第4話 『お礼』
エイルは次の目的地である治療院を目指していた。
「次はどこに?」
「治療院」
「どうしてです?」
「見てわからないか? 怪我してるからだよ」
エイルは素っ気ない態度でティエラの質問に答えた。エイルは諦めてお礼を受け取る事にはしたが、わざわざそれ以上の関係性を作る気は毛頭なかった。
ただティエラはエイルの態度の真意に気付いていないのか、先程から彼の隣に立って同じ速度で歩いている。
道行く人々はティエラのそのあまりの美貌に熱烈な視線を送っている為、エイルとしては途轍もなく居心地が悪いものとなっていた。
おまけに、ティエラは自身を見つめる大衆に軽く会釈しながら手を振るというサービスまでしている。そのせいで余計に視線を集めてしまっているのだ。
「怪我ですか……」
ティエラはエイルを上から下まで舐め回すように見始めた。
エイルの全身には鋭利な刃物で切り裂かれたような切傷が無数に付いており、血は止まっているようだが、とても痛々しい。
「なんだよ……」
「いえ、ただその怪我……私なら治せるなぁ、と」
「…………は?」
エイルの聞き間違えでなければ、今確かにティエラは治せると言った。
ケガの手当てができるという訳ではなく、確かに治せるとそう言ったのだ。それが意味するところを察して、エイルは少々驚愕しながらティエラの方を見た。
「待て……お前、『治癒魔術』を使えるのか?」
「それはもう……完璧でパーフェクトな」
ティエラは大袈裟に胸を張り、得意げな表情を浮かべている。
どこか鼻につくようなドヤ顔ではあるが、もし本当にティエラが『治癒魔術』を使用できるのなら、これから掛かる治療院の代金が浮く。そうなれば、一食抜かなくても済む。
――これはチャンスだ。
エイルにとって、お金が浮くのは有り難い。
加えて、ティエラもエイルにお礼ができるので、ここから先付き纏われる事もない筈である。
「……決めた」
「え?」
「決めたぞ。俺がお前に要求するのは、俺の傷を治すことだ。それ以上は望まない」
エイルはビシッ!とティエラを指さして、断言した。
ティエラは突如として眼前に突き付けられた指に面食らった表情をした。が、それもほんの一瞬のうちで、ティエラは次第に喜色を顕にし始めた。
「勿論ですとも! そんなこと容易いです!」
ティエラは自信ありげに自らの胸を叩いた。
揺れた。ものすごく揺れた。なにがとは言わないが。視線は一瞬だけその揺れに吸われ、エイルは顔を真っ赤に染め上げてしまった。
「まさか…………」
「え? いや、ちが……!?」
ティエラは訝しむような顔でエイルを覗き込んだ。
人形のような整った端正な顔立ちは見れば見るほど、吸い込まれてしまうと感じてしまう。これがもし奇人変人の類でなければ、エイルは彼女に惚れていただろう。
だが、そんな事を考えている余裕はない。
もし豊かに実った果実の揺れる様を見てしまった事がバレれば、逆にそれを脅しの材料にして余計な出費が増える可能性だってある。
エイルはなんとか誤魔化そうとして、
「…………熱でもあるのですか? 顔が赤いですけど」
「そ、そうなのかなぁ! あ、アハハハ!」
ティエラが全く的外れな予想をしたので、今回はそれに乗っかる事にした。
いや、脳みそが熱に浮かされているのは事実なので嘘を言っている訳ではない。
「では、ついでに風邪も治して――」
「――それは大丈夫だからッ!」
「そ、そうですか……?」
「とにかく、早めにキズを治してもらえると助かる! 迷宮に潜る上でキズを放置してると、命に関わっちまうからさっ!」
エイルは早口でそう捲し立てた。
いや、焦っているわけではない。この顔の火照りの理由がバレたらマズイとか、理由がバレてそれを材料に強請られるのを恐れているわけではないのだ。そう、決して。断じて、そんな事はない。
ただキズだけ治してもらえればそれで良い。冒険者にとって、万全の状態で迷宮に潜れないのは致命的だ。
「一先ず、路地裏か何処かの人に見られない場所で治療してくれると助かる」
「なぜ人に見られないところなんですか? 人の邪魔になるなら分かりますが、見られるとなにかマズイ事でもあるのですか?」
首を傾げるティエラの疑問も最もだ。別に治療するだけなら道の端に捌けてすれば、人通りの邪魔にもならないはず。わざわざ路地裏のような人の目の付かない所に行く意味など無いようにすら思える。
