大好きなお兄ちゃんを取り戻すためにバッドの素振りの練習をしています
@adashino4
本文
世界一素晴らしくてかっこいい私のお兄ちゃんに彼女ができたので、とりあえず素振りをしている。バットを握る手にも自然と力が入る。力任せに思いっきり振る。声を出すと良いとネットで見たので、一振りごとに「滅す」とつぶやいた。
そのころの私は女子中学生らしく「滅す」や「葬る」や「ゆめかわいい」という言葉にときめいたりしていたのだ。
素振りをしながら切に思う。お兄ちゃんをかえしてほしい。
彼女ができる前まで「俺が大事なのはユキだけだよ」と言って、頭をくしゃくしゃに撫でてくれたお兄ちゃん。身長は160cmしかなかったけど、その分、顔の距離が近くてドキドキしたのを覚えている。
いつも私と一緒にゲームをしてくれたり私の下らない話に付き合ってくれた。だけど、いまは土日に家にいることはほとんどない。それも、よほど彼女に会いたいのか早朝から家を出ていってしまうのだ。
「私より彼女の方が大事じゃん」と言いたい。言いたいけど、そんなことを口にしたらお兄ちゃんに嫌われてしまうだろう。それは絶対に嫌だ。
昔、どこかの偉人がこんなことを言っていたことがある。
「世の中、何が役に立つかはわからない」と。
だから、私はお兄ちゃんが出ていったあとは、うちの庭で素振りをしていた。もしかしたら、何かの役に立つかもしれない。偉人が言うのだから間違いはないだろう。
少し高めに振ったバットが今日も風を切る。
――料理同好会 メンバー募集
と書かれた張り紙を見た。
図書館で『監禁の方法』や『ヤクザの手口』という本を借りた後だった。
そんなのあるんだ、と何気なく眺めていた私はキャッチコピーの「好きな人を料理で振り向かせよう」という言葉にハッとした。
これだ、と思う。
そういえば昔、お兄ちゃんがテレビを見ながら「料理が得意な女の人って良いよな」と口にしていたのを覚えている。
お兄ちゃんを私の料理で振り向かせる。私しかいないんだと気づかせる。
そうすれば、きっとお兄ちゃんは私のもとへかえってくるはずだ。
料理同好会は市民センターの調理室で行われていた。図書館も同じ建物の中にあるため、場所は迷わなかった。
日程は、毎週水曜日と金曜日の夕方。中学校が終わった私は、走って市民センターまで急いだ。
調理室の前まで来て、参加者の老人率に驚く。
ほとんどがお年寄りで、しかも半数以上がお爺ちゃんだった。私みたいな中学生は、何というか場違いのような気がしてくる。
「えっと、申し込んでくれた人かな?」
入り口でうろうろしていたら、綺麗な女の人に話しかけられた。はい、と答えながらドギマギしてしまう。
料理同好会という名前だけど、一応教えてくれる先生がいるということは知っていた。どうやら、その先生のようだ。
「あんまり若い子が来ないから嬉しい」
先生はそう言って、調理室に案内してくれた。
この日のメニューはオムライスだった。ご飯を炒めてからケチャップを入れるのではなく、先にケチャップを具材と一緒に炒めるのが良いよ、と先生は優しく教えてくれた。
「その方が、良くご飯に馴染むから」
「はい」と答えながら、少しだけ残念に思う。一発で絶品になる隠し味とか、魔法のように美味しい料理のレシピとか、期待はしていなかったけど、やっぱりなかったからだ。
「あら、はじめてかしら?」
汗を垂らしながら、一生懸命フライパンで具材をかき混ぜていたら、隣にいたお婆ちゃんに声をかけられた。
「あ、そうです」
「私、ヨネです。かわいいお嬢ちゃんだわ、よろしくね」
そう笑いかけてくれたヨネさんは、若い頃は相当な美人だったろうと思わせるほど顔が整っていた。上品なオーラというのも纏っている。
「わからないことがあったら、何でも聞いてね」
「は、はい」
慣れないため苦戦したものの、先生やヨネさんの助けもあり、なんとかオムライスが完成した。しかし、私はベチャッとした自分のものより、ヨネさんの方へ惹きつけられた。
