三 豆を煮るに豆殻を焚く
5
「はい、そこまで!」
ダークエルフの女の腕を切り飛ばした上、さらに斬りかかろうとしたマツオ。そこに、突然リリーが立ちはだかった。
マツオの刀が、リリーの首筋でピタリと止まる。
いや、その真っ白な首筋の薄皮を裂いて、止まっている。それでも、一滴の血も流れていないのは、マツオの技量かリリーの度胸か。
「邪魔立てとは、正気であるか」
「いいから止まって」
「正気であるか!」
「ええ、止まりなさい」
「ちっ」
言われてマツオはほんの少しだけ刀を引いた。
「生きておるぞ、その女は」
「いいから」
「しかし」
「いいから!!」
リリーの言葉に、マツオは「フーッ」っと長い長い息を吐いた。
「もうよい、興が冷めたわ」
マツオはそう言って刀を苛立たしくブンと振ると、肩に担いだ。
リリーにはこの世界に来てよりの重ねた恩義がある。また、斬れぬ理由もある。なのでマツオは、リリーの頼みだけは、たとえどんなことでも断るわけにはいかないのだ。
「ごめんね、ありがと。ちょっとはっきりさせときたいことがあってね」
そう言ってリリーが見つめた地面にはあのダークエルフの女がグゥッと唸り声を上げながら、血溜まりの中でうずくまっていた。それを見て、リリーは腰のベルトから何やら薬瓶を取り出してフタを開けると、そのままダークエルフに投げつけた。
パンと小気味良い音がして、薬瓶は四散し、キラキラと光る粒となって消えた。と、ダークエルフの女は安らかな顔で眠りに落ち、スヤスヤと寝息を立て始める。
「何であるか?」
「ああ。止血、あと鎮静」
「情けないことよ、腕を飛ばされたくらいで」
「厳しいわね」
「死んだ剣友は首を飛ばされたあとに敵に向かって走ったぞ」
「ほんと、マツオのいた世界っておっかないわよね」
「まあ、首を飛ばしたのは拙者だが」
「訂正、おっかないのはマツオとその周りだけだわ、きっと」
言いながら、リリーは背中に差していた杖の先でダークエルフの女の乳を突いている。ぼよんぼよんと揺れる乳の様子を見ながら、何故か苦々しげな顔をしているのが、まあいい。
女同士色々な思いがあるのであろう。
「お、おい」
その時、じれたようにヴァルドが話しかけてきた。
「いい加減に説明しろよ」
声が苛立っている。
ダークエルフの女の腕が飛んで、マツオがとどめを刺そうとし、女の命は潰えたかと思うその刹那リリーが木から飛び降りて止め、そして完全にヴァルドを無視したままマツオとリリーの二人で一触即発の雰囲気で話し込んでいたのだ、無理もない。
さっきまで主演俳優として舞台の中央にいたのに、今ではすっかりモブと化し蚊帳の外なのだから。
「ん、何用であるか? まだやるのであれば歓迎するぞ」
「いや、そうじゃなくて……。てか、それ、オレの妹なんだが」
「知っておるよ」
「……すまん、なんか頭が混乱して理解が追いつかん」
哀れなヴァルドの言葉。だが、これは仕方がないだろう。
なにせ、ヴァルドから見れば、妹が差し向けたと思われる刺客が突然戦いを挑んできたと思ったら、その背後から聖域のハイエルフが出てきて、戸惑っていたらこんどは実の妹がひょっこり顔を出し、実の妹の味方であるはずの刺客が何故か妹の腕を切り飛ばしたのだ。
これで混乱しないのであれば、それは、阿呆だ。
もはや誰がどの立場なのか、さっぱりなのだから。
しかしヴァルドは、そこで明確にしてわかりやすい基準を一つしっかりと打ち立てた。
「誰がどの勢力だかよくわからんが、そこのそれは大切な身内。恥ずかしいが、最愛の妹なんだ。そういうわけで、いくら兄に刃を向けるバカ妹でも殺したらさすがに敵を討つぞ」
度し難きシスコン、いや、美しき妹愛である。
しかし、そんな妹愛に、マツオはまったく興味を示すものではなく。
「なんと、再び殺り合えるかよ、ならば殺しておこうかの」
「こらこら」
「ハッハッハ、冗談であるよ。そなたとの戦いはこれで終いよ」
そう言うとマツオは、ヴァルドを見つめて「なかなかに強い男ではあったが、なんとしてでも、と言うほどでもなかったでな」と、慰めるように言った。が、もちろん慰めにはなっていない。
むしろ、トドメだ。
しかし、彼我の戦力さをしっかりと認識していたヴァルドは、壊れたプライドの向こうで、少し安心した表情になって言った。
「ふぅ、ま、まあいいよ。で、妹をどうする」
と、ここでリリーがカット・インする。
「うーんそれより先にさ、マツオ、落とした腕ちょっと掲げて」
「おいちょっと……」
「黙って」
「……はい」
