第17話 危機はすぐそこに

 ルニア・エルニースはそれはもう物凄く怒っていた。

 ほっそりと尖った長い耳に澄んだ翡翠の色の瞳。ミディアムのベージュの髪。他の《ギルド》職員と比べても、頭ひとつ抜けて整った美しい風貌。理知的な雰囲気を漂わせる落ち着いた姿。

 仕事人然としながらもとても親しみやすいと評判の彼女は、獣人やドワーフ同様に亜人の一つに数えられる『エルフ』である。


 いつもならとても柔和な態度のルニアの背には、なぜか般若の姿が浮かび上がっていた。

 何故彼女が怒っているのか。その理由にエイルは思い当たる節が何もない。


(でも、分かる……! 今、ルニア……さんは怒っている! それも途轍もなく!)


 周囲を見渡せば、こちらを何事かと見ている冒険者や《ギルド》の職員達と視線がぶつかる。そして、ぶつかった側からそっぽを向かれ、あくまで無関心という風を装っている。ただ、エイルが目を背けると、また横目でちらちらと見てくる事から、やはり何事かは気になっているらしい。

 ルニアが怒っているというのはそれだけ稀少な事であり、本来ならあり得ないような出来事だという事だ。


「じゃあ、この部屋ででお話しようか?」


 笑顔でそう言われて通されたのは、《ギルド》内に併設された小さな面談室。薄い壁に四方を囲まれて簡易的な部屋の中だ。

 何故か怒り心頭なルニアと二人きりという、実質的な死刑宣告に戦慄を覚えながらも、エイルは大人しく頷きを返して部屋に入っていった。



 エイルとルニアの出会いは、今から三年前。エイルが冒険者になって、体の良い荷物持ちとして使われるようになってから七年が経った頃だった。


《ギルド》の職員の仕事は主に二つある。

 一つ目は受付での冒険者の対応。これは《魔石》の換金然り、冒険者志望の初心者に対して、冒険者になるための書類の説明と登録手続きなどの対応などがある。

 そして、二つ目は冒険者へのアドバイザー業務だ。これは迷宮へ潜る冒険者が、少しでも生存率を上げるために《ギルド》独自で行っているシステムだ。


 その当時、エイルにもアドバイザーというものが付いていたのだが、その職員が退職することになってしまった。そのせいでエイルは実質的にアドバイザーが居なくなってしまった。

 そんな時、《ギルド》側から遣わされたのがまだ働き始めて間もなかったルニアだった。

 以来、今までルニアには専属のアドバイザーとして様々な助言を貰いながら、時には叱責を浴びながらも冒険者として――荷物持ちとして活動していた。


「ねぇ……私との約束事覚えてるよね?」

「……ぁ」


 エイルはそこで漸く彼女が怒っていた理由が分かった。

 それはルニアが専属アドバイザーになってから、一ヶ月も経っていない頃のこと。

 冒険者たちに裏切られて重傷を負った事があった。リズの腕でも全治一ヶ月以上の大怪我だ。意識もなかなか戻らず、入院が長引いたせいで暫くのギルドに顔を出すことはできなかった。


『エイルくん!? 良かった、生きてたんだ……!』


 久々に顔を出せたと思った時には、既に二ヶ月ほどの時間が経過していた。

 ルニアは担当していた、死んだのかもと不安に感じていた冒険者が姿を現したことに感極まって涙を流した。その際、ルニアとある約束を交わしたのだ。


「…………一週間毎でも良いから、定期的に顔を見せること……ですよね?」


 もう心配させないで欲しい――そう懇願されて、ルニアと交わした約束だった。

 エイルも換金するものがあったので、《ギルド》に定期的に顔を見せることは欠かさなかった。だが、自然と顔を合わせるのが当たり前になっていたせいか、定期的に顔を見せる事がすっかり頭から抜け落ちていた。

 ドーラン達は《魔石》の現物支給ではなく、現金の直接手渡しだったという事もあって、彼らとパーティを組んでいた間――時間にして二ヶ月弱、《ギルド》には顔を見せていなかったのだ。


「そう。アドバイザーとして担当する冒険者には、定期的に助言とかをしようかと思っての提案だったのに、君はそれをあろうことか二ヶ月もすっぽかしたよね?」

「はぃ、申し開きもありません……」

「無事だったから良かったけど、私はもしかしたら君がまた動けないくらいの大怪我を負ったんじゃないか……って気が気じゃ無かったんだから!」


 ルニアが腕を組みながら、エイルに対しての怒りを吐露し始めた。


「君はなんでか知らないけど、自分のことには無関心を貫いてるし、無茶無謀をやっちゃう子なのは知ってたけど流石に約束は破らないと思ってたんだよ?」

「すみません……」

「全く、私のこの二ヶ月間の心労はどう責任を取ってもらおうか……」

「ほんと、すみません……」


 流石のエイルも悪態を付くわけにもいかず、ひたすら平謝りに徹した。


「まぁでも、無事で良かったよ。便りがないのは良い便りって言うことかな」

「は、はははっ! そうですね!」


 ルニアは溜め息を吐き、苦笑を浮かべた。

 どうやら怒りも収まったらしいルニアに安堵しながら、エイルは愛想笑いを返した。


「それで? 今日までに何か変わった事はあった? 些細なことでも良いよ?」

「えーと……つい最近だと《無限迷宮ラビリンス》で死にかけたくらいかな……。今朝、退院してそのまま此処に換金に来たんだけど」


 ルニアが普段の穏やかな雰囲気に戻ったことに安堵したエイルは、何も考えずに自分が死にかけた事を口にしてしまった。

 その瞬間、部屋の空気が一気に凍りついた。冬の気温なんて生温い。低温を超えた低温――極低温まで冷え込んだ空気に、思わず風邪を引いてしまいそうだ。


「……え? 死にかけた?」

「いえ、聞かなかったことにしてください」


 自分の致命的な失敗を悟ったエイルは、ルニアの言葉に自分の言葉を被せる。

 そう。あれはほんの些細な言い間違い。

 目くじらを立てて聞くほどのものではないのだ。自分にそう言い聞かせながら、ルニアの反応を見る。


「――ひっ!?」


 目が、澱んでいる!?

 暗く、深い、夜の海底のように黒くっ!!

 マズイ、殺されるっ!!?


 エイルはモンスターよりも恐ろしい人の闇を垣間見たような気がした。いや、自分が悪いのは明白であって、余計なことを口に出した自分のミスのせいで、ルニアは人を殺せそうなほどの殺気を放っている。

 ドーランによって嗾けられたモンスターの大群よりも、今のルニアの方が断然恐ろしい。


「どういうこと? 聞き間違いなんて言葉で、聞き流しては上げられないかな」


 エイルは咄嗟に顔を逸らした。

 顔が見れない。

 凍り付いてしまいそうな冷たい声色だけで、今のルニアがどんな表情をしているのか、エイルには分かってしまった。


「え、えーと……言葉の綾と言いますか……。あ、ほら! 冒険者なんて毎度死にかける職業ですし! そういう話をしただけですよ!」

「…………」


 下手くそな作り笑いを顔面に貼り付ける。

 ほんの冗談だよ!本気にしないでね!というようなテンションを装ってみる。

 いや、エイル自身も理解しているのだ。あまりにも誤魔化し方に無理がありすぎることも。こんなもので騙されるほど、ルニアは馬鹿じゃないことも。


 だって、ほら。

 現に今エイルを見ているルニアの目には怒りを通り越して、呆れの感情が見て取れる。


「ねぇ、エイル君……?」

「分かってます、無理ですよね、分かってます」


 もう勘弁するしか道はない。

 この先に待つのが修羅の道といえど、勇気を出して一歩を踏み出すしかない。

 喉はもう既にカラカラに乾いているし、冷や汗も止まらない。だが、この道を進む以外に残された選択肢は存在しない!


「じ、実は…………」


 エイルは目線を下に向けたまま、死にかけた出来事のあらましを語った。

 ドーラン達のパーティにティエラが一時的に加わったこと。

 第一層でドーラン達と交戦したこと。

 ドーランがモンスターを呼び寄せる『誘引薬インヴィート』を使ったこと。

 ルーム内に押し寄せてきたモンスターの群れから、なんとか逃げ出したこと。

 エイルの話を無言で聞いていたルニアは、話が進んでいく内に表情がみるみる険しくなっていった。


「それで……結果的には何とか生きて出られたんですけど、ドーランだけには逃げられてしまったって言う感じです……」


 話が終わる頃には、ルニアの表情は正しく鬼のようになっていた。

 だが、それも一瞬だった。ルニアは眉間を押さえたかと思えば、深いため息を溢した。


「なるほどね。大体なにがあったかは把握しました。結果的にはエイル君が生きてたから良かったとします……」


 エイルは胸を撫で下ろした。

 修羅の道を進んだ先に死をも覚悟していたが、どうやら血を見ずに済みそうだ。


「でも……そっか……。ドーランさんが『誘引薬インヴィート』を持ってたのかぁ……」

「……? その薬を持ってる事に何か問題でも?」

「大アリだよ」


 一転して、ルニアの雰囲気が真面目モードへと切り替わった。

 先程までの怒り心頭と言った様子とも違う圧のある顔付きに、エイルは一瞬たじろいだが、すぐに姿勢を整えて彼女の話に耳を傾けた。


「『誘引薬インヴィート』って言う薬はね。そもそも一般に流通するような薬剤じゃないの」

「一般に、流通しない?」

「そう。その薬の《ギルド》……というか《クノッソス》での名称は――『特定危険薬物・誘引薬インヴィート』。この街では所持することすらされている薬だよ」


 それがドーランの使用した『切り札』の正体。

 そもそもとして、モンスターを誘き寄せるだけの薬なんてものは百害あって一利なし。

 では、この薬がその効力を最も発揮するのはいつなのか。

 無論、そんなものは限られている。

 この街でも禁忌とされる人殺し。正確に言うならば――『同業殺し』。


 この薬が出回り出した当時。犯罪組織に属する冒険者達の手によって、『誘引薬インヴィート』が多用され、多くの冒険者が迷宮内で非業の死を遂げる事件が多発した。

 迷宮内で起こった出来事は全て不問とする――そう定められている暗黙の了解があって尚、この薬によって引き起こされた事件が後を絶たなかったため、所持そのものを《クノッソス》が禁止したという異例中の異例。

 今では製造も、販売も全面的に禁止され、それが判明次第クノッソスから厳罰対象となるようになった。


「どうして、そんな物をアイツが持ってたんだ……?」

「それは分からない。入手経路については、ドーランさんに直接聞くしか無いかな」


 ドーランが入手した経緯は一切不明。

 当の本人は取り逃してしまったため、話を聞くことができない。

 でも――、ルニアはそう続けた。


「実は、ドーランさんにはある疑惑が前々から上がっていたの」

「疑惑……?」

「そう。ある犯罪組織との関係があるんじゃないかって」


 ドーランと犯罪組織の関係。

《ギルド》側が前々から関与を疑い、調査をしていた情報をルニアは開示した。


「その犯罪組織の名前は――『ゴエティア』」

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