二 人斬り稼業
3
「あいや、待たれい」
「あん?」
ここは、とある裏路地。
その男は、なにもないところからスッと影のように現れた。
「女なら、足りてるのだが」
「いやいや、羨ましいことを言う。まあ、しかし、客引きではない」
そんなことは、百も承知。
この場に現れるまで何一つ感じられるような気配をまとっていなかったその男は、前をゆく男、ダークエルフの身なりの良い男の背後にピタリと着いた途端、冷涼なる殺気を垂れ流し始めたのだから。
足元からソクソクと這い上がるような、寒気とともに。
迂闊に振り返ることは出来ない。
ダークエルフの男は、そのまま背中で問いただす。
「冷気の魔法使い、ってわけじゃなさそうだな」
「左様、拙者はあのような手妻は使えぬのでな」
「てづ……よくわからないが、まあいい、どうせ斬り合いだ」
「重畳重畳、そうこなくてはな。ほれ、こっちを見るがよい」
「ほお、親切な殺し屋だな」
ダークエルフの男はそう言うと、ゆっくりと振り返った。
途端、微かに緊張が緩む。
「はぁ、舐められたものだな」
「何故に」
「貴様ヒューマンだろ、エルフの刺客に猿獣人とはな」
「ふは、言いよるわい、エブの荒野ナイハ一族のヴァルドとやら」
「ふっ、やはりバカ妹の差し向けか」
ふむ、間違いなさそうであるな。と刺客の男はその言葉にゆっくりと頷く。まあ、言うまでもなく、マツオなのだが。
「委細承知のようであるな」
「心当たりがそんなにある方ではなくてね」
「そう、で、あろうな」
マツオはそう言うと、楽しげに口の端を上げた。
「兄を斬っていただきたいのです」
ダークエルフの女は、食べきった豆腐の器を前に、食い物屋にはふさわしくない話を始めた。いや、しかし、この店、飯屋『誠』に限って言えば似つかわしい話ではあるのだが。
ただ、それでも。
「血の繋がった、兄。で、間違いないのであろうな」
「はい」
あまり気が進まない。正直マツオはそう思った。
もちろん、マツオとて、そういう話を遠ざけて生きてきたような、優しい人生を歩んできた男ではない。剣林弾雨の魔境と化した京都では、そういう人間は佃煮にするほどいたわけだし、そもそもマツオ自身、実の父をその剣にて屠っている。
しかし、そこには主義があった。
そして、自らが父を殺めたのは……継承の儀式であった。
それでも、おおよお人間らしい血は流れていないだろうと思い込んでいた自らの身の内に、くっきりはっきりとあたたかい人間の血が流れていることを三日三晩の涙で思い知らされたものだ。
「身内殺しは、大いなる罪ぞ」
「ええ、わかっております。ただ、同じ理由で、身内殺しを見逃すわけにはゆきません」
ダークエルフの女は語った。
「兄が殺したのは父、私の郷の族長でした」
「ほぉ、それで」
マツオは努めて感情を載せずに相槌を打つ。
リリーは黙ったまま、虚空を見つめていた。それは、きっと、リリーなりの優しさだ。
ダークエルフはそんな二人を軽く一瞥して、続けた。
「なに、本当にくだらない権力闘争です」
くだらない、と言いつつもその前置きは、重苦しく吐き出された。
ダークエルフの女によれば、彼の父である族長はそもそも病の淵にあったもののそれでもなんとか生きながらえていたのだそうだ。父の弟である叔父を側近において、ダークエルフの一族は過不足なく回っていた。
ところが。
「父の病の色が濃くなったある日、叔父によって相続の話が出たのです」
「相続っていうか、継承だよね、族長の」
「そうですね、そう言うべきですね」
そう、それは継承に纏わる話。
そこで、父亡き後の族長の座は、叔父に移譲されると告げられたのだ。
「兄は怒り狂いましてね」
「まあそうであろうな、この世界も長子相続と聞くのでな」
「ええ、しかし、叔父いわく父が兄の適正に疑問を感じているとかで」
「ふぅむ、直接は話せなんだか」
「ええ、父は言葉を失っていましたから、なので……」
そこでリリーが言葉を奪った。
「血の連絡、か」
「はい」
「何であるかな、それは」
「うーん、同じ親から生まれた者同士でつながる脳内パス……簡単に言うと兄弟とか姉妹でつながる念話、かな」
マツオは「ほぉ」と呟いて頷く。
が、その正確な意味はわかっていない。ただ、なんとなく兄弟間で通じるまやかしのようなものだろうな、とは思っているのだが。
そのままやり過ごしても問題なかろうと思っていた。
しかし。