同じ先生に教わり、同じメニューだというのに、ヨネさんのオムライスは完璧だったからだ。
レストランで出てくるオムライスみたいに、卵がふわふわで輝いている。
私は頼んで一口食べさせてもらった。自然に「おいしい」と口から漏れる。
トロトロの卵とチキンライスが絶妙に絡まっていた。ケチャップの甘みもほどよく、口の中が幸せで溢れる。
「すごい……」
「もう50年以上やってるからねぇ」
私もヨネさんくらいの料理上手になりたかった。そのためには、地道に積み上げていくしかないのだろうか。
いつもの平日の朝、慌ただしく家から出ようとしているお兄ちゃんに声をかける。
「あのさ、お兄ちゃん、よかったらこれ」
靴を履こうとしていたお兄ちゃんが振り返り、「おお」っと笑顔を見せる。
「お弁当なんだけど……良かったら」
先生やヨネさんにもらったアドバイスを思い出しながら、何とか作ったオムライスだった。サラダも添えてある。
「ありがとう! めっちゃ助かる」
「うん」
喜んでくれたことが素直に嬉しかった。
両親が共働きで忙しいため、高校に通っているお兄ちゃんはコンビニや購買で買うことが多い。
お兄ちゃんの嬉しそうな顔を見る限り、彼女がお弁当をつくっているなんていう悲劇もないようで良かった。
「ユキが、小さいときつくったコロッケも美味しかったもんな。楽しみだよ」
嬉しい言葉を残して、お兄ちゃんは出ていった。
料理同好会のある水曜日は欠かさず通っていた。目的は、お兄ちゃんの胃袋を掴んで、前みたいに私のことを一番にしてくれること。だけど、この時間自体も楽しみになっていた。
何でも話せる美人の先生もいるし、優しいお婆ちゃんのヨネさんもいる。
「ユキちゃん上手になったね」と、先生が褒めてくれるのが嬉しかった。
もし私にお姉さんがいたら、こんな感じで一緒に楽しく料理ができたかもしれない。
ふいに会ったことも見たこともないお兄ちゃんの彼女が浮かんできて、胸がチクリとした。お兄ちゃんが結婚すればお姉ちゃんになる人。だけど、それは絶対に嫌だった。
「今日は気合が入ってるわね」と隣のヨネさんが微笑む。
「はい。好きな人を取り戻すんです」
私がそう言うと、「まあ」と楽しそうにヨネさんは驚く。
ヨネさんは料理だけではなく、女性としても凄い人だった。
この料理同好会にお爺さんが多い理由は、ヨネさんだったのだ。
先生曰く、ヨネさんは魔性の女らしい。
私が知る限り、お爺ちゃんはみんなヨネさんにメロメロだった。
初めてきたときから、なんというか視線が多いなあとは思っていた。最初は中学生がいる物珍しさかな、と思っていたけど、お目当てはヨネさんだったのだ。
料理も上手だし、おっとりとして優しいし、お婆ちゃんにしてはなかなかの美人だし、ヨネさんがモテるのは自然の摂理みたいなものだった。
歳をとっても恋愛沙汰はなくならないんだな、そう思いながら自分には関係ないことなので、料理に集中することにした。
ゲンさんとタロウさんがヨネさんを巡ってペチペチと殴り合いをしたときも、ゲンさんがヨネさんに振られてみんなが励ましているときも、私は一心不乱に料理に打ち込んだ。
その甲斐もあって、私の料理の腕はメキメキ上達していった。この分だと、すぐにお兄ちゃんは私の料理に、そして私に夢中になるはずだ。
お兄ちゃんにお弁当をつくりはじめて一ヶ月経った。毎日「美味しかった」と言ってくれる。料理同好会に通い始めてから、素振りもやめた。そんなことしている暇があったら、料理の本を読んでいる方がよっぽど有意義だ。
「ユキの夫になる人は幸せだろうな」と、お兄ちゃんは口にする。
「そ、そうかな」
洗い物をしていた私は、赤くなった顔を隠すためにうつむいた。
彼女と別れて、私とずっと一緒に暮らして、私の料理に舌鼓を打つお兄ちゃん。
そんな明るい未来は目の前だと思っていた。
「なあ、ユキ」
しかし、天国から地獄に落ちるなんて簡単だった。
お兄ちゃんはいかにも真剣ですよ、という口調でこう尋ねてきた。
