第22話 波乱の幕開け

 ――《無限迷宮ラビリンス》第五層。


 第四層から第五層に降りるための一直線の通路を渡った先、一際広いルームが見えてきた。第四層までとは違い、ここからは『迷路』のような細い通路は失われ、部屋同士を繋ぐ無数の道が現れる。

 第五層はフロアの区分上は『岩窟の迷宮』。だが、ここからは第四層までとはまるで構造が異なると言って良いだろう。


「この先から第五層が始まる……のですよね?」

「そう。俺も第五層に降りたのは両手で足りるくらいしかないけど、それでも此処からはまるで環境が違うって確信を持って言える」

「何が違うんですか?」

「迷宮の構造もだけど……出現するモンスターの種類が増える」


 ルームへと足を踏み入れる。

 その瞬間、影が揺らめく。

 黒の残光が走ったと錯覚すると同時、鉄など悠々と切り裂く凶刃が振るわれた。

 のうのうと部屋に侵入してきた不届き者冒険者を狩らんと、死角から放たれた『爪刃』が狙う先は――頸。生物における最大の弱点の一つ。


「伏せろっ!」


 ティエラの頭を低い位置に押さえつけ、自分の頭も下へと下げる。

 不意を突いた『爪刃』は空振り。

 空を切り、頭上を駆け抜けたモンスターの強襲は失敗に終わった。


「あれは……」

「《シャドウネイル》だ……」


 第五層、第六層にのみ出現するモンスター。

 不定形な『影』のような肉体。

 身の丈は凡そ160センチほど。エイルとほぼ同等の体躯は手足の先から頭の天辺まで黒一色に染まっている。二つの腕に二つの足という限りなく人に近しい形をしている。

 だが、体皮や毛皮、眼球などという生物らしい器官を何一つ持っておらず、その全身は漆黒の墨を塗りたくっているかのようでありながら、顔の中心には怪しく光る円形の白い鏡のようなものが埋め込まれている。


 その中でも更に異質だったのは『右腕』。

 骨のように細い『左腕』に対して、異常発達した巨大な『爪』を有する『右腕』だった。

 あまりにもアンバランス。体の重心は発達した『右腕』に偏っている。

 歪な影の形をした異形の影の怪物。


『………………』


 幽鬼のようにユラユラと立つ異形の影。

 発声器官を持たない《シャドウネイル》は静かに二人を見つめている。

 それが、五体。

 第四層から降りてきた通路を背にするエイル達を取り囲んでいる。


「少ない……?」

「だけど油断するなよ。コイツらは強いぞ」


 エイルは腰の鞘から短剣を引き抜き、構える。

 視線は右腕――異常発達した『右腕』の先に固定されていた。発達した右腕には五本の指が備わっており、鋭い切先を持った『爪刃つめ』はナイフの形状そのものだ。

 第一層から出現する《小鬼》や《牙猪》よりも、遥かに高い戦闘能力を有するモンスター。《岩窟の迷宮》に於いて、《オーク》と同列に語られる怪物。


 ――いや、取り分け攻撃性能という一点のみで語るならば、《オーク》よりも遥かに上だ。


「っっ!?」


 影が揺らいだ。

 そう思った瞬間、目の前に『爪刃つめ』が迫った。

 反射的に短剣の刃を合わせ、不定形な肉体には似つかわしくない金属質な『爪刃つめ』が激しい火花を散らしながら、刃を滑っていく。

 激しい鍔迫り合い。

 押しつ、押されつを繰り返す。


『…………!』


 しかし、一対一は許されない。鍔迫り合いを繰り広げるエイルとは真逆からの強襲。

 ギラリと輝いた黒の斬線が背後から迫る。


「――【聖天の光盾ルクス・クトゥム】っっ!!」


 絶殺を謳う刃が光の壁に阻まれ、弾かれる。

 いつの間にか詠唱を完了させていたティエラの魔術により、エイルの命は繋がれた。

 そして、エイルは《シャドウネイル》の無防備となった腹部へ蹴りを見舞った。

 離れる彼我の距離。くの字型に折れ曲がった《シャドウネイル》へ向けて、突貫。


「はぁっ!」

『…………!』


 二刀の短剣を振るい、追撃を行う。

 刃と『爪刃つめ』の凌ぎ合い、鬩ぎ合い。火花を散らし、金属音が響き渡る。

 刃と黒手の激突を繰り広げながら、ひたすらに攻め続ける。一方的な攻めの敢行。

 切って、切って、切って――防御すら許さない連撃をもって、《シャドウネイル》の右腕を切り落とした。


『………………ッ!?』


 驚愕する《シャドウネイル》に更なる追撃。

 エイルは腕をしならせ、胴体へと斬撃を放つ。

 影の体に走った斜線。声無き断末魔を上げながら、影は霧散しその場に魔石を落とした。


(勝てる……。ずっと底辺だった俺でも…………!)


