第12話 氷狼

 狭いルーム内に溢れ出んばかりに殺到するモンスターの群れに、たった一本の刃を駆使して戦う。


「だらあああああぁっ!」

『グキャッ!?』


 あらん限りの力を込めて刃を振るう。一振りで二匹の小鬼の首を刎ねる。

 瞬間、襲いかかるのは五体の小鬼。仲間の死をものともせず襲いかかる理性なきモンスターが振るう爪は、エイルの命を奪うために振るわれた。

 エイルは襲いくる凶刃の空隙へと身体を捻じ込むことで、辛うじて致命傷を回避する。


「――――ッ!」


 だが、小鬼の爪の先がエイルの頬の薄皮一枚を裂いた。血が滲む頬には大粒の汗の水滴が見て取れた。


「こんなの……どうすんだよ!?」

 

 無際限に押し寄せるモンスターの奔流をその身一つで、辛うじて凌ぐエイルは絶望的な状況に苦々しい表情を浮かべながらも、斬閃を瞬かせる。

 ドーラン達との戦いで負った左腕の負傷と、蓄積した疲労が足を引っ張り、エイルは思うように動けていない。

 そして、それはティエラも同様だ。


「エイル、どうしますか! 私、このままだと魔術使えないせいで、まるで戦力になれないです!」


 モンスターの攻撃を躱しながら、そう言うティエラの表情にも焦燥の色が浮かんでいた。

 絶え間なく攻撃をされ続けているせいで、ティエラも魔術を使う余裕が無い。ルームの中心にいるせいで四方八方から攻撃され続ける現状では、エイルも下手にティエラの援護に回れない。

 このままではティエラが戦闘に参加できない。一対多数という構図を繰り返す羽目になる。


 狂気の沙汰だ。

 二対三での戦いだったドーラン達との戦いがマシだと思えるほど、状況は最悪。戦力差は十や二十じゃ足りない。五十――いや、百に到達しているのではないかと錯覚するほどに数の差は圧倒的。

 数えることが億劫になるほどの戦力差だ。

 考えれば考えるだけ、もうこのまま死ぬしか無いんじゃないかという思考が脳裏をよぎる。


「くっそ! 生きて出るって言ったって、こんな量のモンスターをどうやって倒し切れって言うんだよ!」


 悪態を吐きながらも、エイルはモンスターの動きを惹きつけ、首を刎ねる。悪い想像を振り払うようにして、がむしゃらに戦い続ける。だが、首を刎ねた側から湧いて出る別のモンスター。

 このままではモンスターの群れに嬲り殺されるのも時間の問題だ。


(なにか、なにか無いのか……! どうにかしてこの状況を打開しないと、このままティエラ諸共殺される!)


 打開策を考えようとするが、モンスターの濁流はエイルに思考する隙を与えてはくれない。

 そうする内に、エイルの体は徐々に傷つき始めている。せめて、攻撃の方向を限定できれば片腕しか使えないエイルでも、もっと迅速に敵を処理できる。

 ティエラを守りながらでも戦える可能性はある。だが、そんな都合の良い場所が存在しているかすら怪しい。


「くっそ! ティエラ、なんかこの状況を打開するとびっきり強い魔術とか無いのかよ!」

「あるにはあります! ただ、この状況だと魔術を発動しようにも詠唱どころか、魔力も練れないからそもそも魔術が使えません!」

「そりゃそうだよなッ! ごめん!」


 そんな会話をしてる内にも、モンスター達の勢いは増すばかり。

 牙猪ファング・ボアの突進に対してエイルは回避を選択。背後から迫っていた小鬼の首に回し蹴りを叩き込み、頸椎を粉砕する。しかし、そんなエイルを嘲笑うように、新たに現れたモンスター。

