第10話 覚醒

 意識を集中させる。

 三人の仇敵の動きを見逃すまいと、一挙一動の全てを観察する。『敗北=死』という戦いは初めてじゃない。エイルはこれでも冒険者。

 仲間に裏切られ、都合の良い囮として使われてきたのは十や二十じゃ足りない。百以上にも及ぶ裏切り、そして命の危機を乗り越えてきた自負がある。

 冒険者として、艱難辛苦を乗り越えてきた量は他の冒険者たちにも負けない自信がエイルにはある。


(それに……今回はがいる……)


 自分の隣に立ってくれているティエラの存在が、エイルに謎の無敵感を与えていた。

 勝てる。負ける道理なんてない。自然と短剣を握る両手に力が入る。いつもなら狭窄している視野が今は広がって見えている。


(不思議だ……)


 ドーランが動いた。

 直線的に走り出したドーランに合わせるように、ノーガが右に展開した。ダレフは大剣を構えながら、突撃するタイミングを測っている。

 今、この瞬間、エイルとティエラの内でどちらが警戒されているのかなど考えるまでもない。考えるまでもなく――ティエラだ。


 ドーランとノーガの連携で、エイルを少女の側から引き剥がそうという魂胆なのだろう。

 魔術を使うティエラは決して身体能力が低いというわけではない。ダレフの大剣の薙ぎ払いを容易く回避していた事からも、恐らくはある程度動けると予測できる。

 しかし、ティエラの動きは魔術を使う一瞬、確実に止まってしまう。


 それがティエラの致命的な隙になってしまう。

 誰か一人がティエラに魔術を使わせない――使うことのできない距離感で戦い続ける。近距離での戦闘手段を持たないティエラに、その誰かは絶対に負けない。

 そうなれば、あとは残ったエイルを二人で先んじて倒してしまえば勝利は確定する。


 ――つまるところ、ドーラン達の狙いは『エイルの一点狙い』だ。


 ドーランの一撃がエイルとティエラを分断した。

 その瞬間、ティエラは魔術を行使しようとして――


「お前の相手は俺だ!」

「……ちょっと、しつこいですね!」


 ダレフがティエラへと大剣を振るう。

 それを難なく、軽々と躱すティエラを見て、エイルは確信する。


(ティエラなら大丈夫だ……。魔術での攻撃は無理でも、逃げに徹していればダレフの攻撃は当たらない!)


 となれば、あとはエイルが勝てるかどうか。

 ドーランが鬼気迫る表情で、エイルとの距離を詰める。


「逆らうな! 抗おうとするな! お前は一生底辺にいておけば良かったんだよ!」


 ドーランの振るった斬撃がエイルを襲う。剣技とは到底呼べないような乱れ狂った斬断の渦中で、エイルは的確に短剣の刃を合わせていく。

 袈裟に斬ろうとする刃を右手の短剣で流し、腹を割かんと迫る横一文字の斬撃は両の短剣で防ぎ、振り上げられた直剣の柄を足場に跳躍、ドーランの背後を取る。


「なっ!?」


 短剣の間合いは短い。腕一本分とそこから刃の長さ――およそ20センチほど――を足した分の射程がせいぜい。

 刃渡りが一メートル近くある直剣と真っ向から斬り合うには分が悪い。なにせ、短剣の間合いに辿り着くには直剣の間合いに自分から飛び込むということになるからだ。

 だが、ある特定条件下でこの間合いが逆転する。


「はああああああああッッ!!」

「――ッッ、ぁぁあああああっっ!?」


 ――超至近距離。

 直剣の間合いの内側よりも、更に内側。

 ある程度長さのある刃物に存在する手出しのできない『絶対領域』。そして、その絶対領域は短剣が最も効力を発揮する『絶対領域』でもある。


 連撃の敢行。

 二振りの短剣を閃かせる。

 斬撃を一度見舞えば間髪入れずに二度目を。そして、三度目の攻撃へと繋げる。息をつく暇すら与えないように、絶え間なく襲い来る刃の嵐がドーランの体に血を滲ませる。


(あわよくば、このままドーランを落とすッ!)


