第11話 罠

(なんなんだ、アイツは……)


 目の前で起こった呆気のない蹂躙撃。が切れたかのように覚醒した、エイルによる怒涛の逆転劇を前にして、ドーランはただただ絶望していた。

 ノーガへの攻撃を突然として発生した牙猪ファング・ボアが防いだ時、天が自分たちに微笑んだとドーランは確信していた。勝利の女神は自分たちを選んだのだと、信じて疑いもしなかった。


 なのに、現実はどうだ。

 運の巡り合わせはドーラン達にあった。にも関わらず、不運に苛まれたエイルは降り掛かる苦境を水泡へと返してみせた。

 それを――『覚醒』と呼ぶほかない。


『冒険者』としての『覚醒』。

 最悪の状況の中にあっても尚、自分の両足二本で立ち続ける『冒険者』としての『才能』。

 神の定めた『絶望運命』を切り開き、勝利を引き寄せる『冒険者』に於いて最も必要な『才能』。

 それがこの土壇場で花開いたとでも言うのか。


(あり得ない……! そんなこと、あり得て良いはずがないッッ!!)


 ドーランは冒険者としての『才能』が無い人間だ。

 彼は、自分が冒険者としてちっぽけな存在だと自覚していた。


 冒険者としての位列が上がっていくにつれて、ドーランは数多くの上級に分類される冒険者達を数多く見てきた。絶望の檻に閉じ込められ、死のみが許された孤城にあって尚、自身のあらん限りを尽くして戦う『冒険者』の姿を。

 その姿を見るたびに、ドーランは劣等感だけを募らせていった。

 自分が恐怖して動けない中でも、『冒険者』たちは恐怖を捻じ伏せて咆えた。自分が下の階層へ進むことを躊躇っているうちに、『冒険者』たちは躊躇わずに進んでいく。


『待ってくれ! 頼むよ、俺を置いていかないでくれ!』


 置いていかれ、置いていかれ、置いていかれ続けて――どれだけ手を伸ばしても届かない高み。それが『冒険者』であって、そこに自分は決して辿り着けないと知ってしまった。

 そのうち、ドーランの心は荒んでいった。

 ――スラムという環境が悪い。アイツらは皆、他の区画でのうのうと暮らしてきただけのゴミ屑だ。俺もスラムじゃない別のところに居たなら、他の奴らと同じようにもっと冒険者として活躍できたはずだ。


 環境スラムを憎んだ。自分は本当ならもっと高みまで登れたはずだと、そう信じて疑わなかった。努力なんてものは結局、才能と環境という変え難いものの前では無力なのだと諦めた。

 次第にドーランは冒険者ではなくなっていった。上層域を主戦場として、そこに棲息するモンスターを狩って、安い魔石を売って日銭を稼ぐ。

 その間にも、他の冒険者たちは先へと進んでいく。名声を手に入れ、富を得て、冒険の果てに死んでいく。

 それではまるで、馬鹿の一つ覚えだ。

 命があることが何より重要だと言うのに、なぜ自ら死にに行くのか理解できない自分は、きっと『冒険者』にはなれないと知った。


『お前はそれで良いじゃねぇか。自分の命の方が大事だって言うのは当然だ。命を投げ打ってまで下に行く必要なんてありゃしねぇさ』


 自分の中にある膨れ上がった『劣等感』。

 どうしようもないほど醜く肥大化した『嫉妬心』。

 その全てを肯定してくれる人と出会った時、ドーランは自分が好運だと確信した。


『自分の命を守るためなら、他者の命すらも食い物にする。それが俺ら、人間って奴だ。利用して、利用して、利用し尽くして……その上でそいつを切り捨てる。それが『人間』のさがだ』


 その言葉にどれだけ救われたことか。

 その日から、ドーランという名の『冒険者もどき』は息を吹き返した。

 生きるためなら、誰かを食い物にすることも厭わない醜悪な生存欲求の塊として。


(そうだ……俺は、まだ死にたくない……。俺は……俺が生きるためなら――)



