第19話 迷える『灰被り』
冒険者になろうと思ったのは、五歳の頃だった。
父親の顔も知らず、自分を育ててくれた母親も男といなくなった頃。
一人で生活できる財力も無く、孤独と寒さに震えながら唯一母親がくれた物語を読み続ける日々。自分が世界に見捨てられていると信じたく無くて、物語に出てくる『英雄』たちを想像した。
そして、自分とは違い人から持て囃される『英雄』たちの姿を幻視して、羨ましいと思った。
金銭的な余裕があって、人から尊敬されて、誰よりも勇気がある。
そんな『英雄』を妬んで、妬んで、妬んで――。
自分では届かないと悟って、いつしか『英雄』たちは羨望の対象から、嫉妬の対象へと変わっていった。醜く嫉んでは、『英雄』を唾棄した。
その内、同じ穴の狢のスラムの人間たちにも、エイルは迫害されるようになっていった。
いつの頃だったか。
エイルには『夢』があったような気がする。誰に馬鹿にされても、誰に無理と笑われても、誰に誹られても、そんな事を気にせずに純粋な気持ちで語ることが出来た『夢』。
今になって思えば、その『夢』がきっかけで『英雄』への嫉妬を募らせていたような気がする。
成功者と呼ばれる者たちに、心底嫌悪感を抱いていたような気がする。
『エイルの夢ってなんですか?』
そう聞かれた時、エイルは金を稼ぐ事だと言った。金を稼いで、スラムなんていう肥溜めの街から出たい。そうすれば自分は幸せになれるはずだ。
それがエイルの『夢』であり、『英雄』に嫉妬した理由のはずだ。金を稼いで、こんなクソみたいな生活をせずに、天賦の才能でのし上がっていく英雄像に辟易としていたはずだ。
エイルは自分が浅ましい人間で、人の醜いところを煮詰めたような人間だと思っている。
あれだけ毛嫌いしていたドーラン達のような『冒険者もどき』と同類。いや、それよりも醜悪かもしれない。世界を憎み、自分を否定して、他者を拒絶する。
そんな人間が持てる夢など、金を稼ぐなんていう浅ましいとも言われかねない物くらいしかない。
……ない、はずなのに。
――それが、本当にエイルのしたいことですか?
無垢な少女からの問い掛けに、エイルは答えられなかった。
ただ一言、少女に『そうだ』と一言答えるだけの簡単な事なのに、なぜかその簡単な一言が出なかった。言葉を紡ごうとするたび、声が詰まり、掠れた空気だけが漏れるだけ。
その理由が、今もわからないまま。
自分とは違い崇高な夢を語ることができる少女への劣等感からなのか。それとも、無垢な少女を前にして余りにも薄汚い自分を鑑みての嫌悪感からなのか。
……分かっている。この二つとも、言葉を詰まらせた理由にはならない。確かにこの二つもあるかもしれない。だがあの時、あの瞬間だけは違うとなにかが否定する。
なのに、なにが理由で言葉が詰まったのかが分からないでいる。
あぁ、なんで
エイルの中に燻っている『なにか』がきっとその答えなのだろう。
でも、その『なにか』の正体をエイルは知らない。
それはかつて捨てた筈の『
◆◆◆◆◆
――《
「あああああああっ!!!」
『グギャッ!?』
裂帛の気合いと共に、短剣を一閃する。
薙ぎ払われた銀の斬線が《小鬼》の首を刎ね飛ばした。短い悲鳴と共に命を落とした《小鬼》は血を撒き散らす猶予すら与えられず、灰へと還る。
前で近接戦闘を行っているエイルの後ろで、ティエラが魔術の詠唱を終えた。
それと同時、臨界を迎えた魔力が解き放たれた。
「――【
放たれた氷の弾丸が、《小鬼》を撃滅していく。
閉じられた狭い空間の中に冷気が満たされ、少し肌寒く感じ始めた頃。
襲ってきた《小鬼》の群れを殲滅した。
「ふぅ……最近、どうにもモンスターの出現頻度が高くないですか?」
「……え? あぁ、そういえば『活性期』がもうそろそろ近いのか……」
ティエラがモンスターの現れる頻度が多いことに疑問を呈した。《無限迷宮》に潜ってから早三十分弱。その間に出会ったモンスターの数はなんと驚きの五十体以上。
最近イレギュラーがありすぎて感覚がおかしくなっていたが、普通ならば三十分程度で獲得できる魔石の数なんて調子が良くて十五個ほど。
明らかに、異常なペースでモンスターと遭遇している。
そうなれば、自然と一つの可能性――『活性期が近づいている可能性』に行き着くのは必然だった。
「活性期ですか……。冒険者の登録をした時に、確か説明していたような気がします。確か、モンスターの生産が活性化する時期ですよね?」
「うん、そう。……時期的に明日くらいが『活性期』だと思う」
エイルは自身の記憶を辿りながら、《
この迷宮が未だ攻略に至っていない背景には、下の階層が深くモンスターの強さも凶悪という他に、活性期の短さも理由だったと記憶している。
「どうしますか? 明日……というか『活性期』の間は探索をお休みしますか?」
「……いや、まぁそうしたいのはやまやまなんだけど。活性期自体、大体一週間くらい続く都合上、その時期を休みにすると治療費とかが……」
新調した武器を見て、エイルは苦笑いを溢した。
折れた短剣を新調するため、武器を《錬鉄の竈》で購入することになった。最低値の短剣を購入して残りを治療費に充てるつもりが、最近は冒険者の人口が増えてきた事もあって、最低値でもなんと驚き5000オールム掛かってしまった。
そのせいで、稼がなくてはならない額が17000オールムから20000オールムにランクアップしてしまったというわけだ。
「確かにそうですね……。でも、そうなると明日はもっと酷いことになりそうじゃないですか?」
「うーん…………まぁ、『岩窟の迷宮』ならそこまで酷いことにはならないと思う……。上層域だからモンスターの生産自体少ないし、《オーク》とかを除けばモンスターの強さ自体も大した事はない……」
そもそも、活性期を気にするのは中層域以下に進出している冒険者たちだけだ。
中層域から真の《無限迷宮》が始まると呼ばれるほど、上層域とは環境がまるで異なる下の階層。そこまで進出するとなれば、活性期は避けたいとなるだろう。
だが、エイル達にはまだまだ中層域に進出する実力は無い。そもそも『岩窟の迷宮』を抜けた先、第七層から始まる『岩樹の高原』にも進出できていないのでそれ以前の話なのだが。
「まぁ、多分だけど……ドーラン達と戦ってた時よりは酷いことにならない、はず……」
「あれは地獄でしたしねぇ……」
「うん。地獄だった……。今思い出しても、よく生きて帰って来れたと思うよ…………」
あの時の自分にモンスターが殺到する感覚。あらゆる方向、あらゆる角度から放たれる殺気に晒され続ける恐怖は、どうしても頭の奥底にへばりついて取れない。
エイルが忘れようとすればするほど、モンスターの息と咆哮が鮮烈に思い起こされて、軽いトラウマになってしまっている。
それはティエラも同じなのか、あの時の状況を思い起こして苦笑していた。
「まぁ、用心はしておこう。アイテム――特に『ポーション』とかは多めに用意しておいた方が良いだろ」
「ですね。なんなら『ハイポーション』とかも……」
「そんな金があるなら、な。『ハイポーション』以上は馬鹿みたいに値が張るから……」
回復薬にも位が存在しており、回復薬としては最低辺の『ポーション』は傷を治す効果は薄く、体力の回復などにしか役立たず、素材も比較的安いので安価だ。
だが、『ハイポーション』ともなれば素材もかなり稀少なもので、傷もある程度は塞がるし、体力もポーションとは比較にならないほど回復するため、ポーションの三倍以上の値段で取引される事もザラだ。
因みに余談ではあるが、最も強力な回復薬である『エリクサー』は神薬とも呼ばれ、流通する量も限られているため入手自体が不可能に近い。
「それじゃあ、今日のうちに沢山稼いで、明日の準備のための資金を用意しましょう!」
「……だな!」
張り切るティエラを見て、エイルも笑ってそう答えた。
結局、その日に稼いだ金額は二人で12000オールム。一人頭6000オールムの稼ぎだった。
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