第6話 因縁

 案内された席で手渡されたメニュー表と睨めっこしているティエラを眺めながら、エイルは自身の財布の中身を見て溜息を漏らした。


「言っておくが、そのメニュー表の料理を食べれるとは思わないでくれよ。俺らが頼むのは『裏メニュー』だからな?」

「分かってます。ただ、どれもこれも美味しそうな料理ばかりだなぁ……と思いまして。エイルがあれだけ不味いと念押ししていたのがまるで嘘のようです」


 確かに、アニスがが美味しそうなのは認める。だが、問題なのは裏メニューの方なのだとはティエラも知らない。

 正規のメニューと比べて格段に値段が安い『裏メニュー』はエイルにとっては助かるし、慣れているから平気だが、ティエラはどうだろうか。

 もしかすると、一口食べただけで卒倒してしまうかもしれない。


「じゃあもう頼んじゃうからな」

「はい! 私はあくまで奢って貰う身ですから。なにを頼むかは貴方にお任せします」


 相も変わらず整った顔立ちでニコニコと笑うティエラ。その顔はなにが来ても、美味しそうな料理であるのは間違いないという先入観から来ているのだろう。実際、周りの客が頼んでいるメニューはどれもこれも良い匂いを漂わせている。

 だが、これから頼む『裏メニュー』は本当にヤバい。ティエラの緩んだ表情も硬直してしまうような、超絶怒涛にヤバい料理が目の前に並ぶことになる。


「まぁ、覚悟しておいた方が良いぞ……」

「覚悟……?」


 一応、期待の表情をしているティエラに忠告だけはしておいた。ティエラは何を言っているのか分からないという様子でエイルを見ているが、少年はただ目を逸らすばかり。


「アニスさん、『』を二つください」

「あいよっ! クリシア、『』が二つ入ったよ!」

「はーい! 今、行きまーす!」


 エイルが注文すると、なぜかウェイトレスとして店内を練り歩いていたクリシアが厨房へと入っていった。

 それを確認したのち、少しの間待っていると厨房の方から――ガシャン!という金属が落ちたような音が店内に響き渡った。かと思えば、続けざまに骨が砕けるような音や、木材が軋むような音が響き渡る。

 到底、料理を作っているとは思えないような異音だ。隣を見れば、ティエラも厨房から聞こえてくる音に首を傾げていた。


「あのぉ……この音は?」

「……察しろ。料理を作ってる音だ」

「……これが、ですか?」


 ティエラの言わんとしている事は分かる。エイルも常々、どうやったら料理をしているだけでこんな異音を響き渡らせることができるのかと疑問に思っている。

 実は料理をしているのではなく、家具やら道具を作っているのではないかと疑った事もある。しかし、料理の様子を直で見てしまったことで、本当にただ料理しているだけなのだと知ってしまったとき、エイルは軽く絶望してしまった。


 そうして待ち続けること十数分あまり。

 次第に厨房から響き渡る異音は小さくなっていき、奥からドタドタと人が走るような音が聞こえてきた。

 厨房の奥から現れたクリシアは両手に、それはそれは大きな丸皿二つを両手に抱えて現れた。


「はい、お待ち! ゆっくり食べていってね!」


 ドン!と目の前に置かれた皿には、料理がてんこ盛りに積まれていた。

 それを見てさすがのティエラも提供された料理の異常性に気付いたらしく、先程までのほほんとしていた顔に緊張感が走っていた。


「これが……『裏メニュー』ですか?」

「あぁそうだ……。覚えておけ、コイツは劇物だぞ……」


 提供された『裏メニュー』の見た目を端的に説明するならば暗黒物質ダークマター。野菜が丸ごと入っていたり、魚の骨が一本まるまる残っていたり、肉はドロドロに溶けスープ状となっていたり、色も何故か紫がかっているという、とても形容し難い見た目をしている。