 短剣の『間合い絶対領域』へと持ち込んだ今、必ずここで倒し切らなくてはならない。もし、ここでドーランを後退させてしまったなら、次またドーランの懐へと潜り込むのは困難になる。

 ドーランはクズではあるが、バカではない。冒険者としての経験で、エイルの狙いが露顕してしまった時点でその対策は必ず講じられてしまう。

 だからこそ、ここで決着を付けなくては――


「――そりゃあ、無理な話だろう!」


 間に割って入ったのはノーガ。

 ドーランが押された時機タイミングを見計らっての絶妙な援護アシスト。間合いの外から振るわれる斬撃に対して、エイルは後退という選択を取るしか無い。

 ここで無理にドーランを堕としに掛かるのが、この勝負の明暗を分ける悪手だと直感してしまったから。


「クソが……っ!」


 折角作り出せた好機をむざむざ放り捨ててしまった。

 状況は振り出し――どころか、悪化したと言って良いだろう。

 悪態を吐きながらもエイルは、ひたすらに冷静を保って状況を俯瞰し続ける。


(相手は二人だ……。ドーランの攻撃に合わせて俺が反撃をしても、それをノーガに防がれる)


 現に二度、ドーランを堕とせるチャンスがあった。だが、その二回とも全てノーガの適当なタイミングでの援護によりチャンスは潰されてしまった。

 絶好の機会を二度も潰されれば、自然と理解してしまう。ノーガが援護に回っている限り、ドーランを倒すことは不可能に近い、と。

 攻撃のドーランと、援護のノーガ。

 パーティを組んで長い彼らの息のあった連携を、どうにかして破らなくてはならない。


「…………やるか!」


 考えていても仕方ない、と。

 どうしたって数の差は覆せない。なら、一人を確実に削ることを最優先にする。

 反撃を狙っての待ちはもう意味を為さない。守りに回れば二人の波状攻撃でエイルの方が危機に陥ってしまう。

 ならば――攻めるっ!!!


「あっちから来やがるか! ノーガ、援護しろ!」

「あいよ。任せとけって、ドーラン」


 地を蹴り、己が身を一条の矢として駆け抜ける。

 二手に分かれたノーガとドーラン。エイルが狙うはドーラン。矢は更なる加速を以て、雷霆へと変わる。

 剣を構え、受けの態勢に入ったドーランを確認して、更なる加速を以て――


「「なっ!?」」


 ――直角に曲がる。

 ノーガとドーランの顔に驚倒の色が滲み出した。

 どっしりと攻撃を防ぐつもりで構えたドーランは前につんのめり、援護するつもりで攻撃の構えへと移行していたノーガは後ろに仰け反った。


 急加速――。

 音を置き去りにし、世界が溶けていく。

 エイルが真に狙ったのは――ノーガ。

 ドーランの援護に回っていた犬の獣人ただ一人。壁際から迫っていたノーガは自然と追い込まれていたのだ、と遅まきながらに気づいてしまった。


(――取った)


 振るわれた刃がノーガの首元に吸い込まれていく。

 意表を突いた奇襲を防ぐ術を、ノーガは持っていない。狙いを悟らせないために、最高速度でドーランへと突貫した。無理な方向転換で膝は悲鳴を上げている。

 これで防御が間に合うなら、手放しにノーガに賞賛を送ろう。


「ノーガァアアアアアア――ッ!」

「ぐっ!? 間に合わな――?!」


 仲間の危機にドーランは、叫喚を上げるしかできない。ノーガも先に待つ自分の死に、双眸を歪めた。

 ――ビシッ…………!

 引き延ばされた時間の中で、エイルの耳に何かがひび割れたような音が入ってきた。


(…………なんだ?)


 真横。音が聞こえたのはエイルの真横だ。だが、そこには《無限迷宮ラビリンス》の岩で作られた壁しか存在しないはずだ。にも関わらず、なぜ横なのか――

 ――いや、まさか……っ?!

 戦慄する。そんな事があり得るはずがない。

 運命からも見放されるなんて、あって良いはずがない!


「――エイルッッ!!?」


 誰かの悲鳴が聞こえる。

 その声が聞こえた瞬間、横から襲いかかる凶撃に意識が明滅する。


「――――ヅッッ?!」


 なにが、起こった……?

 目の前にいたはずのノーガが消えた。

 状況が飲み込めていない脳みそをフル回転させながら、エイルは状況を整理していく。


 ノーガに対して、攻撃という名の奇襲を仕掛けた。

 そこまでは良い。そこまでは予定通りだ。だが、なぜノーガが消えた……? 驚愕に射殺されていたノーガは足の動きを止めていた。なのに、どうやって……


(いや、違う……。俺が……吹き飛ばされたんだ……!)


