第7話 嵐の前

 ドーランが去った後の『光明の月兎』はようやく静けさを取り戻そうとしていた。誰もが騒ぎが治まって安堵しながら各々が食事を楽しもうとしている。だが、そんな空気を壊して、少年は怒号を上げた。


「お前、なんでアイツに自分の身を売るような提案をしたんだよ!」


 エイルは冷静な表情を崩さないティエラの胸ぐらを掴んで、今にも殴りかかりそうな勢いで憤慨していた。口の端から血を流しながら。


「お言葉ですが、私は体を売るという提案をしたつもりはまるでありませんが」

「アイツらに同行するって事は体を売ったのと同じだ! 幾ら常識の無いお前でも分かるだろうが! あのクズはお前の体が目当てなんだぞ!」


 ドーランはティエラの身体に興味を示していた。今回大人しく引き下がったのは、アニスの牽制があったとは言え、大半を占めているのはティエラがパーティに加わると言う話があったからだ。

 冒険者はならず者が多い。まともに働けない人間のゴミ屑が集いに集って、底辺に寄せ集まっているのが現状だ。この《クノッソス》で上澄みの冒険者たちは、誰も彼もが才能や実力がある奴らばかり。


 成功を収めた奴らを下から見上げながら、嫉妬の炎に狂った『冒険者もどき』の欲望は酷く浅ましいものへと変貌してしまっている。

 特に、ドーランという男は『冒険者もどき』の代表格のような男だ。自己顕示欲の塊で、自己中心的で身勝手な『冒険者もどき』を体現するような化物だ。


「アイツは……正真正銘のクズだ。俺も三ヶ月近くアイツらとパーティを組んでいるが、良いところなんて一つもない。善性のカケラも持ち合わせてないんだよ……!」


 そんな男がティエラとパーティを組んで何もしないなどあり得るだろうか。


 ――《無限迷宮ラビリンス》で起こる事件は全て不問とする。


 誰にも見えず、誰にも証明できない迷宮内での不祥事についての不干渉を示す《クノッソス》の不文律。この街に暮らすものなら誰もが知る常識だ。

 そんなものがあって、ドーランがティエラに手を出さないなど考えられない。確実にティエラを傷つけると断言できる。


「良いか、お前がやったのは自分から火の中に飛び込む虫と同じだ! 自分の身を切る必要なんてお前にはなにも無いんだよ! だから、絶対にアイツらのパーティに加わるな!」


 真剣な眼差しでそう言うエイルを見て、ティエラは自然と頬が緩んだ。


「エイルは優しいですね。まだ出会って間もない私の心配をしてくれるなんて。貴方は自分だけ傷付けば良いと……本気でそう思っているんでしょうね」


 違う。優しさで言っているわけじゃない。これは自分とドーランの問題であって、無関係な人間を巻き込むのはエイル自身の主義に反するだけだ。

 だからこそ、エイルはティエラを何とかしてドーランと関わらせまいとしているのだ。

 だというのに、そんなエイルを慈しむように、愛しいものを愛でるようにティエラは頬を撫でながら、ただ優しく微笑む。


「それに……こう見えて、私は強いんですよ? ちゃんと冒険者の登録だって済ませてますし」

「それは……『銀の徽章きしょう』?」


 ティエラが胸元から取り出した徽章を見て、エイルはその目を驚愕に見開いた。

 冒険者には位列が存在している。下から四級、三級、準二級、二級、準一級、一級という風に分類がされている。この位列が高ければ高いほど、優秀な冒険者という事になる。そして徽章は冒険者の位列を示す身分証のようなものだ。


 エイルは現在、一番下の四級冒険者であり持っている徽章の素材は『白亜』である。ドーランは準二級冒険者であり持っているのは『銅の徽章』。

 そして、ティエラが持っている『銀の徽章』は二級冒険者であることの証明。それが意味するところは、ティエラは四級であるエイルは勿論、あのドーランよりも格上であるということだ。