◆◆◆◆◆



 気を失ったノーガとダレフの姿を一瞥しながら、エイルは未だ地面に座り込み、顔を俯かせたドーランの側へとゆっくりと歩みを進めていった。


「もう終わりだ、ドーラン……」


 勝負は決した。

 二対三という数の差は逆転し、今は二対一。

 ノーガとダレフの二人が倒れた今、ティエラに魔術を使わせないように立ち回れる人間は居ない。数の差と魔術という絶対優位性を持つエイル達に敗北はあり得ない。


「お前達に縛られるのはこれで終わり。俺が無能な【灰被り】でいるのも今日までだ」


 エイルは『冒険者』に成った。

 虐げられていた弱者だった少年は奮起した。救いを待っていただけの少年は今両足で立っている。


「あぁ、終わった……。お前には……『才能』があったって事なんだろうな。俺が誰よりも欲していた『才能』が……」


 ――そして、俺には無かった『才能』が……。

 そう呟くドーランの横顔は、悔恨の念に駆られているように見えた。

 だが、そんな表情は一瞬で消える。顔を上げたドーランの表情は歪な微笑へと変貌していた。悪魔のように笑うドーランを見て、エイルは思わずたじろいでしまった。


「あぁ、妬ましいなぁ。お前も、そこの嬢ちゃんも……俺よりも『冒険者』としての資質があったって事なんだろう? 俺よりも優れていたって事なんだろ? ああ、本当に不公平だよなぁ。この世界って奴はよぉ――っ!!!」

「ドーラン……お前は……っ」


 壊れた人形のようにドーランは不気味に哄笑する。堰を切ったように溢れ出した嫉妬の濁流に飲まれたドーランは、事実壊れていた。


「なぁ、エイル。お前はこれを知ってるか?」

「それは……?」


 ドーランが懐から取り出したのは口を縛られた手のひらサイズの布袋だった。ドーランが閉じられた口を開いた途端、鼻をつくアンモニア臭が距離の離れたエイルの元まで届いてきた。

 あまりにも酷い臭いに顔を顰めたエイルは、ドーランが取り出した袋の中身を見た。袋の中に密閉されていたのは、歪な形をした謎の黄色い玉。あの玉が臭いの元なのだと直感的に理解する。


「エイル、あれはなんですか?」

「分からない。俺もあんなの見たことがないぞ……」


 いつの間にか隣に来ていたティエラも流石に耐えられないのか、鼻を摘んでいた。ドーランが取り出した臭いの元が一体なんなのかを聞いてきた。

 だが、エイルも知らない。あんな玉を見たことなんてあろうはずもない。なにかの道具なのであろう事は予測できるが、それがどんな効果を齎すのか検討も付かない。


「……ていうか、二級のお前の方が詳しいんじゃないか?」

「二級とはいえあくまで仮ですからねぇ……。《無限迷宮ラビリンス》に潜ったのも今日が初めてですから」

「は……? 初めて……?」

「あ、初めてとは言っても、その前に一度ここにいたことがありましたけどね」


 さらっと衝撃発言をするティエラに目を丸くしてしまうエイルは、ほんの一瞬ドーランから注意が逸らしてしまった。だが、すぐに頭を振って再びドーランへの警戒を高めた。


「…………色々聞きたい事はあるけど。そういうのは全部ここを生きて出られた後にしよう。今は、ドーランを倒すことに集中しなくちゃだしな。それに……嫌な予感がする」

「そうですね。今はお話している暇はなさそうです」


 エイルの本能が警鐘を鳴らしていた。そして、それはティエラも同じようだ。

 早くドーランを倒さなくてはならない。だが、警鐘の正体であろう『黄色い玉』の正体を掴めず、なかなかエイルは動けないでいる。

 なにかの爆弾なのか。はたまた、なにかの毒物なのか。それとも別の用途があるのか。

 何れにしろ、あの玉の正体が掴めないうちに不用意に行動を起こす事は得策ではない。エイルはそう判断し、ドーランの動きを観察した。


「そうだよなぁ。分かんないよなぁ。だって、これはお前らが――ノーガも、ダレフも知らない俺だけの最後の『切り札』なんだからなぁ!」


 ドーランが獰猛な笑みを浮かべる。誰にも明かすことのなかった、ドーランだけが知っている『切り札』。その正体は――


「これは『誘引薬インヴィート』って言う薬だ! 特徴はなんといってもこのひっでぇ臭いだ! 鼻を劈くようなこのアンモニア臭! この臭いはモンスターを引き寄せる極上の『フェロモン』だ! これを嗅いだモンスターは凶暴化し、臭いの元を辿って襲いかかるっていう代物さァ!」

「…………ッ!?」


 切り札を警戒し過ぎるあまり、その場から動けなかったことがここで裏目に出た。

 敢えて、その正体を問うことでドーランは時間を稼いでいたのだ。警戒心の高いエイルならば、安易に突撃してくる事はないと踏んで。


 ――『誘引薬インヴィート』。


 モンスターの死骸から採取した血液を寄せ集め、熟成させることで作り出された特殊な薬剤。モンスターがモンスター同士を引き寄せ合うという習性を利用した薬。

 ドーランはそれをエイル達の方へと投げた。地面に落ちた『誘引薬インヴィート』は衝撃を受けて、よりその臭いを強く発しながら、第一層全域へと臭いを充満させていく。


「ドーラン、正気か!? そんなことをすれば、ノーガ達まで死ぬぞ!」

「アッ、ハハハハハハハ――ッ! 俺はそいつらを仲間だと思ったことなんて一回も無いんだよ! 仲間なんてのは使い勝手の良い駒みてぇなもんで、いつでも切り捨てられるもんだぜ!」

