第8話 『魔法』

 ――《無限迷宮ラビリンス》第一層・《岩窟の迷宮》。


 迷宮内へと足を踏み入れてから数分が経過した頃。侵攻する冒険者達の足を止めんと、壁が割れ、鼻息を荒げた《小鬼ゴブリン》達が壁の割れ目から身を捩って出現した。

 その数、総勢十三匹。

 鋭い爪を光らせ、下卑た笑みを浮かべる醜悪な魔物に対して、ドーランはそれを上回るほどの残虐で残忍な顔で笑った。


「おい、お前ら。アイツらを狩り尽くせ」


 親指で首を切るジェスチャーをしながら、ドーランはそう言った。

 それが合図だった。

 冒険者たちは途端に小鬼ゴブリンへと襲い掛かり、一匹、また一匹とその数を減らしていく。彼らの戦いはまるで技の無い児戯のようだった。


 無作為に剣を振るい、小鬼ゴブリンたちの首を刎ねては、また次の敵へと無鉄砲に攻撃を始める。

 連携などあってないようなもので。その戦い様はモンスターよりも荒々しいものだった。


「オラァアアアッ!」

「しね、死ね死ね死ね――ッ!!!」


 ノーガが大振りに剣を薙ぐ。ダレフが狂気の表情で刃先を突き立て続ける。

 物言わぬ肉塊となり果て、絶命していくモンスター達に同情するものは居ない。

 二人の戦闘の様子を安全圏で眺めていたドーランは、同じく安全圏にいるティエラへと視線を動かした。相も変わらず整然とした顔立ちを見る。


「おい、嬢ちゃん。俺はよぉ、まだお前の実力っていうものを知らねえんだ。今が良い機会だろ? あの小鬼ゴブリンの残りをお前が倒してくれねぇか?」

「えぇ、構いませんよ」


 残りの数が四匹ほどになったところで、ドーランはティエラに対して、そう提案をした。

 ティエラもすぐにその提案を了承し、ドーランよりも前へ、他二人の冒険者たちよりも後ろで、持っていた一振りの杖を構えた。


「【凍える水の咆哮。穿つ氷の礫】――【氷礫の弾丸グラス・グラリア】」


 ティエラが紡いだ唄は世界を捻じ曲げ、普通なら有り得ないような現象を世界に『有り得る』と誤認させる。渦巻く魔力は冷気へと変換され、そして彼女の背後に四つの氷弾が装填された。

 ――『魔術』。

 遥か昔から存在する人の生み出した戦闘術。自身の中に蓄えた『魔力』を使って、自らの望む結果を再現する奇跡の力。想像し、創造していった人々の軌跡の集合知。


『ィ、ァァアッ!』


 小鬼ゴブリンが吠えた。どこからともなく出現した氷の弾丸に狼狽え、恐怖しながらも敵の排除に移ろうとしている。

 だが、その行動を許されることは無い。小鬼ゴブリンが攻撃態勢へと移ったその瞬間――氷の弾丸が上半身を粉砕した。

 破壊、蹂躙、滅殺。

 逃げることも、戦うことも、悲鳴を上げることすら許さぬ圧倒的な殲滅劇はほんの一瞬の間に完遂された。穿たれ、潰され、砕かれる。


「すご……」


 エイルは目の前の光景に呆然とした。

 初めて攻撃用の《魔術》を見た。いつも生傷の絶えないエイルにとって《治癒魔術》はとても見慣れたもの。だが、攻撃に使われるのを見るのは新鮮なものだった。

 そもそも、《魔術》を扱える人間は多くない。自身の中に流れる魔力を知覚すること自体難しいにも関わらず、《魔術》は術者のイメージがモノを言う技術だ。

 唄――《魔術》の詠唱はあくまでイメージを具体的にするもので、そのイメージに沿って術式を作り出す。高度な情報処理能力と想像力が掛け合わさって、ようやく《魔術》という体裁を取るのだ。


(あれが……ティエラの実力、か……)


 あれは恐らく本気を出しているわけではないだろう。ただ、ほんの一瞬で小鬼ゴブリン四匹を葬り去ったその手腕に戦慄を覚える。

 嫉妬が心を焼いていく。言い表しようのない醜い感情が湧き出ては消え、また湧き出ては消えを繰り返す。気付けば口腔内を噛み切っていたのか、口の中に錆びた鉄の味が広がる。


