第18話 犯罪地区・ミノス

 ――《クノッソス》東区角・アリアドネ区。


 華やかな街の景観と、道行く人々の綺麗に整えられた身嗜みから、外より来た人々はその区画を『華の都』と呼称した。

 この区画に暮らす人間は皆、成功者たちだ。

 一大事業を発起し莫大な富と財産を手に入れた事業者や、迷宮の奥深くまで進出し豊潤な資産を稼いでいる冒険者など。

 その成功形態は各人それぞれで異なる。

 だが、確かに言えることがあるとするなら、ここアリアドネ区で暮らせると言うことは、その人物はこの都市、ひいてはこの世界でも多大な影響力を有するということだ。


 ――そして、その影響力は無論。裏の世界、つまるところ『犯罪者の世界』でも、凄まじい影響力を持つということに他ならない。


「くそ、クソクソクソクソクソクソクソ――っ!」


 男はただ走っていた。

 アリアドネ区という、金持ちのみが集う『華の都』の中にあって、その男はただただ異質。

 煤けた服に、砕けた鎧。強く噛み締めた唇からは止めどなく血が溢れ出している。


「殺してやる……! 絶対に、アイツを殺す……!」


 集る群衆を振り払い、押しのけ、怒りのままに疾走を続ける。恨み節を吐きながら、己の中にドス黒く燃え続ける感情が、男の相貌を醜く歪める。

 血走った眼が見つめる先は、一寸先の人集り――ではなかった。


「エイルゥ……!」


 見るは、敗走の記憶。

 侮っていた。嘲っていた。それまで確実に自分より格下だった少年に、男は敗北を喫した。前例を見ないほど屈辱的なまでに。


 自分は『切り札』まで使用した。

 なのに、アイツを殺せていなかった。

 どうやって生き延びたのか知る由もないが、アイツは一部の欠損もなく、五体満足で生き延びていた。


「許さない……! どれだけ俺に屈辱を味合わせれば気が済む! 絶対に、俺の手で、アイツの首を落とす……ッ! 嬲り殺しにして、アイツの首を晒してやるッ!」


 もう既に、只人ヒューマンの男――ドーランには一切の誇りも無かった。あるのは、胸に燃える瞋恚の業火のみ。自分を超克した少年への、ただの逆恨み。

 その足が向かう先は、東に位置するアリアドネ区の中でも更に、東。

 普通の人間ならば誰も寄り付かない、スラムよりも重々しい空気を孕んだ悪意の温床にして、悲鳴と絶望に塗れた悪夢の巣窟。


 ――『犯罪地区・ミノス』。


 アリアドネ区を『華の都』とするなら、ミノスは『罪の都』。

 《クノッソス》の憲兵隊も手出しができない、迷宮外に存在する唯一の不可侵領域。どの区画よりも華やかな印象が先行するアリアドネ区の、どの区画よりも醜悪な暗部である。


「もう、手段は問わない……! アイツを殺せるなら泥だって啜ってやる!」


 果てしない執着と、拭い去れない汚辱。

 この全てを精算するためならば、ドーランは悪夢とでも――『魔王』とでも契約する覚悟があった。

 だから、男は走る。ミノスの首魁が待つ、『魔王の根城』へと。



◆◆◆◆◆


 『犯罪地区・ミノス』の最奥。

 乱立する崩壊した家屋と鼻をつく血の匂いのその先に、その『城塞』は存在していた。

 地面に突き立てられている、破損した武器の墓場。

 肉が腐り落ち、朽ち果てて、骨だけとなった死骸の山が築かれた庭を抜けた先、悪魔達が集う『大広間』が広がっている。


 その更に、奥。

 全てを見下ろすように取り付けられた一つの豪奢な椅子が目に留まる。

 まるで玉座のような席に座するのは、一人の巨漢。


「なぁ、俺ァお前に言ってたよなぁ? を何としてでも攫って来いってよォ」

「す、すいません……! 邪魔が入ったんです……ッ! あ、あのガキが居なきゃ、確かに攫えてたはずで――」

「関係ねぇ。お前は俺を失望させた。それだけで、お前が死ぬには充分すぎる理由だぜ?」


 鋭く纏め上げられた金色こんじきの髪に嗜虐心に塗れた赤褐色の瞳。只人ヒューマンでありながら、ドワーフにも引けを取らぬ筋肉質な肉体。首から黄金の鎖を掛け、左右の五指には多様な種類の指輪が飾られている。

 何より特徴的なのは、右側の額から頬、顎にかけて刻まれた燃える焔のような、火山から噴き出すマグマの如き紅蓮を象った刺青だ。


「そ、そんな……! お願い、します……! 次は失敗しませんからっ! だから、どうか……命だけは――!」

「……そうか、命が惜しいか。そうだよな、死にたくないよな」


 男は玉座から立ち上がり、自分の足に縋り付く憐れな子羊の視線の高さまで、自分の顔を持っていく。

 肩を叩き、今にも泣きそうな顔をした、恐怖によって支配されている愚者に同情した。


「でも、ダメだ」

「……ぇ」


 残酷に、嗜虐的に。

 相手が最も絶望するタイミングで。

 舌舐めずりをしながら、死刑宣告を送る。


「な、なんで……」

「さっきも説明したはずだぜ? お前は、俺を失望させやがったんだ。だから、此処でお前には死んでもらうってよ。確かに死にたくない、生きたい……ってお前の願望は理解してやる。だが、俺がそれをわざわざ聞き届ける義理は無いんだよ」

