6
「この女、名乗っておらぬ」
マツオは、キッパリとそう言った。
しかし、リリーはなんとなくピンときていない。
「え、えっと、それで?」
「ありえぬであろう? 殺しの依頼ぞ」
「でも、だから名乗らないってことも」
「標的である兄の名を部族名から全部明かしてておいてか?」
「え、あ、確かに……ありえないわね。というか不自然だわ」
「で、あろう」
そこまで言うとマツオは「まあ考えられる線がないわけではない」と前置きして続けた。
「拙者も馬鹿ではないからな、魔法というものの存在は認めておる」
「ええ、そうね、で、なんなのそれが」
「実の兄を殺し、甥から継承権を奪い、そしてその妹である姪に甥の暗殺をさせようと企てる。さて、リリー、もしそなたらの使う魔法とかいうもので相手を操れるとしたら、お主ならどういう手法を取る?」
「え、それは……」
リリ-は腕を組んで黙り込む。
そして、はたと手を打った。
「兄妹の情を利用して近づき、油断させてから殺す」
「うむ、それであれば名乗りは必要なかろう」
いいや、それだけじゃないわ。
リリーは、きっと疾うの昔にその事実にたどり着いているであろうマツオの顔をまじまじと見ながら、術者の思惑に思いを馳せた。そう、ダークエルフの女が名乗らなかったのは呪の力、その理由は。
「警吏に捕まったときに口を割らないため、か」
「うむ、きっと自分の名を名乗らなかったのではなく、名乗れなくされておるのではないかな」
「いや、それで正解よきっとあってる」
でも、なんでそんな初歩的なことに気づかなかったんだろう。
リリーは唇を噛んで後悔する。しかし、さすがは聖域のハイエルフとして恐れられる女傑だけあって、即座に非を認め冷静に分析して一言。
「軽く、呪いを食らってたのね」
「さぁどうだかな。ただ、まあ、そういったわけで疑ってはおったよ」
「まったく、たいした人間よねマツオは」
「はっはっは」
リリーは心からマツオを褒め、少しばかり恐怖した。
その洞察力、注意力、そして、腕っぷしの強さで生きてきた人間とは思えない繊細な感覚と物事の理解力。どれも一級、感嘆に値する。しかし、何より恐ろしいのは、この世界でヒト類最弱であるはずのヒューマンでありながらリリーでさえ眩んだ呪の魔力を寄せ付けない、その。
精神力。
「ほんと、すごいわ」
「褒め過ぎは嫌味ぞ。それより、この女は助かるのか」
「ええ、
「腕は?」
「はえるわよ、私の魔法で、ニョキっと」
「はっ、なんという世界かよ。でも、まあ死なぬなら良い」
そう言って、再びマツオは足先でその豊満な胸をモニュモニュと踏む。
「やめたげなさいよ、可哀想に」
「いや、あまりに心地が良くてな」
「最低」
「やかましいわ」
そう言っておいて、マツオは「さて、では次はこっちの方なのであるがな」と呟いてヴァルドを見た。
「と、言うわけだがな」
「……なあ一つ聞いていいか」
聖域のハイエルフであるリリーの言葉をしっかり守って黙っていたヴァルド。ここでマツオに話しかけられたのをきっかけに気になっていたことを聞いた。
「リリー様が止めなかったらどうしてた」
「ん、妹殿のことか?」
「ああ」
「馬鹿なことを聞く。斬って捨てたに決まっておる」
マツオの言葉に躊躇はない。
「邪魔したからか?」
「それもある、それもあるが、な」
「あるが、なんだ」
「……まずい豆腐は、許せんのよな」
「はぁ?」
マツオは、誰に言うでもなく虚空に向かって諳んじた。
「
これに疑問を挟んだのはリリーだ。
ヴァルドは、ただ首を傾げている。
「ねえ、なにそれ」
「ふむ、豆を煮るに豆殻を焚く。というやつよ。普通はな豆殻は一気に燃え上がりすぐに消えるのでな、豆のように根気強く煮るものの燃料には向かぬのよ」
「そう、で、それがなに?」
「意味はこうである。釜の下で豆殻が燃え、豆が釜の中で泣いている。なぜそんなに急いで私を煮ようとするのです、私達は同じ根より生まれたものではありませんか……。とな、まあ、血のつながる兄弟姉妹の争いの醜さを戒めた古き言い伝えよな」
そう言って、マツオはヴァルドを見た。いや、睨んだ。
「豆殻で煮た豆など使っては、まずい豆腐しか出来ぬのよ。ならば、面倒になる前に両方潰しておこうかな、と、そう思ったのであるが」
マツオは言うが早いか再び抜刀し、その切っ先をヴァルドに向けた。殺気が刀身を伝って、ヴァルドの喉笛に突き刺さる。
「ヴァルド、これからいかがいたす。また不味い豆を煮おるか? そうであれば今ここでひと思いに」
「……わ、わりぃが、そ、そうさせてもらうよ」
「ほぉ、物わかりが悪いのか死にたがりなのか、それともただの粋狂か」
「父の仇は取らねばならんだろう」