「これで分かってもらえましたか? 私は何があってもあの人には負けません」


 確かにドーランよりも上の冒険者であるなら、万が一が無い限りは無事だろう。

 だが、そういうことではない。冒険者はその万が一を常々考えなくてはならない。ティエラが強いと分かっても、それだけで手放しに信頼できるわけじゃない。 


「でも……」


 返す言葉を無くしなにかを言い淀むエイルを見て、後方で二人のやり取りを見ていたアニスが溜息を吐いた。


「諦めな、エイル。その娘は一歩たりとも退く気がないと見える」

「アニスさん。それでも、俺は……!」

「アンタの言わんとすることは分かる。だが、その娘は実力を示してみせたんだ。これ以上、なにか問答をしたところでアンタは常に劣勢だ」


 アニスは言外に――アンタの負けだよ。と、その目で語りかけてくる。

 ティエラへと視線を振れば、ただただ微笑んでいる麗美な相貌と目が合う。


「ハァ……わかった……。もう、諦めるよ……」


 もう、何を言っても無駄なのだと悟ってしまった。エイルは眉間を押さえながら、これ以上ティエラに口出しをすることを止めることにした。


「それじゃあ明日からもよろしくお願いしますね、エイル」

「……あぁ、よろしく」


 出会いはじめはほんのちょっとだけの浅い関係だと考えていたにも関わらず、『お礼』として食事まで共に取り、おまけに明日からは同じパーティとして活動する事になるとは考えていなかった。


(まぁ、今更か……)


 花のように可憐な笑みを浮かべる少女を見て、エイルは呆れたように笑った。


◆◆◆◆◆


 翌日――《無限迷宮》入場口・スラム通り。


 真上まで昇っているであろう太陽は、空を覆う重く厚い曇り空によって遮られていた。雨でも降りそうな天気ではあるが、幼い子供達はそんなことを気に掛ける様子もなく街中を駆け回っている。

 無邪気な子供達を見ながら、エイルとティエラの二人はドーラン一行が合流するのを待っていた。


「そう言えば、エイルは今何級なんです?」

「……今、それ聞くか?」

「すみません。ただどうしても気になったもので」

「…………四級ですけど、なにか?」


 ただでさえドーラン達と迷宮探索するというだけで気が滅入っているのに、今のティエラの質問でトドメを刺された気がする。

 ティエラの驚愕に染まった顔を見てしまって、さらにダメージが大きくなった。失望されてしまっただろう。あれだけ大口を叩いて、それなのに最底辺だという事実に。


「四級……? 本当にですか……?」

「本当だよ……」


 悪かったな。俺はドーランよりも下の、底辺も底辺……最底辺の冒険者だよ――と、エイルは内心で不貞腐れていた。

 四級だから他の冒険者から舐められている。冒険者を始めて凡そ六年経って尚、四級だから嘲笑される。汚い灰を被り続けるだけの【灰被り】と陰口を言われる。

 だからエイルは万年、パーティの荷物持ちとして活動してきたのだ。


(……ティエラも他の冒険者と同じか)


 結局はティエラも『冒険者』だった。

 何よりも位列を重視し、自分よりも下の位列の冒険者を軽視する奴らと。


「そんな……エイルの位列がそんな――」

「――よぉ、来たぞ」


 ティエラが何かを言い掛けたとき、その言葉を遮るようにしてドーラン達が現れた。

 その声が聞こえると同時、エイルの双眸が彼らへの嫌悪感で歪んだ。


「逃げなかったんだなぁ、エイル。それに……嬢ちゃんもきちんと来てるとはなぁ……。ホントに驚いたぜ」

「へぇ……あれがリーダーが言ってた美人さんか。確かに顔は良いなぁ……。それに……体も満点だ」

「今日の探索が楽しみだなぁ……。ぅん、本当に楽しみだよぉ……」


 ドーランの後ろに続いて現れたのは二人の男。犬型の獣人の男はジロジロとティエラを観察し、ドワーフの男は涎を垂らしながら不細工に笑っている。


「おいおい……ノーガ、ダレフ。あんまり変な事考えるんじゃねぇぞ? 折角、このパーティに紅一点が入ってくれたんだ。怖がらせんじゃねぇぞ?」

「分かってるって、ドーラン」

「ぅん、俺も分かってる……」


 獣人の男とドワーフの男――ノーガとダレフは、ドーランの忠告に首肯を返した。


「さて、それじゃあ……今日はよろしくな嬢ちゃん」

「はい。よろしくお願いします、ドーランさん」


 太々しく笑うドーランと、微笑を浮かべるティエラ。

 少しの間、見合った後ドーランはティエラから目線を外して、エイルの側へと歩いていく。


「そして、今日もちゃんと『荷物持ち』として仕事をしてくれよ? 頼んだぜ、【灰被り】……」

「…………わかった」


 肩を組み、まるで旧友と親交を交わすかのように笑いかけるドーランに対して、エイルは顔を逸らして一言だけそう答えた。


「それじゃあ、新生パーティで探索を始めようか!」


 ドーランの声を合図に、彼らは《無限迷宮ラビリンス》へと潜っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る