「おい、【灰被り】……仕事だぞ。とっとと働け」

「…………」


 ドーランに背負っていたバックパックを蹴り飛ばされた。身体を前につんのめらせて倒れたエイルは無言のまま立ち上がり、地面に落ちた魔石の回収を始めた。

 これがエイルの仕事だった。

 冒険者達の戦いの後始末。荷物持ち。量の嵩張る《魔石》を余さず回収し、時折同じモンスターの中でもより発達した部位を持つ個体が落とす『素材』も一つも見逃さずに集めることが。


 モンスターの胸を切り開く。本来の生物なら心臓がある位置に燦然と輝くのは紫紺の《魔石》。せいぜい小石程度の大きさしかないそれを壊さないように、丁寧に回収していく。

 割れた《魔石》はその価値を著しく落としてしまう。元値の半分になることも珍しくない。伝え聞くところによれば、《魔石》は他の区画では生活の基盤を支える――主に家具などの制作に使う――貴重な資源だ。


 モンスターの活動を支える《魔石》には人でいう『魔力』のなり損ない――『魔素マナ』の集合体であり、内包するエネルギー量は相当なものであるらしく、家具などの用途以外にも『ポーション』の制作にも一役買っている。


(自分が……惨めになる……。冒険者になっても、俺は結局何も変わってない)


 蜘蛛の糸と思って縋り付いた最後の希望のはずだった。少なくとも、小さかった頃の自分エイルは冒険者になって大成した未来を思い描いていた。

 だが、現実はどうだ。

 縋り付いたのは蜘蛛の糸ではなく、いつ切れるとも知れない茨だった。使いっ走りにされ、ドン底よりも更に下へ落とされ、自分にも絶望して……地面に這い蹲っている。


 昨日は小鬼ゴブリンの群れと共に戦った相棒のオンボロの短剣は、今となっては後始末するだけの道具へと成り果てている。

 折角整備に出したのに、その初めての仕事がモンスターの解剖であっては、武器の本懐を遂げさせてやることはできないだろう。


 ひたすらに、惨め。

 お前は底辺だと冒険者になる前に刷り込まれ、お前は『荷物持ち』が丁度いいと冒険者になった後も刷り込まれ続けた少年は、今も底辺で苦渋の泥水を啜り続けている。

 自分は戦えるのだと言い聞かせながら、その実態は世界に心底から恨み節を宣うだけ。痛哭を上げても、悲壮を謳っても、世界から省かれ続けた。


「無様だよなぁ、【灰被り】。俺らをどんなに嫌っていても、お前は俺らに屈服しなくちゃ生きていけない。お前が弱いから、お前が底辺だから、自分一人では何もできないからお前はこうして土を舐めるんだ」


 ドーランの足裏が低くなった――丁度踏みやすい位置にあったエイルの頭を地面に接地させる。


「昨夜は随分な物言いをしてたなぁ? あの嬢ちゃんがいたから気が大きくなってたかぁ? 格好付けようと無理までして……ダセェなぁ」


 踏み躙り、罵倒し、嘲笑い、愉悦に浸るドーラン。

 モンスターの血に顔を埋める。固く握りしめた拳から血が滴り落ちる。

 ああ、屈辱だよ。ああ、悔しいさ。


(でも、じゃあ……俺はどうすれば良い……?)