「ふん、ばかばかしい」
マツオは吐き捨てるようにそう言って「ならば死ぬがよい」と呟くと身体にぐっと力を込めた。瞬間、ヴァルドが二足ほど後ろに飛び退る。
「ただでは死なんさ」
「期待しよう」
ジリジリと見つめ合うふたり、ところがそれを見ていたリリーが、非常に呑気な口調でヴァルドに声をかけた。
「ああ、それね、多分大丈夫」
「はぁ?」
「しっかり呪いをかけてそれを破られたんだから、きっと帰ってるわ」
「帰る?」
それには、マツオが答えた。
「ほぉ、この世界の
「ええ、しかも結構強い呪いだったからね……」
「ふむ、死んだか」
「たぶんね」
それを聞いて、マツオはヴァルドに声を投げた。
「ということらしいが、どうする」
ま、当然。
話はあっけなくもここでおしまいだ。
「おはよう、よく眠れた?」
「ああ、リリーか、今日は早いな」
ここは飯屋『誠』の店内。
朝の仕込み中。
マツオが小気味よいリズムで青菜を刻んでいたところに、リリーが入ってきた。鼻をスンスン鳴らしながら。
「これでも啜っておれ」
「なにこれ?」
「豆腐の味噌汁よ」
「はぁ、ほんとマツオのいた世界はソヤ豆が好きね」
リリーは味噌の正体を知っている。
知っているからこそのこの言葉なのだが、
理由は、旨いからだ。
「はぁ、なんか潤うわ」
「そうか、それは良かった……で何用であるか?」
「なによ、用がなきゃ来ちゃ駄目なの?」
「いや、用がなければこぬ女だと思ってな」
「そんなこと……あるか。ま、いいわ、いやね、あの女から報酬はもらったのかなってさ」
リリーの問いに「なんだそんなことであるか」と答えたマツオは、少しだけ目を閉じて宙を見つめると、匂いを思い出すかのように鼻から深い呼吸をして、答えた。
「いただいた」
「けだもの」
「なにがけだものか、普通のことであろう」
「言い方に気をつけろってことよ、馬鹿」
そうつまり、マツオが求める報酬とは。
「ったく、男はすぐおっぱいに釣られるんだから」
「別に乳が大きいから抱いたのではない、正当な報酬である」
「で、今回も、一回抱いたらポイ捨てなの?」
「言い方に気をつけるのは、お主の方であるな」
マツオはそう言うと、もうこれまでも何度もリリーに説明してきたことを再び説明する。
「金などもらっても、困っていないから、困る」
「はぁ」
「かといって無償で人斬りは消える命に不敬であろう」
「はぁ」
「であれば男も女も、こちらが必要とする労働をしてもらうのは当然」
「わかってるわよ、そんなの、何度も聞いたし」
リリーはそう言うと、味噌汁の椀を少し乱暴にタンッと置いて、箸でマツオの顔を指差して詰め寄った。
「今回も一回抱いたらお払い箱なのかってことよ」
これまで、店の下働き十日を食らった男以外のすべての依頼者は女で、そしてそのすべてをマツオは抱き、さらに、心奪われてマツオにいいよってきたすべての女を袖にしてきた。
マツオは身体を報酬に人を斬り、一晩しか抱かない。
それが、裏稼業の界隈に知れ渡った、真実だ。
「であるな」
「なんでよ、あのダークエルフなんていい女だったじゃない」
「おお、なかなか味も具合も……」
――バチコン!
「いた!」
「この変態、言い方気をつけろって言ったでしょ。でも、そんなによかっらなら、なぜ」
リリーが頬を膨らませながらもしつこく聞いてくるので、マツオは仕方なくといった風情でため息を付きつつ答えた。
「一度抱けば愛着が生まれ、それに従って安易に二度目を抱けばそれは執着に変わる。そして執着は生への癒着を生じ、あやまたずそれは……」
マツオは、腰のものにそっと触れる。
「……剣を曇らせる」
なくしたくないもの。
自らの命ですらその枠の内に入れてしまえば確実に弱くなってしまう剣術の世界。あまつさえ、そこに愛しい女や、その間に生まれた最愛の我が子などを入れてしまえば。
きっと、マツオは、剣客でいられなくなる。
人斬りとしての生を、終えるだろう。
「ま、そういうことよ」
「ふうん、じゃぁさ」
リリーは少し躊躇して、訪ねた。
「なんで私は抱かないの」
マツオの手が止まる。
青菜を刻む音が止み、そのせいか、香ばしい味噌の香りと切りたての青菜の新鮮な香りが、より、鮮明に感じられる。
そして、マツオは、包丁を置いてぼそっと答えた。
「抱けば捨てねばならぬゆえな」
それにリリーは、やはりぼそっと答える。
「そ、わかったわ」
数秒の後、再び青菜を刻む音が店内に満ちた。
そして、その時にはもう。
顔を真っ赤に染めたマツオひとりしか、いなくなっていたのである。
第0章 飯屋『誠』 「豆腐」 完
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