 その姿を認識して、エイルは戦慄した。


『――ブォオオオオオオ!!!』


 それは、巨体のモンスターだった。

 体長がおよそ三メートルにも及ぼうかという巨体のモンスター。小鬼と牙猪という高さのないモンスターの中で、あまりにも目立ちすぎるその体格。

 豚のような頭と、人のように二足歩行するモンスター。その手に握られたるは、石で造られた『棍棒』。


「まさか……《オーク》ッ!?」


 上層域の第一フロアである《岩窟の迷宮》にごく稀に出現する稀少種レア・エネミー

 ――《オーク》。

駆け出し殺しルーキーキラー』と名高い怪物。特徴的なのはその巨体から繰り出される圧倒的な膂力パワー。そして、その巨体に見合わぬ――


「しま……っ!?」


 ――速度である。


「…………が、ぁ」


 オークが乱雑に振り抜いた『棍棒』がエイルの左腕を掠め、少年を壁面へと吹き飛ばした。果てしない衝撃が全身を駆け抜け、激しい痛みが意識を彼方へと追いやる。

 だが、まだ生きている。もともと使い物にならないと踏んでいた左腕は、襤褸屑同然と化したが、それでも尚少年の身体には痛みを訴えるだけの余力は残っていた。


 唯一の救いだったのは、棍棒が直撃しなかったこと。

 唯一の誤算は、棍棒が薙ぎ払われた風圧だけで、少年が簡単に吹き飛んだこと。


「ばけ、ものが……!」


 だが、それでも地獄は地獄。生きてようと、死んでようと地獄絵図なのは依然変わらない。

 いや、それどころか地獄は更に過酷さを増している。ただでさえ、凶悪な力を持つオーク達が群れをなしてルーム内へと入ってきた。

 その総数は七体。


「こんなの……どうしろってんだよ……!」


 モンスターの大群に加えて、オークの来襲。

 人手の足りない中で、更なる過酷がエイル達を苛む。《無限迷宮ラビリンス》の悪意は例え第一層であろうと変わらず牙を剥く。地獄は未だ終わりを見せない。

 状況は悪化の一途。もはや生きて帰る道など無いようにすら思える。


『オオオオオオオォッ!』


 オークが雄叫びを上げて、崩れた壁を背にして立つエイルへと突撃してきた。先程、エイルが反応し切れなかった速度で疾走する巨体に、モンスターは轢き潰されていく。

 オークは知っていた。この速度を以て自分の膂力をぶつければ、目の前に立っている小さな生き物を殺せると。

 だが、エイルは『冒険者』だ。


「――舐めるなっ! 直線で来るなら、どうだってできる!」


 先程、攻撃を喰らった時点ですでにオークの速度を身をもって体感したばかりだ。経験を昇華し、己の糧へと変化させ、エイルは迎撃する姿勢を見せた。


『ブモッ――!?』


 直線的に突っ込んでくるオークの足の間を擦り抜けながら、右足の腱へと短剣を叩き込む。巨体を支える足の腱を断ち切れば、オークは体のバランスを崩して倒れるとエイルは考えたのだ。

 そして、その予想は確かなものなった。いや、想定よりも遥かに大きな結果を齎したと言っても良いだろう。


『グギッ、ィィア……!?』

『ォオオ……ッ!?』


 腱を断ち切ったと同時にオークの巨体が揺らぎ、地面へと倒れた。そして、その倒れた巨体に他のモンスターが押し潰され、事切れた。

 機動力を失ったオークへと、エイルは更なる追撃を敢行した。


「これで、トドメだ!」


 胸の中心。

 モンスターの『心臓』である魔石がある位置へと、刃を突き立てた。

 ビシリ……っ!という確かな手応えと共に、オークの絶叫がルーム内を支配した。と、思った次の瞬間には、オークの肉体は灰へと還った。


「あと、六体!」


 振り返れば、オーク達は他のモンスター達を薙ぎ払いながら、標的であるエイル達へと突撃してきていた。

 そして、モンスター達はオークの進撃にいとも容易く殺されていき、その数を大幅に減らしていく。その様を見て、エイルの脳内に稲妻が走った。


(これだ……!)


 光明が見えた。

 逆転の策を思いついた!


(正直、俺の負担がでかいけど……やるしかない!)


 エイルはティエラへと視線を送った。

 未だモンスターの攻撃に翻弄され、魔術という自身の最大の強みを出せないでいる少女へ向けて、叫ぶ。


「ティエラ! 魔術の準備だ!」

「……え?!」


 何を無茶なことを――という非難の目を向けるティエラを無視して、エイルは壁を蹴って、ティエラに押し寄せるモンスターを斬り払った。

 そんな事はどうだって良い。あとで幾らでも非難なら受け付ける。だが、これからする『無茶』は自分の命だって危険に晒すものだ。

 エイルは文句を言わせないとばかりに、ティエラの腹部へと靴裏をぶつけた。


「……かはっ!」


 ごめん、と謝る余裕はエイルには無かった。

 壁面へと背中を打ちつけて地面に着地したティエラを見ることなく、もう一度エイルは叫んだ。


「ティエラ! 今なら魔術を使えるだろ!」

「えっ?」


 エイルの言葉に、ティエラは周囲を見渡した。

 後ろは壁、前はエイルが立ち、横から襲いかかる敵の大半はオークによってその命を落としていく。それでも未だ数の差は圧倒的に不利。

 だが、警戒すべき方向が前と横のみになった事で、エイルが魔術発動のサポートへと回れるようになっている。自分達の元へ辿り着くモンスターもオークの侵攻により大きく数を減らしている。これなら――


 考える間もなく、ティエラはエイルに答えるように魔術の詠唱を開始した。


「――【響めく、氷風の天叫。轟く、狩猟の咆哮】」


(詠唱がさっきまでと違う! あれが状況を打開できる可能性があるティエラの魔術か!)