 もう、分からない。

 もう、エイルは諦めてしまっている。

 自分の立場は絶対に良くならないのだと、誰も自分を見てはいないのだと知っているから。


「――やめて下さい」


 そう、思っていた。


「貴方たちが何故エイルを虐げるのかは微塵も興味ありませんが、この人は貴方たちのような下衆が罵って良い人じゃない」


 ティエラが怒りを顕にした。

 静かに、酒場での騒動の時よりも明確に。


「良い加減、その足を退けてもらえますか?」


 杖の先をドーランへと向ける。

 その瞬間、ティエラへと『魔力』が集中し始めた。ティエラは先程、自分の実力を示した。至近距離で『魔術』をぶつければ、いくらドーランと言えどひとたまりも無いだろう。

 だが、魔術は『詠唱』というプロセスが必要な以上、近距離での戦いには向いていない。

 二級冒険者であるティエラがその事を知らないと考え辛いが、なにか策でもあるというのか。


「嬢ちゃんよぉ……仲間に対して、そういう脅しは無しじゃねぇか?」


 ドーランが腰に挿してある剣の柄へと手を掛ける。

 周囲で事の成り行きを見守っていたノーガとダレフも切先をティエラへと向けている。


「それに……この距離だぜ? 俺が一歩踏み出せばお前を切れるが、お前は俺が動く一瞬に魔術を使えるのか? どう考えても、不利なのは『魔術そっち』だろ」

「……どうですかね? 試してみますか?」


 ティエラは依然引かない。

 毅然とした態度でドーランと相対している。周りを取り囲むノーガ達にも目を配りながら、いつ戦闘に発展してもおかしくない緊迫感が場を支配していた。


「……そうか。よーく、分かったよ」


 ドーランが両手を頭上に高く挙げた。まるで、降参するかのように。足蹴にしていたエイルの頭も解放し、後ろへと一歩下がる。

 それを見て、ティエラも魔力を抑えて杖を収める。


「大丈夫ですか、エイル」


 ティエラは地面にひれ伏したままのエイルへと微笑みかけた。手を伸ばし、立つように促してくる。

 伸ばされた手を取るべきか、取らないべきか。ほんの一瞬の逡巡の末に、なんとか手を伸ばす。


「……じゃあ、ここで二人とも死ね」


 凶刃がティエラ目掛けて振るわれた。

 一歩後退し、完全に戦意が無いように振る舞ったドーランの完全な奇襲。完璧に不意を突かれたティエラは刃を避ける動作が間に合わない。

 斬り裂かれ、血飛沫を上げながら命を落とす――


「――ティエラッ!」


 そんな未来は認めない。認めてたまるか。

 力の限りティエラの手を引き、未だ地面の上に転がる自分のところへと引き寄せた。ティエラの首を狙った横薙ぎの斬撃は、彼女の美しい髪を数本巻き込みながら空を切った。


「チッ……外したか……。余計なことするなよなぁ、【灰被り】がよぉ……」

「ドーラン……!」


 心底迷惑そうな顔をしたドーランを睨み付ける。

 髪を掻き毟り、舌打ちを打ちながら、内心のイライラを隠そうとしないドーランもまたエイルを睨みつけていた。


「大人しくその女を寄越せよ。そしたらお前を楽に殺してやる。安心しろ。そいつもちょっとだけ遊んでからお前のところにすぐ送ってやるから……。だから、とっととそいつをこっちに寄越せ」


 周りのノーガとダレフがにじり寄ってくる。ドーランの言葉は呑めない。だが、ここで拒否すれば即座に戦闘に発展することは見えている。もはや宥めることも効果は大して無いだろう。

 逃げることが最善策か? いや、だが逃げた後らどうする? ドーラン達に闇討ちされる事に内心怯えながら今後生活していくのか? そもそも、三人に周囲を取り囲まれている状況で逃げられるのか?

 ならば、ここはどうするべきなのか。エイルは思考を巡らせる。考えて、考えて考えて考えて考えて――考え抜いて、ただ一つの結論に帰着した。


(いや、違うだろ。考えるまでもないじゃないか)


 逃げる、逃げないの話ではない。

 今、今しか無い。自分が……自分の弱さが無関係のティエラをこんな危険な状況に巻き込んでしまった。エイルは一人でも良かった。

 虐げられ続ける中で自分はダメな奴だと、自分を否定し続けることでエイルとしての自我を保てたから。


「でも、そうじゃない……」


 状況は変わった。

 ティエラは自分を救うために毅然とドーラン達に意見をしてくれた。こんなどうしようもない自分のために戦おうとしてくれた。

 なら、それに応えなければ冒険者として、エイルはずっと泥水を啜ったままだ。


「そうだよな。戦わなくちゃダメだよな。いつまでも、いつまでも下を向いてばかりじゃ……いられないっ!」


 その日、初めて【灰被り】は顔を上げた。

 自身の弱さの象徴である『バックパック』を放り投げて。

 まるで『』にでも掛かったかのように。倒れたままで良いはずがないと。せめて、この瞬間だけは自分に『虚飾の自信』と『虚構の勇気』を貼り付ける。

 短剣を手に取り、ドーランと向かい合う。いつの間にか隣に立っていたティエラを見ると、彼女の目もこちらを向いているのが分かった。


「勝負だ、ドーラン……。俺はもう……這い蹲って、諦めているだけの【灰被り】を辞めるッ!」

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