 確かな成長の実感――なんてものは無い。

 今まで劇的な成長のきっかけがあった訳でも無い。それでも、一つの山を超え、百以上の魔物の大群を前にして生き延びたエイルには自信が付いていた。

 冒険者として無かったはずの自信が。

 それが今まで、自分の枷になっていたのだとエイルは初めて自覚できた。


(たったそれだけの変化……それだけの変化で、俺は戦えるようになれた!)


 今、エイルは活力に満ち溢れている。

 今の彼には《岩窟の迷宮》でも指折りの凶悪なモンスターですら、自信を付けるための発火剤となっている。


『…………!』

「エイル、後ろ……っ!」

「ああ、分かってる!」


 背後から迫る影に、ティエラの声が重なる。

 言われるまでも無いとばかりに、エイルは即座に身を翻して、影が『爪刃』を振り下ろすよりも早くその首元へ刃を突き立てる。

 二体目の影が霞へと変容する。


「次……っ!」


 残るは三体。

 エイルは続け様、硬直する《シャドウネイル》に向けて走り出した。

 それを確認した三つの影は前方、左右から挟み込む形でエイルを迎え撃つ。


『――――!』


 鋭利な黒の刃が正面から貫かんと迫る。

 それを上に飛び、回避。勢いそのまま、体を錐揉み回転させながら、影の背後へと回り込んだ。


「――ふっっ!!」


 エイルは左腕を引き絞り、銀線を放った。

 息つく暇すら与えぬ反撃に三体目の影は対応できない。硬直し、斬り裂かれるのを待つのみ。

 しかし、仲間に向けられた凶刃を四体目の影が弾き上げた。エイルの左手から短剣が失われ、五体目の影が無防備になったエイルに対して右腕を高らかに振り上げた。


「【凍える水の咆哮。穿つ氷の礫】――【氷礫の弾丸グラス・グラリア】!」


 瞬間、氷の礫が五体目の影の頭を撃砕した。

 黒の残滓が空中に飛散し、そのあまりの衝撃に振り上げられた黒手は引きちぎれ、地面に墜ちた。

 エイルの猛攻撃に《シャドウネイル》達の意識は引っ張られたおかげで、魔術を行使するための時間と余裕が生まれたティエラの援護が刺さった。


「はぁっ!!」


 エイルは右の短剣を四体目の影に投擲。

 直線上に飛んでいった刃が魔石を穿ち、破壊した。


『――――』


 それを確認して、エイルは最後――三体目の影の懐へと地を這う蛇のように潜り込む。

 辛うじてエイルの接近に反応した《シャドウネイル》が悪あがきとばかりに振るった右腕が、エイルの頬の真横を通過していき、皮膚の薄皮一枚を削り取られながら、固く握りしめた拳を顔面へと叩き込んだ。