「わかんないならわかったふりしないでよ」
「なんと、見破ったか」
「当たり前じゃない、もう。つまり口にださなくても、兄弟姉妹間では思いが通じるってこと」
「ああ、禅寺の坊主の言う以心伝心であるか」
「ああ、うん、そうね、きっとそれ」
「わからぬのにわかったふりをするでないわ」
「うっさい」
そんな二人のやり取りを、微笑みながらも羨ましそうに見つめ、ダークエルフは続ける。
「つまり、父の真意を聞くことのできる人間は叔父ひとり。それが嘘なのか本当なのかの判断もつかない。それに兄は納得がいかないままで」
「そなたはどうなのであるかな」
「え?」
「心得ておるのか、と聞いておる、叔父上殿の言葉を」
「そうですね、疑う兄の気持ちがわかりません」
「ほぉ」
「だって、叔父がそれでなんの得をするというのですか、族長は大変なお役目ですよ」
「なるほどな」
マツオはダークエルフの女の言葉を聞くなり「フー」っと息を吐いた。そして、あんがい柔和な顔つきのど真ん中、眉間に深いシワを刻んで腕組みをする。
「むぅ」
興味はある。
ダークエルフとは仕合ったことがなかったし、何より族長の息子というのは、これまでのこの世界の理からすれば相当強いと思えた。
元いた世界とは違い、この世界の者たちは、結構実力主義なのである。
まあ、ヒューマンと呼ばれる人間を除いてだが。
「後悔はないのであるな」
「はい」
「そうか、ならばまあ」
マツオは、言いながらダークエルフの女の体をまじまじと見つめる。
「受けようかな」
「ありがとうございます!」
「ああ、手助は絶対に無用であるぞ」
「もちろんです、で、報酬は、噂通りですか?」
「問題あるか?」
「いえ、ありません」
このやり取りを、リリーは何故か苦々しげに睨みながら聞いていた。
「すまんな白エルフ、いやリリー殿」
「ふん、勝手にしたらいいじゃない」
というわけで、話は、決まった。
「その方は魔法を使うのであろうかな」
「馬鹿言うな、剣で挑むものに魔法など使うものか」
「ふむ、聞いた通りの男よな」
マツオはそう言うと、ゆっくりと刀の鍔に手をかけ、ぬるっとその刀身を鞘の内から引き出した。と、ダークエルフの男、いやヴァルドはそのままじわりと半歩にじり寄って吐き捨てた。
「おいおい、オレにハンデくれてるんじゃないだろうな」
鞘から刀を抜く。
それはすなわち、自らの武器の長さを事前に相手に知らせる行為であり、ヴァルドの言う通り自らの不利を進んで作り出すようなものだ。が、当然マツオにはそうする意図があった。
「二尺に届かぬか」
「なに?」
「いやその方の得物がな、きっと八メルデ半よりちょっと長いくらいであろうな、と」
「な、なんで……」
簡単な話だ。
マツオは、別にヴァルデにハンデをくれてやるために事前に抜刀したのではない。そうではなく、自分が得物の長さを見せることであ、相手がどう反応するかを見たかったのだ。
案の定、ヴァルドは後ずさるのではなく、半歩踏み込んだ。
そうしないと、届かないからだ。
「拙者の刀は二尺三寸五分の定寸。つまり、ほぼ九メルデ。で、それを確認した後、そなたはゆっくりと踏み込んだ。で、あれば、だ、きっとその方の剣は九メルデより短い」
言われて、ヴァルドはハッとする。
そして、表情を一気に引き締め、剣を抜き放ち構えた。
「侮っていたな、すまない」
「いや、なぁに」
マツオも、クッと母指球に力をためた。
それを見て、構えを解かぬままに、ヴァルドは涼しい声で述べた。
「お見知りとは思うが名乗り申し上げる。わが名は、アルデルオ・オ・レイ森林国家連合、エブの荒野ナイハ一族、族長ネイアハの長子、ヴァルド・エブ・アルブ・デイエス=ナイハ」
「丁寧な名乗り、痛みいる。拙者の名は松尾高英、加賀国は前田家直臣の子に生まれるも、脱藩して剣の道を究る者なり」
互いに、名乗りの中身はさっぱりわからない。
しかし、ぞろりと長いモノ抜いて向かい合って二人の間に、そんな理解など何一つ必要ない。
必要なのは。
「命のやり取りである、問答無用にて願う」
「あたりまえだ」
そこに、刃の届く斬れそうな命の灯火があるということ。
「では尋常に」
「勝負」
言うが早いか、真っ暗な路地裏に青白い閃光と。
金属のぶつかり合う音が、響いた。
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