 詠唱が始まった途端、モンスター達の雰囲気が一変した。何かに怯えるかのようにその体を震えさせながら、詠唱を掻き消さんばかりに大きく咆哮を上げた。


『――――――――ッッッ!!!』


 しかし、その咆哮を一切意に介す事なく、ティエラは悠然と詠唱を紡ぎ続ける。


「――【凍気纏いし銀狼よ、獲物を定めし狩人よ】」


 冷気が渦を巻き、ティエラを中心として銀世界を形成していく。

 モンスター達はその様子を見て、遂に発狂したかのように一つの濁流となって押し寄せてくる。


「させるかよ!」


 右手しか使えずとも、エイルは抗うことを決めた。

 手始めに前方から襲いかかる小鬼の群れを一息で全て解体してみせた。続いて、左方から突進してくる牙猪ファング・ボアへと踵を落として頭を粉砕。モンスターを潰しながら押し寄せる一匹のオークへと飛び掛かり、頸動脈を掻き切る。

 己が身を全てを殲滅する雷霆へと変えて、エイルは疾走した。


「絶対に、行かせないっ! 俺たちは必ず生きて帰ってみせるんだ!」


 モンスターの荒波に体を揉みくちゃにされながらも、エイルはひたすらに怪物を駆除し続けた。

 足の骨が軋み、脱力した左腕が千切れ飛びそうになりながらも、必ず生きて帰ると咆哮を上げる。

 そのエイルの叫びに応えるように、ティエラに集まる魔力の奔流がより一層、冷気を強めていく。


「――【踏み荒らせ、喰い荒らせ、立ち塞がる全てを壊し進め】」


 魔力が形を帯びていく。

 怪物たちの叫喚を浴びながら、『魔術』は完成へと近付いていく。


「――【今は亡き同族に捧ぐ歌、今は無き地の果てへ駆け抜けろ】」


 残る五匹のオークが更なる猛攻を持って、エイルの身体を激砕していく。


「あああああああああぁっ!!!!」


 喉が張り裂けんばかりの叫び声はモンスターのものか、エイルのものか。

 血反吐を撒き散らしながら、赤熱する意思を叫び、モンスターの侵攻を喰い止める。

 もはや体が繋がっているのかすら怪しい。視界は既に真っ赤に染まりきっていて、口の中に感じるのは鉄の味だけ。少年の耳にはもう外界の情報など入ってこない。


(まだ、まだだっ! まだ、吠え続けろ! あんな奴の策略に嵌ってくたばりましたなんて――そんなの嫌だ!)


 ブチブチ……ッ、という筋繊維が千切れる音を聞きながらも無理矢理に体を酷使し続ける。肺が潰れようとも喀血とともに気炎を吐き散らす。

 意識と体の間で致命的な乖離が起きようと、それをドーランへの怒りで無理くりにでも意識と体を結びつける。

 だが、それすらも最早意味を成さなかった。


「…………ぁ」


 限界を迎えたエイルの体はよろめき、倒れた。

 それと同時に、倒れた少年を踏み越えてオーク達がティエラを狙って、大きく棍棒を振り上げた。


「――【過去より到れ、悠久を夢見る氷狼おうよ】っ!」


 そして、詠唱が完成した。


「――【凍てつく狼の一走ルプス・グラキース】!」


 現れたるは、一匹の氷狼。

 全身から冷気を発した『守護獣ガーディアン』の足元には霜が降り積もっている。

 オークが攻撃をするよりも速く、氷狼が吠えた。


『WAOOOOOOON!!!!』


 勝負は一瞬だった。

 氷狼は気付けばオークの背後へと回っていた。錯綜したオークの体は一瞬で氷塊と化し、その身を崩壊させていった。


(…………あぁ、発動……できたのか)


 氷狼はオークを殲滅後、速やかに他モンスターの殲滅へと駆け出した。

 それを見届けた後、エイルの意識は暗闇へと沈んだ。

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