「そ、そんな……! お願いします、どうか命だけは助けて下さい! 靴でも、泥でも……なんでも舐めます! だから、命だけはぁ!?」


 土下座して泣き叫ぶ愚図の頭を掴む。

 ミシミシッ、と頭骨が軋む音が静謐な空間に響き渡る。


「ぁ、アアアアアアアアア――ッ!!! やだ、ヤダヤダヤダヤダヤダっ! 死にたくない、助けてくださいっ! お願いしますっ、エルディゴ様――」


 ぐしゃ。

 頭が握り潰された。

 地面にボトボトと垂れ落ちる肉片と脳片。爆散した血が辺り一体に跡を残す。

 頭部を失った肉体は右へ左へと揺れ動き、最終的には右へと倒れた。


「ふぅ……久々にスカッとしたぜ!」


 赤黒い血液に塗れた手で、男は自分の髪を掻き上げた。

 男の名前は――エルディゴ・アヴァリス。

 史上最悪、史上最凶の犯罪組織『ゴエティア』の頭領にして、犯罪地区ミノスの首魁。


「エルディゴ様、もう一人……自ら面会したいと言う者が来ました」

「あぁん? 面会だぁ?」

「はい。どうされますか?」


 自分の前へと臆することなく近付き、片膝を付いた男を一瞥し、エルディゴは面倒くさそうにため息を吐いた。


「……しゃーねぇ、通せ」

「分かりました」


 男は恭しく頭を下げると、すぐに立ち上がり扉の外へと出て行った。

 そして、すぐ後。

 部屋を出て行った男と入れ替わるように、スキンヘッドの男がエルディゴの前に現れた。


「お久しぶりです、エルディゴ様」

「なんだ。俺に面会したいってのはお前だったのか、ドーラン」


 ドーランを笑顔で向かい入れたエルディゴは、地面の肉塊を踏み潰しながら、彼のそばまで歩み寄った。

 まるで旧友を出迎えるように。

 先程まで、そこで行われていた惨劇を無いものとして、ドーランの肩に手を置いた。


「なにか要件があってここまで来たんだろ? どうしたんだ、話くらいなら聞いてやるぜ。女の斡旋や、物資の提供、仕事の提供とかな」

「……率直に言います。俺に……『誘引薬インヴィート』よりも強力な薬を売ってはくれませんか」

「ほう? それはまたどうしてだ?」


 唐突なドーランの申し出に、エルディゴは面白いものを見るかのように目を眇めた。


「どうしても、殺したい奴がいるからですよ。俺に散々辛酸を舐めさせておいて、アイツは今ものうのうと暮らしていると考えただけで反吐が出るッ!」


 ドーランの目が狂気に染まる。

 恨みが積み重なり、男の心は闇に塗り潰されていた。


「あの女もだ! そもそも、元を辿ればあの女が邪魔をしたからアイツは俺らに反抗したんだ……! 可愛い顔をして悪魔のようなあの女のせいで……!」

「可愛い顔…………女、か……」


 エルディゴは目を見開き、ドーランが発した言葉を反芻した。脳裏に描かれるのは、先程頭を潰されて始末された男のこと。

 だが、ドーランはそんな事を知るはずもなく。

 心の内に荒れ狂うドス黒い悪意を外へと撒き散らす。


「普通の『誘引薬インヴィート』では殺せなかった! 金なら幾らでも出す! だから、前のものよりもより強力な薬を売ってくれっ!」


『切り札』を超えた『切り札』を。

 モンスターに陵辱され、噛み砕かれ、絶望に嘆くあの少年の姿を思い描くドーラン。

 悪意に支配された彼を見て、エルディゴは口の端を吊り上げた。


「なあ、ドーランよ。その女ってのは……金色の髪に、髪と同じ色の目をした、不気味なまでに顔が整った女だったか?」

「そ、そうです……。なんで、知ってるんですか?」

「くっ、アハハハハハ――ッ!」


 突然、エルディゴは大口を開けて笑った。


「そうか。そうかよ……! 案外、チャンスってのはすぐそこに転がってるもんだなぁ!」

「ど、どうしたんですか……?」

「いや、なに気にすんな。ただ少しだけ興奮しちまっただけだ。そんで、さっきの話だが……そう言う事ならお前に売ってやるよ。あの薬の濃度を上げたやつをな」


 未だ治らない笑いを堪えながら、ドーランの要求をエルディゴは飲んだ。

 これは、チャンスだった。

 エルディゴが望んでいた『鍵』を手に入れられる可能性がある絶好の機会。


「ただし、使用する階層自体に制限は設けねぇが、使用する時期はこっちで指定させてもらうぜ?」

「使用、時期?」


 エルディゴは狙った獲物を、逃がさない。

 莫大な富と財を自身の中にある尽き果てぬ欲望と、無際限の悪意によって築いた男は全てを奪い尽くす。

 知ってか、知らずか。

 人々はエルディゴをこう呼び、畏れた。


 ――『強欲の魔王』と。


「使用するのは、今から四日後だ」

「まさか、四日後って言うと……」

「あぁ、そのまさかだ……。その時期に使えば、《無限迷宮ラビリンス》は


 繁殖機能を持つ動物には、数ヶ月か一年か――時期はまちまちだが繁殖期というものが訪れる。これは厳しい自然界で自分の子孫を残そうとする本能によるもの。

 そして『迷宮』も動物のように、ある一定の周期でモンスターの生産が活性化する時期がやってくる。


 今日から四日後。

 《無限迷宮ラビリンス》の『活性期』が訪れる。

 史上最悪の迷宮が最もその悪意を剥き出しにする、冒険者にとって最悪の時期が。

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