 加えていうなら、何故か黒い瘴気のようなオーラが周囲に漂っている。にも関わらず、ニオイは何もしないというのがこの料理の異常性を増幅させている。


「どうして、こんなものが……?」

「分からない。作った張本人であるクリシアに聞いてくれ……」


 これこそが『裏メニュー』の正体。給仕であるクリシアが厨房に立ち、アニスの手を借りずに創意工夫のままに作られた料理である。

 クリシア本人はこれをちゃんと美味しいと思って作っているらしく、


『……え、味見? ちゃんとしたよ? 人に出す料理なんだから、ちゃんと美味しいかは確認してるの!』


 と言われたときは流石のエイルも耳を疑った。

 スラムで暮らしていると味に無頓着になるのはあるあるだが、その中でもクリシアは別格。異常と言っても良いほどに味音痴なのだ。

 因みにだが、正規メニューの値段はおよそ300オールムに対し、裏メニューの値段はその百分の一の3オールム。破格も破格の値段である。


「……無理して食わなくても良いからな」

「いえ、お任せください! 私はたとえ奇食であろうと、出された料理は全て食べて見せます!」

「そ、そうか……」


 ティエラはカウンターに置かれたスプーンを手に取り、もはやなんの食材かも見分けが付かないナニカを掬い取ると、意を決して口に放り込んだ。


「……んぷっ?!」


 肩をプルプルと小刻みに震えさせ、えずいている少女を尻目にエイルも一口食べた。途端に襲ってくるのは苦味と酸味。ゴリゴリという謎の食感と、口腔に刺さる謎の骨。後味には生臭さと青臭さ、そして砂糖水のような甘みがある。

 ポーションも不味い不味いとは思っていたが、この料理はその上を軽々と超えて行ってしまう。


(俺は慣れてるから良いけど、ティエラにはちょっと酷だったかもしれない……)


 青褪めた顔をしながらも、なんとか咀嚼し飲み込んだティエラを見て、エイルも少しだけ反省した。

 ティエラは食べたものを吐き出しそうになりながらも、二口目へと手を伸ばし口に入れたと思えば、またえずく。対してエイルは慣れもあってか、顔を顰めながらも着々と食べ進めていった。

 気付けばエイルは裏メニュー完食間近、ティエラはなんとか半分を食べ切っていた。

 そんな時だった。客の来店を知らせる鈴が店内に鳴り響いた。


「あ、ちょっとお客様!? 席を案内しますので勝手に店内を歩き回るのは――キャッ!?」


 困惑の声を上げるクリシアを押し退けて、スキンヘッドの男が店内へと入ってきた。

 そして、その足が向く先はカウンターの一番奥。


「よう、【灰被り】。今日も生きて帰って来たんだなぁ? いやぁ、良かった良かった。お前が生きててくれて本当に良かったよ」

「…………ドーラン」


 顔の右半分に刻まれたタトゥーを歪めて下卑た笑みを浮かべるドーランという男を、エイルは睨み付けた。


「なんだなんだぁ? なんだって俺は睨まれてるんだぁ? 教えてくれよ、【灰被り】」

「なんでだと? なんでもクソもねぇだろ。俺を《無限迷宮ラビリンス》に置き去りにして逃げやがっただろうが」


 この男こそ、エイルを一人だけ置き去りにしてそそくさと逃げ帰った冒険者パーティの一人。

 エイルが最初に所属していた冒険者パーティから数えて。現在、彼が籍を置いているパーティ――《銀狼》のリーダーである。


「にげるぅ? 人聞きの悪いことは言っちゃあいけねぇなぁ。俺ァただ稼ぎも充分だってんで、撤退しただけだぜ? なのに、もっと稼ぐために一人で残ったんじゃねえかよ」

「……ッ! どの口が……!」


 エイルが今日死にかけたのはドーランが欲を出して、更に奥に潜ろうとしたからだ。物資も心許ない状況で深い場所へ行こうとした皺寄せが全てエイルに向いたのだ。

 その事実を改竄しようとするドーランに怒りしか湧いてこない。


「あ、そうだ。魔石……回収できたんだろ? 俺らはパーティだ。お前が集めてきた魔石も分配するのは当然だよなぁ?」

「回収できてるわけないだろ。どれだけの数の小鬼ゴブリンに囲まれたと思ってるんだよ。逃げるだけで精一杯だった。それに……幾つか回収してたとして、お前らに渡す分はねぇよ」