聖域のハイエルフは、エルフ族には絶対の存在らしい。
「マツオ、お願い」
「うむ、よかろう」
言われてマツオは地面に落ちているダークエルフの女の腕を剣先でサクッと刺すと、なんとも雑な扱われ方をしている実の妹の腕を複雑な表情で見ているヴァルドをよそに、見やすいよう高く掲げた。
と、リリーがその腕に手のひらを向ける。
「アーデル」
とたん、その腕に、奇妙な黒い文様が浮かび上がった。
いや、奇妙だと思ったのはきっとヴァルドだけで、リリーには先刻承知の文様であったし、マツオにとってそれは。
「唐草であるな」
「なにそれ」
「風呂敷、つまり、包み布の模様である」
「最悪の趣味ね」
「では何であるというのだ」
「そうね、これは」
リリーはそう言うとヴァルドを見る。
しかしヴァルドはそんなリリーの視線を怖がるように首を横にブンブンと勢いよくふった。言われたとおり黙っているあたりが、可愛らしい。
「はぁ、無知は罪よ。族長さん」
「……」
「これはね、
喋らぬヴァルドのかわりにマツオが問う。
「じゅば……何であるか?」
「
「ああ、陰陽坊主の使うアレか。でも、これで合点がいった」
そう言うとマツオは、くるっと器用に刀を振り回して、スパッとそれを鞘に納めた。
キンと小気味よい音がする。
「……どういうこと」
「いや、この女はずっと正気を失っていたであろう?」
「はぁ?」
「何だ気づいておらんかったか」
「呪に気づいたときからはわかってたわよ、てか」
マツオの言葉に、リリーが訝しげな表情を浮かべる。
「なんであんたにわかるのよ、魔力
「ハッハッハ、そんなモノ見えんわい。しかしな、見えずとも、普通にわかることもある」
「なによ」
「ふむ、その女少し無礼が過ぎると思うてな」
「無礼?」
リリーの問いにマツオは答える。
「いやな、はじめは、とるに足らない男関係の揉め事か何かの後始末を頼みに来たのかと、たいして気にもとめなんだがな、ひょいと依頼を聞けばそうではないと言いおる」
そう、このダークエルフの女が持ち込んだ相談事は族長を決める跡目争いにまつわるもの、しかも斬る相手は血の繋がった兄で依頼者もまた血の繋がった叔父ときている。
さらにさらに、そもそも殺されたのが血のつながった父親。
「なあ、リリーよ。あれがそんな重苦しい頼みをする者の態度かよ」
言われてリリーはハッとする。
「店のものとくだらぬ言い争いはする、出された食物を『これは食えるのか』などと尋ねる」
たしかに、そうだった。
「拙者がその女の立場なら、なにを言われてもぐっとこらえて堪忍袋の緒をきゅっと結ぶであろうし、得体のしれないものを出されても、南無三と飲み込んで旨い振りの一つもしよう」
嘘だね、とリリーは心で呟く。
ただ同時に、眼の前のマツオはそんなことをしない人間だとしても、普通であれば、これほどのことを依頼するのならマツオの言うように振る舞うだろう。とも、思った。
つまり、マツオの言い分はすこぶる正しい
「さらに言えば、話もおかしい」
「なにがよ」
「考えても見よ」
マツオは、さらなる疑念を話し出す。
「声なき父の唯一の代弁者である叔父、その叔父が掟を破って長子相続をひっくり返し、自ら勝手に長の位についたというのに、継承権を剥奪された男の実の妹が『族長は大変な仕事だから自分からそれを引き受けてくれた叔父の言葉に間違いはない』などと言うかね。普通」
確かに長とは大変な仕事だ。
しかし、このシチュエーション、誰がどう考えてもお家の
大変なお仕事を引き受けてくれた。などという呑気な話ではない。
「あり得ない……わね」
「で、あろう。それと、時々男言葉にもなっておったよ」
「そうだっけ?!」
「うむ、まあ、些細な違いではあるが、違和感は拭えぬよな」
「すごいね、流石に感心した」
リリーは芯からそう思っている風情で言葉を吐き出し、少し得意げになっているマツオの腰のあたりをぽんぽんと叩いた。
「えらいぞ、マツオ」
「ふっ、まあな。しかし、それもまだ決め手ではない」
「え、まだんあんの?! なによ、決め手って」
「ああ、それは」
言いながら、マツオはダークエルフの女の豊満な胸を足先で突く。
そして、「そうか、気づいておらなんだか」とつぶやきながら、女の胸をぐっと押しつぶすように踏みつけ、にやりと笑ってその核心に触れた。
そして、その内容は、マツオの言う通り。
核心であったのだ。
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