「高校生でも結婚ってできると思うか?」
洗っていたお皿を落としそうになって、慌ててお皿を掴む。泡がぽたぽたシンクに向かって落ちていく。
私は動揺を悟られないようにしながら、尋ねた。
「……お兄ちゃん、いまの彼女と結婚したいの?」
「うん」
強烈な悲しみが襲った。高校生のお兄ちゃんが結婚したいと思うということは、それだけ相手を大事に考えているということだろう。
一生懸命、料理の勉強をして、美味しい料理をつくって、それが何だったんだろう。私は何もかもくだらなくなった。
「結婚なんて、まだはやいと思う……」
「でも、時間がないんだ」
「あるよ」
お兄ちゃんの物言いに怒りが湧いてきた。時間がない、なんて、悲劇の主人公かヒロインのセリフだ。現実感の欠片もない。
結局、お兄ちゃんは恋に酔っているだけなのだろう。
「……お兄ちゃん、バカじゃないの」
「え?」
「まだ高校生じゃん。時間がないって意味わからない。カッコつけないでよ!」
泡のついたたままのスポンジを放り投げる。
私は言いたいことをぶちまけると、唖然とするお兄ちゃんを置いて階段を駆け上る。
自分の部屋のドアを閉めて、胸の奥からため息をついた。
何やってんだろ、私は。
お兄ちゃんと喧嘩してから数日が経った。私は料理教室をやめるため先生に電話をかけていた。
――そっか……ユキちゃんやめちゃうのか。
――はい。
――あ、好きな人を振り向かせるというのは、どうなった?
――手遅れでした。
――それは悲しいね。
少し話したあと、先生は昔話をしてくれた。自分も失恋したことがあること。その人が本当に好きだったこと。ずっと引きずっていたということ。
――何年も経って偶然にね、あの人が恋人と歩いているのを見ちゃったんだよね。すごく幸せそうでさ、悲しかったんだけど、良かったなとも思ったんだよ。
――良かった?
――幸せそうで良かったって。大事な人だったからね。
私は先生の言っていたことを考えていた。
お兄ちゃんのことが好きなら、私はお兄ちゃんの恋を応援してあげるべきなのかもしれない。
少なくとも、このままお兄ちゃんと喧嘩したままなのは嫌だった。
私はお兄ちゃんと仲直りをすることにした。ひどいことを言ってごめん、と頭を下げた。そしたらお兄ちゃんは私の頭を撫でてくれた。何ヶ月ぶりかの温かい感触だった。
お兄ちゃんも気にしてくれていたのだろう。最近、あんまり遊べないでごめん、と謝ってくれた。それだけで私はもう十分だった。
「お兄ちゃんの彼女と会ってみたいんだけど……」
そう提案したらお兄ちゃんはすごく嬉しそうだった。
自分の気持ちを吹っ切るためにも、お兄ちゃんの彼女と話をしてみたかった。私にとって、世界一素晴らしくてカッコいいお兄ちゃんの大切な人だ。きっと素敵な人だろう。
仲良くできるかもしれない。もしかしたら一緒に料理とかも……。
お兄ちゃんがいて、彼女がいて、私がいる。それは、きっと楽しいはずだった。
そして、その日。
予定通りの時間に、玄関チャイムが鳴った。
私は期待と不安が半々になって玄関へと向かった。お兄ちゃんがドアノブを引く。
すーと扉が開く。その瞬間が永遠のように思える。
「は、はじめ――」
挨拶をしようとしてそのまま固まった。
ヨネさんだった。
ドアを開けて入ってきたのは、どこからどう見てもヨネさんだ。
ヨネさんも固まっている。
「時間がない」と言っていたお兄ちゃんの姿がフラッシュバックする。いつも早朝にデートへ向かっていたわけがやっとわかった。
こちらは彼女のヨネさんで、こちらは妹のユキで――。
私の戸惑いと驚きに気づかず、普通にお兄ちゃんは紹介を進めていく。私はお兄ちゃんのことを思いっきり殴りたくなった。できればバッドで。
大好きなお兄ちゃんを取り戻すためにバッドの素振りの練習をしています @adashino4
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