「お前ッ、どこまで腐ってやがる!!」


 エイルが高笑いしているドーランへと突撃しようと、地を蹴り出した。


「――エイルっ! もう、モンスターが来てます!」

「クソっ、早すぎるっ!?」


 エイル達のいた場所は四つの道で分岐した十字路の中心に位置する少し広めのルームだ。その内、ドーランの背後にあるルート以外から大量のモンスターがその姿を現した。


「俺を殺しに来ても良いが、果たしてその数にその女一人だけで耐えられるか? いや、無理だ! さぁ、選べよ【灰被り】! その女を見捨てて俺を殺して逃げるか、その女と共に此処でモンスターに擦り潰されるか!」


 そう言うドーランはゆっくりと後ろへと下がっていく。彼の後ろにあるのは出口までの直通路。ドーランはこうなった場合を見越して、常に自分の後ろに直通路が来るように立ち回っていた。

 ドーランだけは常に真っ直ぐに突撃してきていたのは、自分が逃げる道を確保するためだったのだ。

 それを理解した瞬間、エイルはドーランという男の狡猾さに恐怖した。


「無理だよなぁ! お前にはその女を見捨てられない! だから、お前たち『冒険者』はバカなんだ! ここで女と心中してろ、【灰被り】!」

「待て、ドーラン!」


 ドーランはそれだけ言い残すと、直通路へとその姿を眩ませた。

 ――してやられた!と、悔しさを滲ませるエイル。その内にもモンスターの大群は、ルームの中に激流のように押し寄せてくる。


「――な、なんだ!? なんだよ、この大量のモンスター達はァ……!!!」


 絶叫がルーム内に木霊する。エイルがその声の主の方へと視線を送ると、後頭部への強烈な衝撃で意識を失っていた、犬の獣人が目を覚ましていた。

 そして、自分を取り囲む大量のモンスターの群れを目にして、恐怖で身体を硬直させてしまった情けないノーガの姿がそこにはあった。


「ノーガ、動けぇ! 死にたくなけりゃ、剣を取って戦うんだ! ドーランの奴は俺たち全員、モンスターの餌にするつもりだぞ!」

「う、嘘だ……っ! そ、そんなわけが……! ぁ、まって……来るな、来るなァアアアアア――――!!!」


 一匹の牙猪ファング・ボアが狙いを定めて、ノーガへと突進を敢行した。

 異常発達した牙がノーガの胴体を抉った。夥しい量のドス黒い血液が肉を失った腹部から溢れ出している。


「ぁ、ぁぁあああ……っ!」


 ノーガが自分の状況を確認するよりも早く、もう一匹の牙猪ファング・ボアが突撃する。背骨が折れる音とともにルーム内に声にならないような絶叫が木霊する。

 肉を抉られ、骨を折られ、内臓を撒き散らしながら、痛みに喘ぎながら、牙猪ファング・ボアに嬲られながらノーガは息絶えた。


「…………ッ!」


 その凄惨な最期から目を逸らす。

 その時、ノーガとは別の方角から――グチャ……ッ、という肉を喰うような音が聞こえてきた。


「だれ、ふ……?」


 無数の小鬼ゴブリンが、未だ気絶したままのドワーフの肉へと貪りついている光景がそこにはあった。醜悪な横顔をより醜く歪めて、肉に齧り付く小鬼を見て、エイルは慄いてしまう。


「――あ、ぁれ? い、いたい……? ぁ、ぁぁぁ?!」


 その時、ダレフが目を覚ました。

 小鬼の口が自分の肉を食していく光景を目の当たりにして、ダレフの顔が急激に青褪めていく。痛みによって覚醒したダレフは逃げようとその身を捩った。

 だが、筋を噛み切られた足は動かない。片腕はすでに捥がれ、抗う気力すらも削がれていく。大剣によって潰れた顔は痛みと恐怖を訴えている。

 そして、小鬼の一匹がダレフの首へと噛みついたことをきっかけに、顔へと大量の小鬼が飛び掛かった。助けを乞うように伸ばされた腕は痙攣し、やがて地面へと倒れた。


「…………ッ、クソが!」


 そうして、モンスター達の大群は次なる獲物へと狙いを定める。

 エイルとティエラが次の標的となった。

 モンスター達が押し寄せる中で、エイルは短剣を構えて戦闘態勢を取る。ティエラも戦意を失うことなく、杖を構えている。


「絶対、生きて出てやる!」

「えぇ! 私たちなら此処から出られます!」


 二人は覚悟を新たに、自分たちに襲いかかるモンスターの軍勢との戦闘を開始した。

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