第23話 第六層の死闘①
――犯罪地区・ミノス、最奥『
その玉座の間にて、側近の一人であるメガネを掛けた青年が玉座に深く体を沈み込ませる男に問いをした。
「…………エルディゴ様。本当にドーランなどに薬を融通して良かったのですか? あんなチンピラ以下の男には勿体無い代物だと思うのですが」
「フォル。お前はとても優秀な奴だなァ……。俺の心配をしてくれてるのかぁ?」
エルディゴは自身の側近の青年――フォルの頭をガシガシと煩雑に撫で始めた。エルディゴの顔には喜びの色が見て取れる。
ぐわんぐわんと揺れる視界の中、ずり落ちかけるメガネを押さえながら、フォルは再度言葉を紡いだ。
「エルディゴ様の事です。きっと何かお考えあっての事でしょうが……幾分、私はあの男を信用していない。だからこそ、エルディゴ様の目的が分からないのです」
メガネの下、蒼玉のような瞳を細めながら、フォルは言葉を続けた。
フォルの目に映るドーランという男は、一言で言い表すなら醜悪という言葉に尽きた。プライドだけが無駄に高い癖に、それを守り通す実力を持たない惰弱な愚者。自身の醜い尊厳を増長させ、暴走し続ける愚図。
それが彼がドーランに下していた評価だった。
決して高くはない、地の底に這い蹲るような底辺評価。少なくとも、フォルはドーランを嫌悪している。
だが、現在自分の頭を乱雑に撫でているエルディゴは何故か、ドーランという男をいたく気に入っている節が見えた。
その最たるが『
あの薬は『ゴエティア』の中でも、非常に稀少価値の高い薬だ。それをあんな低俗な下衆に渡すなど、フォルには到底理解のできない行動だ。
そんなフォルの心情を知ってか知らずか。エルディゴは撫でる手を止め、真剣な表情を見せる。
「安心しろ、フォル。俺は俺の目的のために、アイツを利用しているだけだ。どんなに『無能』だろうと、使い捨ての駒として利用できるくらいまで調教しちまえば、それは優秀な手札に変わる。……そう思わないか?」
エルディゴは質問には答えない。ただ、微笑を浮かべて諭すのみ。
フォルにエルディゴの思考を推し量る事は不可能。
その顔の裏にどんな巨悪を隠しているのか、そんな事など想像も付かない。彼の言う『無能』に自分も含まれているのかも、その悪意の向く先が何処なのかも。彼は何も語る事はしない。
だが、語らずとも手に入れてしまうのがエルディゴという男なのだと、フォルは知っている。
ならば、自分が付き従う男の『真』など知る必要は無い。ただ、今はその『偽』に平伏するだけ。
「……えぇ、私もそう思います。それに……貴方は全てを手に入れてきた王だ。その一存に蚊ほどの疑念も無い」
「お前は本当に良いやつだよ、フォル……。俺はお前みたいな優秀な仲間を手にできて、本当に幸運だ」
跪き、首を垂れるフォルの頭に、エルディゴは優しく手を掛けて言葉を掛ける。
「俺の目的は必ず遂行させる。そのためにドーランに『
◆◆◆◆◆
「お願い、します……! なんでもしますから、仲間を……助けてください……っ!」
「お、おい! ちょっと落ち着いて……」
「落ち着いてられるわけないっ! 私を……逃すのにも精一杯で……、このままじゃ……全面しちゃうっ!」
涙を浮かべながら縋り付いてくる少女は、自分の負った傷の深さも考えずに助けを乞う。
エイルが付けていた唯一の防具でもあるブレストプレートに、少女が縋り付いた際にできた血の軌跡が刻み込まれていく。
翡翠の瞳から流れ落ちた涙滴が頬を伝い、地面に染み込んで消えていく。
「エイル、助けに行きましょう」
そんな痛ましい少女の様子を見て、ティエラは迷う素振りもなく、即断した。
「状況も分からないのにか? 俺らが行ったところで、力になれるかも分からないだろ。それに……もしかしたら俺らを罠に嵌めるつもりかも……」
「それでもです。私は……泣いているその人を放ってはおけません」
エイルとティエラは対照的だ。
エイルは何をするに置いても誰かに絶対的な信用を置かないし、自分の判断が本当に正しいのかという迷いが生じる。だが、ティエラは人を信用しすぎる節があり、自分の判断が間違っていようと決めた事に疑問を持たない。