 左腕が鈍痛に悲鳴を上げていることが何よりの証左。

 骨が折れているのではないかと思えるほどの疼痛。痛みが熱となって全身を支配している。左手に力が入らず、地面に短剣を落としてしまう。

 では、エイルを襲ったのか。

 ゆっくりと、自分のいた方向を見れば、その答えはすぐに分かった。


『――ォォォオオオオオオ!!!!』


 咆哮を上げるのは、巨大な猪。

 異常発達した巨大な牙を持つモンスター。

 ――《牙猪ファング・ボア》。

 鼻息を荒げながら、たった今、《無限迷宮ラビリンス》から産み落とされた猪がエイルの体を吹き飛ばしたのだ。


「――――――ぁ」


 また、絶好の好機を逃した。

 それもノーガに防御されたわけでも、ドーランが援護に間に合ったわけでも無く、《無限迷宮ラビリンス》がタイミングを見計らったかのように産み落としたモンスターの介入によって。

 天運がエイルに微笑むことはなく。神はドーラン達に味方をした。


「運が無かったな、エイル。お前は……神様とかって奴にも見捨てられているらしいぜ?」

「…………」


 ドーランはニヤァ……と、馬鹿にするように笑った。


「ほんと、助かったよ。あんがとな、猪くん」

『――ガァッ!?』


 目の前で、呆気なく殺される牙猪ファング・ボアを見ながら、エイルは呆けていた。

 ドーランは剣を高く掲げて、エイルの首へと刃を振り下ろした。


「……エイルっ! 【凍える水の――】」

「させるかよぉ!」

「…………っ、ぐぅ!?」


 魔術でエイルを助けようとするティエラ目掛けて、大剣が一閃される。

 集められた魔力が霧散する。

 大剣の刃先がティエラの肩口を掠った。薄く裂かれた肩から血液が滲み出し、白い布が赤く染まっていく。


「邪魔をしないで!」


 このままでは、エイルが死んでしまう。

 ティエラは杖を構えて魔術の用意をしようとするが、ダレフの暴力的なほどの一振りによって、その全てを打ち払われてしまう。


「…………終わりだっ!」


 勝った――。

 ドーランは確信していた。


(――あぁ、知ってたさ)


 防御。

 転じて、攻撃へ。

 回し蹴りをドーランの腹部へとめり込ませる。


「ガハァッ!?」


 吐血しながら、蹴られた場所を起点にして身体を折り曲げる。

 そんなドーランを無視して、まるで幽鬼のようにエイルは立ち上がった。


(――この世界に、神なんていない)


 世界を憎み続けた彼は知っている。


(――この世界は、あまりにも残酷だ)


 既に世界から見捨ていられるなんて――とうの昔に痛いほど知っていた。

 だから、少年はこの程度の『不運』で折れない。


「終わらせる……」


 少年が――『冒険者』が、覚醒した。


「ギィッ!?」


 追撃。

 ドーランへともう一度蹴りを見舞う。側頭部へと入った蹴撃にドーランは地へと沈んだ。

 左手は使えなくとも、右手は使える。逆手に持った刃をドーランへ振り下ろす――と、見せかけて後ろから急迫したノーガへと一閃。


「づ、ぁあああ!?」


 雷が奔ったかのような傷跡が刻まれる。

 鮮血を撒き散らしながら、よろめくノーガに対してエイルは高く跳躍し、踵を後頭部に狙いを定めて落とした。


「――――――ッッ!!!」


 まずは、一人。

 今は殺せなくても良い。

 今は、意識を刈り取ることにだけ集中していればそれで良い。意識を奪ってしまえば、それ以上動くことはないのだから。


「…………次!」


 ドーラン――ではなく、ダレフへ。


「クッソが! 俺かよ!」


 エイルの急襲をダレフが大剣の腹で防ぐ。

 しかし、エイルは大剣の腹を足場にして、跳躍。落下の勢いを相乗し、全体重を掛けて、大剣へと靴裏を炸裂させる。


「ぐっ、ぁあああああああッッッ!!!!」


 ダレフの体を果てしない衝撃が貫く。

 足を硬い岩の地面へと沈ませながらも、ドワーフとしての底意地を見せる。太く、逞しい腕の筋肉を隆起させながら、潰されてなるものかと唸りを上げる。

 そんなダレフに告げられるのは、死刑宣告。


「【凍える水の咆哮。穿つ氷の礫】――」


 聞こえてくるのは――『唄』。

 凛然とした声で紡がれる残酷な『詩歌』。


「――【氷礫の弾丸グラス・グラリア】」


 魔術が完成する。

 背後から迫る冷気に、ダレフは絶望した。


「…………やめっ!」


 ――氷弾炸裂。

 体内の血が爆ぜる。背骨が軋む音が響き渡る。

 上からの重圧に耐え忍んでいた剛腕が弛んだ。全ての衝撃を受け止めていた膝が折れた。


「が、ぁ…………!?」


 大剣の下敷きになったドワーフは、気絶した。

 顔面を押し潰され、全ての歯が折れ、沈黙した。


「ぁ、嘘……だろ?」


 残るは一人――仲間達が倒れる様を呆然として見ていたドーランのみ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る