「へぇ……その割にゃ、随分な別嬪さん連れてるじゃねえか。良いご身分になったもんだなぁ、【灰被り】さんよぉ」


 一触即発。

 煽るような声色でエイルを嘲笑うドーランは、後ろで静観しているティエラを舐めるように見た。


「ホント……偉い別嬪じゃねぇか。……そうだ、こうしようぜ? その女を俺に寄越せよ。そしたら、回収できてるかもしれない魔石については勘弁してやるよ」


 ドーランの視線は顔から胸へ。舌舐めずりをして、ただでさえ歪んだ相貌を更に酷くしていく。一体どんな下品な妄想に耽っているのか想像に難くない男の様子に、エイルは嫌悪感を覚えずにはいられなかった。


「ふざけるなよ、ドーラン!」

「……おいおい。お前、立場分かってんのかよ? 俺が上で、お前が下! そこを履き違えてんじゃねぇぞッ!」

「――――ッッ!!!」


 エイルに掴み掛かったドーランは、少年の頬目掛けて拳を振るった。

 殴られたエイルの体は後ろへと吹き飛び、カウンターに背中を打ち付けた。エイルがぶつかった衝撃で、カウンターの上に置かれていた水のコップが落ちて割れた。

 口端から垂れ落ちる血を拭って、エイルは覚束ない足で立ち上がった。


「エイル、治療を……」


 殴られたエイルの心配をして側に駆け寄ってきたティエラを、手で静止する。


「この場所では使うな。それにこれくらいのキズならどうって事はない」

「…………わかりました」


 声を顰めながら、治癒魔法を使おうとしたティエラを諫める。治癒魔術の価値を先程教えたばかりにも関わらず、すぐに使おうとするとは思っていなかったが、それだけ心配してくれていたという証拠だろう。

 エイルはドーランの前に立ち、ティエラを自分の背中で見えないように隠した。


「おい、なんのつもりだ……?」

「さぁな……」

「チッ……! 気に食わねぇな、その目……。まだ痛い目に遭わせなきゃダメかぁ?」


 明らかに不機嫌になったドーランは、指の骨を鳴らしながらエイルへと近づいていく。

 また殴られる。……だけなら良い。自分がキズを負うだけならば、まだ我慢が効く。だが無関係のティエラがキズを負うのは許せない。

 ドーランが拳を振り上げる。エイルは殴られる衝撃に備えて、態勢を低くした――


「待ってください」


 ――その時だった。

 凛とした声で、ティエラが待ったを掛けた。佇まいが先程までの柔らかいものとは異なり厳粛に、浮世離れした美貌と相まって神聖さを感じさせる。


「なんだよ、嬢ちゃん。俺ァ今からコイツを再教育してやるところなんだが?」

「その拳を収めてはくれませんか。そうすれば……そうですね。明日、貴方たちのパーティに私も入ります。無論、エイルをこれ以上痛めつけるというのであれば、私もこの場で実力行使に出ますが」

「へぇ? そんなに自信があんのか? この俺に勝てる自信が……」


 ティエラの提案はドーランからすれば、飲む必要性のない条件だ。わざわざ拳を収める理由もなければ、ティエラの脅しも大した意味はない。


「ティエラ……お前、何言って……!」


 エイルは困惑していた。ティエラの変貌ぶりにもそうだが、彼女から放たれる圧力に似た力――魔術の根源たる魔力の奔流に圧されていた。

 ティエラは無関係の人間。自分が抱える問題に巻き込むつもりは無かった。今日が初対面であり、そこまで見知った関係でもないはずなのに、ティエラは自分を守ろうと行動していることに、エイルは当惑している。


「じゃあ、まずは嬢ちゃんから分からせて……」

「……待ちな」


 次にドーランを引き留めたのは、酒場の女主人であるアニスだった。


「此処はアタシの店だ。これ以上暴れるってんなら、アタシが相手になるが……?」

「……チッ、仕方ねぇ。その条件……飲んでやるよ。あぁ、それと……エイル。お前も明日付いてこいよ」


 ドーランはそれだけ言うと、大手を振りながら酒場から出ていった。

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