第14話 冒険の目的
彼女が目を覚ました時、そこにはとても幻想的な光景が広がっていた。
世界全体が『空』に覆われた空間。ひたすらに蒼く澄み渡っている晴天だ。緩やかな大気の流れに、自分を照らす暖かい日の光の中で、白い鳥や黒いドラゴンが空を翔けている。
彼女が立っていたのは、綿のように柔らかい真っ白な『雲』の上だった。
「わたしは……だれ……?」
少女は自分の名前を知らなかった。自分が何者で、此処がどこなのかも分からない。
衣類を一切纏わず、汗や埃も一切ない少女の姿はまさしく天井に暮らす天使そのもの。くすみの無い金の長髪を靡かせながら、少女は『雲』の上を歩き回った。
『キュアアアアアァ――ッ!』
甲高い鳥類の叫喚が響き渡ったかと思えば、次の瞬間には空を一条の熱線が引かれ、青空は割れて、そこから黒く深い闇のような――『虚無』がその顔を覗かせた。
宙を舞う白い羽根がドラゴンの鱗を抉り貫く。ドラゴンの牙が天空を駆け回る鳥の翼を噛み砕く。そこに空を泳いでいた黒い龍が乱入し、場を更に掻き乱していく。
血が舞い、死が踊る――モンスター達が奏でる『狂宴』を前にして、少女はただ茫然と立ち尽くすばかり。
「なんで……彼らは戦っているの……?」
手を伸ばし、届かないと悟る。
天空で常時行われているモンスター同士による殺し合いが終わる事はない。少女の細腕では、あそこに混じったところですぐに挽肉にされて終わるだろう。
だからなのか、少女はその光景をより幻想的なものだと思ってしまった。獣たちが生きるために死力を尽くすその生き方を、美しいと感じてしまった。
「……羨ましい」
自然と口を衝いて出た言葉に、少女は思わず口を手で押さえた。空っぽな自分の中には、あんなに命を賭けて戦う理由があるのだろうか。
そう考えて、少女は伸ばしていた手を下ろした。
「わたしは……だぁれ?」
誰もいない空間で、少女は誰かに問うた。
しかし、その回答を与えてくれる誰かは一人としていない。一緒に答えを考えてくれる誰かも一人としていない。
少女は――この広い『空』の中で、一人だった。
頭上で飛び交うモンスター達も少女に関心を示さない。誰も自分を見てくれない。
「………………」
少女は一人で彷徨い続けた。
自分の存在を知るために。この場所がどこなのか知るために。自分の記憶の在処を求めて。
『キュアアアアアァ――!!!』
少女が一人でいる間にも、モンスター達は殺戮の中に身を置いていた。
殺到する殺意の塊の中で、息つく暇もなく戦い続けるモンスター達は孤独を感じる事はないだろう。生存競争という自然の摂理の中に身を置いている彼らは、敵と仲間に囲まれた戦場に有る。
だが、少女は違う。自然の摂理の中にすら入れてもらえない疎外感に晒されながら、少女はただ沈黙を貫いていた。
そんな時だった。
「――ッ、ぐぅ……っ!!?」
世界が震えた。
果てしない衝撃が、『空』を貫いた。
轟音が『空』を支配したかと思えば、今まで戦いに興じていたモンスター達が一斉に動きを止めた。
「な、なに……?」
その衝撃の正体を探すために、視線を左右へと振る。
少女の目には世界を震えさせた原因は見えない。だが、空を飛んでいたモンスター達はその衝撃の原因がなにか見えているかのように――騒めいた。
『――――――――ッッッ!!!』
叫喚を上げながら、一方向へと集い始めるモンスターの大群。
行軍――と言えば聞こえはいいが、実際は本能に身を任せた連携などないただの驀進。
「あっちに……なにがあるの?」
少女は興味本位で、モンスターが向かっていった方へと足を向けた。
もしかしたら、自分のことを知る誰かがそこに居るのかもしれない――。
そんな淡い期待と共に。
しばらく歩いていると、その目に飛び込んできたのは死骸の山だった。
先程まで天上で戦っていたモンスター達が、物言わぬ屍と成り果て『雲の上』に積み立てられていた。その内の幾つかの死体は既に灰化が進行している。
殺されてからまだ時間が経っていないと、少女は直感的に理解した。
「誰が、こんな事を……?」
築き上げられた死体の山へと、少女は近付いた。
無惨に殺されたモンスターに触れようと手を伸ばし、
「――危ない!」
押し飛ばされた――と、少女が理解するよりも速く、死骸の山の中から覆い被さる亡骸を払うように、青い炎が放たれた。
肺が焼かれるのではないかと思うような熱量を持った炎は、少女が先程まで立っていた地面の『雲』を消し飛ばし、塞がる死骸を骨も残らぬ炭へと変貌させていく。
一条の炎が放たれた後、未だ近づけぬ熱を発する蒼炎の道を通り、モンスターたちの遺骸を振り解きながら、一頭のドラゴンが現れた。
『フゥウウウゥ……ッ!』
現れたドラゴンは既に満身創痍。
左腕は千切れ掛け、美しい純黒の翼は片翼を欠損していた。全身余す所なく、稲妻のような裂傷が刻み付けられ、血を垂れ流すドラゴンはまさしく死に体だった。
いっそ、どうして動けているのか不思議なほどに。
「――いい加減、死ね!」
そんなドラゴンに対して、無慈悲な斬撃が振り落とされた。
皮を裂き、肉を斬り、骨を断つ。
全長二メートルを超えるほどの巨大な刃が、ドラゴンの首を切り落とした。
「危なかったね、アンタ」
ドラゴンの首を切り落としたのは、一人の女性だった。座り込む少女へと手を伸ばした。
「名前はなんて言うんだい?」
そう聞く女性に対して、少女は沈黙した。
自分の名前を知らない少女には、質問に対する回答を持ち合わせるわけもなく――
「――ティエラ……」
思わず、口を衝いて出た言葉。
特に意味のない文字の羅列に少女は首を捻った。
それが、自分の名前?