 反響する、鈍重な破砕音。


『……、…………!』


 渾身の右拳ストレートは影顔面に嵌め込まれた鏡を破壊し、頭部を拳が貫いていた。

 血の通わない影は砕かれた頭部から破片を散らしながら、数度の痙攣をした後、塵と化した。


「…………視界が、広い?」


 しばらくの間、拳を放った姿勢のままでいたエイルも拳を下ろして、先の戦いによる確かな感覚に緩みそうになる頬を抑える。

 先の戦いを通して分かった。自分の視野が以前より格段に広がっている。ドーランの『切り札』のせいで呼び寄せられた群れとの戦いが、エイルに周囲を見る力を付けさせた。

 落ち着きながら相手の動きと自分の動きを連動させることで、ティエラとの連携しかり、敵の攻撃の対応しかり、格段に動きの幅が広がっている。


「俺も……強くなれる……!」


 今までの自分なら、苦戦していたであろう《シャドウネイル》への快勝。

 それがエイルに更なる自信を付けさせていた。


「お疲れ様でした、エイル。動きが今までより、良くなってましたね!」

「ああ。正直、ここまで出来るとは……って感じだよ」


 興奮した様子のティエラに、エイルはあくまでも冷静に言葉を返した。

 それまでも《無限迷宮》にはほぼ毎日通っていたし、モンスターとも戦っていたが、ここに来て自分の動きのキレが増している事にエイルも内心では歓喜していた。


「この調子で第六層まで降りましょう!」

「そうだな。第六層くらいまでなら下りても大丈夫そうだし、そこまで行ったら今日はこのままモンスターを狩りつつ地上に戻ろう」

「はい!」


 そうして、二人は第六層に下りる道を探すため、第五層の探索を開始した。



◆◆◆◆◆



「…………おかしい」


 探索を開始してから、十五分が経過した頃。

 エイルは怪訝な表情を浮かべながら、そう呟いた。


「なにがですか?」

「いや、なんていうか……静かすぎないか?」

「静か……? ……まぁ、冒険者もこの時期はあんまり潜っていないみたいですし、こんなものでは?」

「いや、そうじゃなくて……」


 確かに、ティエラの言う通り。今の時期は『活性期』。多くの冒険者は休業しているだろう。

 だが、この違和感はそんなんじゃない。

 エイルは胸騒ぎを押さえつけながら、この違和感の正体を口にする。


「……なんていうか、全然モンスターに会わなさ過ぎじゃないか?」

「え? 言われてみれば……。第五層に来た直後以外、モンスターに会って居ませんね?」


 そう。そこがおかしいのだ。

 あまりにも《無限迷宮》が静かすぎる。

 本来の《無限迷宮》の状態ならば、さして気にはならなかっただろうが、今は『活性期』の真っ最中。第五層までのモンスターの大量発生が嘘のように、第六層に入ってからモンスターに出会っていない。

 最初の《シャドウネイル》以降、探索を続けている中でエイル達は一度も戦っていないのだ。


「なんか、ヤバい予感がする……」

「直感というものですか? 確かに私も肌がピリピリとするような感じがしますけど……」


 二人の警戒心が高まっていく中、ティエラがなにかを見つけたのか、進めていた足を止めた。


「エイル、この先……」

「え? この先がどうしたって……」


 ティエラが指差す先へ、視線を向ける。

 そこには一本の通路があった。覗いてみれば、それは下に傾斜掛かった道だった。


「これは……第六層に続く道か?」

「恐らくは……」


 第六層へ下りる道。

 奇しくもエイル達は次層へと続く道へ辿り着いてしまったのだ。

 この道を下りた先は《岩窟の迷宮》の最終階層である第六層が待ち受けている。違和感が残る現状で進むか進まないか。エイルが悩んでいると――


 ――迷宮が激震した。


「――ッッ!? ぐううううううううううぅうううううううう!!?」


 体を突き抜ける果てしない衝撃。

 世界がひび割れたかのような破壊音。

 立っていられないほどの振動。震える身体を地面に伏せながら、耐える。

 天井から砂塵が舞い降り、壁は砕ける。

 地面に体を縫い付けられながら、エイルは周囲へと視線を振った。


「なにも、ない? なんだ……なんなんだ、この衝撃はッ!?」


 敵から攻撃を受けているのかと考えたが、周囲に敵影は見当たらない。それどころか何かが爆発したような形跡も見当たらない。

 となれば、これは自分達を狙ったものではない?

 だとしたら、この爆発は一体なにによるもので、なにを狙ったというのか。


 その答えはすぐに分かった。


「――たす、けて……!」


 第五層と第六層を繋ぐ道を、一人の少女が駆け上がってくるのが見えた。

 全身を擦傷、裂傷、打撲、出血――傷のないところを探すのが困難なほどに傷付いた少女。

 その少女の正体が、エイルにはすぐに分かった。


「まさか、ルークのパーティか!?」


 思い出すのは、呆れるほどにお節介だった男。

 つい今しがた助けを求めた少女は、ルーク達のパーティの荷物持ちであろうあのフードを深く被った冒険者だ。

 そして、現在、事が起こっているのは自分たちのすぐ真下――


「――第六層……」

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