本当に正反対。
裏切られ続けて人の汚さを知ってしまった
「エイル、お願いします! あの人たちを助けに行かせてはくれませんか!」
「…………」
頭を下げて、お願いしてくるティエラを見て、エイルは視線を下に落とした。
そして、ほんの少しの静寂のあと、小さなため息が彼の口から溢れた。
「……どうなっても知らないからな」
「……っ、はい!」
ぱぁ……っと顔を明るくしたティエラは、首を数度縦に振った。
「このまま第六層まで行こう。……アンタもここに置いていく訳には行かないから一緒に来てくれ。それと簡潔に何が起きたかだけ教えてもらって良いか?」
「わ、わかりました……!」
エイルはそう言うと、少女を背負い、第六層へと繋がる一本の通路を駆け降りていく。このまま走っていけば三分ほどで第六層に辿り着けるだろう。
その間、少女は簡潔に何が起きたのかを語り始めた。
「最初は……なんて事の無い、普通の探索でしたっ! 私は……『活性期』自体初めての経験でした。でも……最初はただモンスターが多いだけ……出現頻度が高いだけと思っていたんです……! ルークさん達は、ベテランですし、大丈夫だって……私はたかを括っていました……!」
少女の顔に悔しさが滲む。
今となってはそれが間違いだった――と少女は語る。
「第六層に入ったとき……急にモンスターが現れて、それ自体は良かったですが、その後……数え切れないほどの大群が上からも、下からも――」
少女がそう言った瞬間、エイル達の耳に音が聞こえてきた。
激しくぶつかり合う金属音、何かが砕け散るような爆発音、興奮し、荒れ狂うモンスター達の大絶叫。ありとあらゆる騒音が迷宮内を伝播し、耳朶を震えさせる。
「……っ! もう、近いです……!」
エイルが背負っている少女は、額から流れ落ちる血の雫を押さえながら、朦朧とする意識の中でも正確な情報を伝えるために唇を噛み締めていた。
少女の言葉と、もう直ぐそこまで迫っている戦闘時特有の熱気のようなものを感じ取り、エイルとティエラは互いに顔を見合わせる。
「ティエラ、この先が第六層だ! この子と一緒に通路の陰に隠れていてくれ! それと……あの時の『魔術』の準備も頼む!」
「わかりました! エイルはどうするんです?」
「俺は前でモンスターのヘイトを集める! 多分、それでも完璧には引き付けられないけど……何人生きてるか次第になるけど、ルーク達の力を借りる!」
そうして、第六層の地形が見えてきた。
第五層から通路を下った先、その先に広がる景色は――『広い部屋』。
もはや迷宮と呼ぶ事すら怪しく思えるほど、部屋ごとを区切る壁が存在しないただの空間。この空間を横断し、右手側に見える通路を下った先こそ第七層。
第五層と第七層の中間に位置する、ただ一つの空間のみしか存在しないこの場所こそ、『
「見つけた……!」
第六層の中心。
背中を互い合わせにしている冒険者の集団が見えた。
息を荒げ、体中を泥と血に塗れさせながら、ボロボロになった武器を振るう冒険者達。そんな彼らを取り囲むように形成されたモンスターの牢獄。
「……っ、この臭い! それに……この数……!」
一度嗅いだ事のある臭いが、鼻腔を撫でる。
錆びた鉄のような臭いが充満する中で、一際存在感を放つ異臭――アンモニア臭。
この現状と、臭いを嗅げば否が応でも一つの可能性に行き当たってしまう。
「――『
なぜ、そんなものが使われた? ドーランの仕業なのか? もし仮にドーランの仕業だとして、その目的は?
堂々巡りする思考を脳内の片隅に追いやって、ティエラに傷ついた少女を預けたエイルは第六層――モンスターが集う牢獄へと自ら飛び込んだ。
「考えるのは後だ! とにかくやるぞ、ティエラ!」
「はいっ!」
少女を自分の後ろに隠して、ティエラは謳う。
「【響めく、氷風の天叫。轟く、狩猟の咆哮】――」
そして、エイルは――
「はああああああああっ!!!」
――吠えた。
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