わからない。わからないが、頭の中に浮かび上がった文字の羅列はきっと自分の名前だと、少女は自分自身へと言い聞かせた。
そうして、少女は――ティエラは目覚めてから、初めての人との出会いを果たした。
◆◆◆◆◆
「――と、まぁこんな感じで、その女性には色々と助けてもらえたんです!」
ティエラの口から語られた彼女の身に起こった出来事を聞いて、エイルは愕然とした。
まずまずとして、ティエラには《
《無限迷宮》に潜ることが初めてのはずなのに、迷宮内に居たことがあると言う矛盾の謎も解けた。
だが、それよりもエイルが衝撃を受けたのは、ティエラが目を覚ました場所だった。
「迷宮内にある『空』……? それって、まさか……」
「どうかしました? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてますが」
「なぁ、確認なんだが……お前は《無限迷宮》の中にある『空』みたいな場所で起きたんだよな?」
「はい! あそこはとても綺麗でしたよ!」
あっけらかんと答えるティエラを見ながら、エイルは自分の持ち得る限りの知識を総動員して、《無限迷宮》の内部構造を思い起こす。
『空』、『雲』、『上空を滑空するモンスター』。
この情報から推察されるティエラが目覚めた場所は――
「まさか、『空の天蓋』……?」
「何ですか、それ?」
「多分、ティエラが目を覚ました場所だよ」
エイルはきょとん顔をするティエラに『空の天蓋』についての説明をした。
――《無限迷宮》
《無限迷宮》は階層の区切りごとに、『上層域』『中層域』『下層域』――と言うように層区分がされている。
その中で第五十二層から第五十四層まで続く広大な『空』の広原が分けられている区分は――『
《無限迷宮》が過去一度も冒険者達の攻略を可能とさせなかった最大の障害。そこまで辿り着いた数少ない英傑達を殺してきた最悪の階層。それが、『深層域』だ。
「つまり、私はそんな危険な所で目を覚ました……と」
「そういう事になるな」
ティエラは口元を手で覆いながら、驚いたような表情をしている。
同時にエイルは『仮の二級冒険者』という意味についても、理解ができた。
(記憶のない冒険者……ティエラの話を聞くに、身分を証明する徽章もなかったみたいだし『深層域』にいたことを加味して、一応二級にしたって事か……)
どんな話の流れがあったのかは分からないが、恐らくはエイルの考えたような事があったのだろう。
だからこそ、ティエラは『仮の二級』と言ったというわけだ。
「エイル。私、もっと強くなります」
「え?」
突然、真剣な顔をしたティエラがそう宣言した。
エイルも何事かとティエラの顔を見る。
「私は……自分が何者なのかを知りたい。そのために、冒険者になりました。だから、もっと強くなって私が目を覚ました場所――『空の天蓋』まで辿り着きます!」
「お、おぅ……」
「それが私の冒険の夢。なので、今後とも私に協力してくれませんか? 貴方は貴方の、私は私の夢を達成するために」
ティエラはそう言うと、手を伸ばしてきた。
今後もパーティを組むなら手を取ってくれ――と言う意思表示なのだろう。
「夢、か……」
「はい!」
暫しの逡巡のあと、エイルはティエラの手を取った。
「わかった。俺も俺の夢のために、お前の夢にも協力してやるよ。まぁ……なんだかんだ、ティエラには助けられたしさ……」
「――はいっ! よろしくお願いしますね、エイル!」
そうやって喜色満面の笑みを浮かべるティエラの愛らしい表情に、緩んでしまいそうになる頬を押さえながらエイルは気恥ずかしさで顔を逸らした。
しばらくの間手を握っていたが、その後どちらからともなく手を離した。
「ところで、エイルの夢ってなんですか?」
すると、ティエラは首を傾げてエイルに質問をした。
「俺の夢は…………金を稼ぐことだよ。金を稼いで、こんなクソみたいな暮らしから脱却すること。ただそれだけを目標にしてる」
ほんの少しの間の後、そう答えたエイルの顔をティエラはどのような表情で見ているだろうか。ティエラのような崇高な『夢』なんて無い。浅ましい人の欲望丸出しの回答に、どんな反応をするだろう。
顔が、見れない……。
何故か胸の辺りがモヤモヤするが、それはきっと気のせいだ。エイルはそう自分に言い聞かせた。
そして、ティエラが口を開いた。
「それも確かに大事なことですよね! でも――」
そう続けた先、ティエラは問う。
「――それが、本当にエイルのしたいことですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます