第一幕
第01課題 二人の出会い01——【紗々棋一葉1】
持病を理由に将棋の奨励会を退会した僕が、ボルダリングを始めたばかりのギャルの
僕は子供のころから考えることが好きで、新聞の隅にある詰将棋を解くことを日曜日の日課にしてしまうような、極めて大人しい路傍の石ころのような少年だった。小学六年生の頃に将棋の道を志して、ギリギリの棋力でなんとか奨励会に入会したのだけれど、そのあと脳の病気が発覚して夢を諦めた。中学二年生の頃だった。
それから一般人になるのには苦労した。二年以上、将棋のことばかりを考えて、一般的な勉強を怠っていた僕にとって、中学二年生後半から三年生に至るまでの間に志望校を決めることは困難を極めた。自分がどれくらいの学力なのか、今から勉強してどこまで伸びるのか、得意科目はなにか……そういう現実的な問題以前に、まず自分がなにをしたいのかがわからなくて悩んだ。いや、悩むことすらできなかった。だからなんとなく近くの
中学生のときの同級生も数人入学していたが、あまり活発ではなかった僕は、彼らにあっけなく取り残されてボッチを決め込んでいた。
そんな僕に声をかけてくれたのが、前の席の
「
振り返りざま、なんの脈絡もなく出し抜けに言われて困惑した。でも多分、彼女には目的も意味も特にない。
「……
「いっちー!」
そう言ってきゃらっと笑って周りの女子を見た。キラキラした小さな石を載せた長くて細い爪を僕に向ける。
「みんなもいっちーって呼んだげてよ」
彼女の下心もなにもないただノリだけの言葉に、周りは笑顔で答えて、僕のことをいっちーと呼んだ。
僕は笑顔を取り繕ったが、多分すごくぎこちなかったと思う。
「アタシは
自分でいっちーと言っておいて、数秒後には忘れて名前を呼び捨てにするあたり、本当にただのノリだったんだと思う。それは僕にはない感覚だった。自分にはないものを持っている彼女を素直に素敵だと思った。そしてその感想は話す回数を重ねるごとにより濃くなっていった。
僕は考えるのが好きだ。将棋も囲碁もトランプゲームも。だからずっと運要素の少ないロジカルな遊びに興じていた。誰にも負けない自信がある。でも彼女はロジックが当てはまらない。いつもなにを考えているのかわからない。次にどんな言葉が飛び出してくるのか想像もつかない。幼き日にやった、ガチャガチャのような人だと思った。
「カプリコってマジ神じゃね? いや、神がカプリコ説まである」
この言葉が出て来たのは、確か戦争の話から宗教の話になって神様は居るか居ないかと言う話をした直後のことだったと思う。記憶力には自信がある僕ですら、あまりの脈絡のなさにいきさつを正確に覚えていられなかった。
彼女はどんな思考回路をしているのだろうか。中学でも同じような感じだったのだろうか。家庭環境はどうなのだろうか。見るからにギャルだけれど、ギャルの趣味ってなんだろうか。バイトはしているのだろうか。仲良さげに話している子は同じ中学の子だろうか。将来はなにになりたいのだろうか。
時折、窓の向こうを見て浮かべるあの寂しげな表情の奥で、彼女はいったいなにを考えているのだろうか。
気が付けばずっと彼女のことを考えていた。
「なぁに?」
「え……あ!」
彼女の背中を見ていたつもりがいつの間にか目が合っていた。ドギマギして、言葉が喉につかえてしまう。
そんな僕を見て、彼女はニヤァっといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「もしかしてアタシに惚れちゃったぁ? 罪だなぁアタシって! 一人七つの大罪じゃん」
当の本人がきゃらきゃらと笑うもんだから、ともすればストーカーチックな僕の行動もただの笑い話になる。周りが温かく笑って、僕は救われる。
「それか、もしかして透けブラしてる? 透けブラの大罪?」
「そ、そんなことはないよ……!」
そんなことはなかったのだが、それから妙に意識してしまって、汗ばむ陽気には彼女のブラの透けっぷりを目で追うようになってしまった。こんなことではいけないと思い、勇気を振り絞って透けていることを指摘した。すると「透けるなら、透かしてしまおう、ホトトギス」とふざけられてしまい、僕の勇気はなかったことにされてしまった。
それまでもずっと訳がわからない行動を取って来た
周囲の友達に訳を聞かれて彼女は答える。
「彼氏にフラれたから、ボルダリング始めたんだよね」
ちゃんと理由を話してもらったはずなのに、訳がわからなかった。
周りの人たちはなんとなく理解したような風だったけれど、僕はわからないまま、モヤモヤしていた。
ボルダリングかぁ。
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