「初めて?」

「うん」

「じゃあこれに記入して」


 ペンと紙を渡される。アタシは特に中身を読まずに、レ点を打ちまくって名前を書いて即効で手続きを済ませた。


「ちょっと待て嬢ちゃん。おめーさん、いくつだ?」

「16だけど」

「18歳以下の人は親御さんの同伴が必要なんだ」

「ふーん。じゃあいい。他のジム行くから」

「他のジムも同じだぜ?」

「そーなの?」

「ああ。ボルダリングは楽しいけれど危険が付き物のアクティビティだからな。さっき嬢ちゃんが書いてくれた誓約書にも『ルール通りにやってもケガをしてしまうことはあるし、ケガをしてもジムの責任じゃないから勘弁してね』って書いてあっただろう?」

「そーなの?」

「そうなの!」


 あんなにたくさん字が並んでたら見落としちゃうよね。まあそもそも読んでなかったけど。てーか、アタシはただボルダリングがしたいだけなのに、なんで怒られなきゃいけないんだろう。マジ最悪。


「とにかく親御さん連れてこないことには」

「えー、じゃあアタシ、一生ボルダリングできないじゃん」


 ふてくされて深くため息を吐くと、ジムのおじさんは驚いた顔をしていた。それから少し困った顔をする。


「そうなの?」

「そーなの!」


 嘘じゃない。


「アタシんち、パパは居ないしママはずっと働いてるからさ。来れないんだ。……あ、そうだ。おじさんがアタシのパパになってよ」

「は?」

「だってちょうどアタシのパパ枠空いてるし? いいアイディアじゃん。ねー、いいでしょ? どうせおじさ――パパはずっとここに居るしアタシいい子にするからぁ」


 甘えた声で腕にしがみついて上目遣いをして唇を尖らせてみました。さあ、おじさんの答えは……


「しょうがねえなあ。まあ、それだけ熱意があるってことだもんな」

「ぃやったぁ!」


 親が来れないってだけでつまずいてられないもんね。アタシは女王に勝つ女なんだから。

 そうと決まればさっそく練習。


「このあとはどうすればいいの?」

「ロッカールームで着替えてきたらクライミングシューズを貸すから」

「着替え持って来てないからクライミングシューズ貸して」

「何センチだ?」

「アンダー65のトップ80!」

「なるほどCカップか……じゃねえ!」


 真っ赤になって声を荒げた。


「24.5センチ」


 パパはカウンターの後ろにあったシューズを出してくれた。レンタルだから仕方ないけどダサい。しかもベルクロを何度もくっつけたり剥がしたりしたせいか、やわらかい方がもっさりしてる。こんな限界ベルクロ初めて見た。


「本当はちょっときつめを選ぶんだが、レンタルだからな。ジャストサイズを渡しておくぜ……ってちょっと待ったー!」


 パパの突然の大声。


「なに?」

「爪ぇええ!」


 指差されて自分の爪を見る。確かにこれじゃあ登れなさそう。考えているとパパが受付のカウンター下から爪切りを取り出してよこした。


「このまんまじゃ無理ゲー?」

「当たり前だ。あぶねーだろ。さすがにそれは許さんぞ」

「わかったよぅ。パパの言う通りにしますぅ」

「わかったなら良いが、パパと言うのはやめろ。変な誤解を受ける」

「どんな?」

「変な!」

「名前なんて言うの?」


 パパは自分の胸に差してあるネームプレートを見せてくる。郷兎さとうしげると書いてある。


「兎ちゃんかぁ……じゃあピョンピョンって呼ぶね。よろー」

「ぴょお!?」


 ピョンピョンは驚いた声を出していたけれど、しばらくしたら慣れたみたいで呼んだら普通に返してくれるようになった。説教臭いヤなタイプの大人かと思ったけど、結構いい奴なのかもしれない。ちょっと気に入った。


「どこのジムに行ってもそうだが、基本的には課題ってのがあってな。色と数字が書いてあるだろう?」

「うん」

「例えばピンクの1ならピンクの1って書いてある所だけを登って行くんだ。ピンクの1でSって書いてあるところがスタートでGって書いてあるところがゴールな」


 アタシは言われた通りピンクの1のSの前まで行った。壁の近くの床はクッションになっていてスフレケーキばりにふわふわしていた。白い粉が掛かっているから余計にスフレみたい。寄せてるのかな。


「で、Sのホールドを両手で持って、足を安定させたところでスタートだ。床の力を使って飛び上がったりしないようにな」

「ピンクの1を掴んで……足は?」

「足はどこに置いてもいい。初心者の課題だからな」


 ふーん。なんか簡単そう。ホールドも小っちゃいけれど持つのは簡単。なんかグリップがすごく効いてるからちょっと指を掛けただけで登れちゃう。

 ほい、ほい、ほい。

 と登っていくと簡単にGまで来た。

 え。なにこれ超楽勝じゃん。


「すげえな。初級とは言え一発クリアか」

「えへへぇ。アタシ才能あるかな」

「あるある。おめえは手足が長いから余計簡単にできるんだろうな。次はな」


 ピョンピョンは次々にアタシに新しい課題を出してくれた。付きっ切りなのはありがたいし、パパ役だから仕方ないけど、他のお客さんとか大丈夫かな。アタシ以降誰も来てないのかな。だったら暇過ぎじゃない? いや、暇過ぎじゃない!?

 Gマークに辿り着いて振り返ったら、ちょうどジムの全貌が見渡せた。PP(ピョンピョン)以外いない。ド暇じゃん! アタシがパパにしてあげなかったら暇過ぎてハゲてたと思う。感謝してほしい。


 それからしばらく続けると、腕がだるくなって指先の感覚がなくなって来た。握力が死んでるっぽい。


「そろそろやめるか?」

「まだまだいけるよ」

「そうか。でもまあ一息入れよう。ジュース奢ってやるよ」

「ありがとうパパ!」

「ピョンピョンな!」


 パパって言われるのは相当気まずいらしい。いいじゃんねぇ。こんなかわいい娘がいるってみんなが知ったら羨ましがるのにね。てーか誰もいないのにね……。

 缶ジュースを貰って蓋を開けようとして、固まった。


「え、えぇ……?」

「あー、やっぱりか」


 そう言いながらピョンピョンが代わりに蓋を開けてくれた。


「そんだけ握力がなくなってるってことだ。今日はもう終わりにしておいた方が良い。これ以上やるとケガするぞ」


 缶ジュースの蓋も開けられないくらいに握力が死んでるなんて思わなかった。言われた通りにした方が良いみたい。

 ピョンピョンにお礼を言って家に帰ることにした。

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