「……そもそも、治癒魔術を使える人間がこの場所には少ないんだよ。冒険者にしたってそう。此処は爪弾きされた奴らしか居ない場所だ。治癒魔術を使えるってバレればそれこそ、冒険者やらならず者どもがお前を使い潰そうと躍起になるぞ」
他の区画ならいざ知らず。ここスラムでは治癒魔術を使える人間はごく少数だ。
そもそもとして、治癒魔術は他の魔術と比べても会得の難度が高いとされている。理由は単純明快で人の身体を治す以上、人の身体の構造を知らないと使えない。
それゆえに教養なんてものを培って来なかったスラムでは、治癒魔術を使える人間が少ない。
そんな場所で治癒魔術を使えるとバレれば、それこそ人攫いに遭って、どこか見知らぬ場所で怪我の治療をさせ続けられる奴隷となってしまう。
但し書きとして、治療院はそもそも《クノッソス》が管理している組織団体。あそこに勤める『治療師』が標的にならないのは、この街そのものを敵に回したくはないからだ。
「なるほど、理解しました!」
「なら、良かった」
「ちょうどあそこに路地裏がありますし、あそこで治療していきますか?」
ティエラの指差した先にはザ・路地裏と言った風貌の脇道だった。ゴミは散乱し、蜘蛛の巣があちこちに張り巡らされた、もはや道と呼んでいいのかすら怪しい場所だ。
確かにあそこなら人通りなんて皆無だろうし、治療をしてもらうには持ってこいの場所である。
「よし、あそこにしよう」
エイルはティエラを連れ立って、彼女が指し示した路地裏へと入った。鼻をつく腐った生卵のような匂いに顔を顰めつつも、目についた木箱の上に座った。
そして、木箱に座り込んだエイルの前にティエラが立ち、その手を彼の顔前へと差し出す。
「それじゃあ、よろしく頼む」
「わかりました。それでは体の力を抜いてください」
目を閉じ、ティエラの言う通りに体から力を抜いて、治療の時を待つ。
「【癒せ、天の
ティエラの詠唱が終わると同時、エイルの体が淡い緑光に包まれた。自身の体を覆う暖かな光が、熱を放ち続けていたキズを冷まし、主張を続けていた痛みを薄れさせていく。
その光が齎す力はそれだけには留まらない。体から失われた血が回帰する感覚。血が湧き立ち、体が熱を帯びるような独特の感覚だ。それに加えて、身体に溜まっていた疲労すらも消えていく。
(あぁ……いつになっても治癒魔術を掛けてもらってるこの感じは慣れないなぁ……)
心が洗われると言えば良いだろうか。スラムで生きる冒険者として荒んでいった心の、ささくれ立ったキズさえも癒されている気がする。
それはきっと、この光の暖かさに当てられた故なのだろうが、不思議とそんな事はどうでも良いとすら思えてしまう。
出来るなら、ずっとこのまま――なんて考えてしまうのは、エイルが我儘だからという訳ではないのだろう。
(やっば……眠くなってきた……)
暖かな光を浴びるその様はまさしく春の日光浴。涼しげな陽気に当てられながら、頬を撫でる春風を想起させる。緑光がエイルの眠気を呼び起こした。
うとうと、うとうと……と、体が浮いているような感覚に陥っていると、
「……はい、終わりました」
「ん……ありがとう……」
治療が終わってしまった。
心地のいい眠気に襲われていた体が、一気に現実へと引き戻されていく。先程まで感じていた春風が途端に、路地裏の汚い空気へと還元されてしまった。
朦朧としていた意識は急覚醒し、眼前のティエラを見遣ると、ニマニマと揶揄うような笑みを浮かべた少女の美貌がそこにはあった。
「随分とリラックスしてくれたみたいですね」
「…………触れないでくれ」
「いやぁ、治癒魔術を掛けた途端に、体がメトロノームのように揺れ始めたのを見て、私は驚いてしまいましたよぉ?」
「…………本当に、ごめん」
この女、実はとんでもない悪女なのではないだろうか。
「それにそれに、気づいていないと思っていたかもしれませんが。案外、女の子は視線に敏感なものですよ?」
「――すみませんでしたッ!!!」
スライディング土下座。
木箱の上に残像を残して、ティエラの足元へと滑り込むようにして、エイルは頭を地面に擦り付けた。いや、何をどう見ていたのかはティエラも口にしていないが、その後に続く言葉は容易に想像がついてしまった。
ならば、ここは言い訳をするよりも謝罪をするが吉。出来るだけ穏便に事を済ませたいと、エイルは考えたのだ。
「あらあら、まぁまぁ……。どうしたんですか、そんな急に土下座なんて……」
「…………なにか、お詫び、します」
「お詫び? そんなの別にいらないですよ?」
「…………それじゃあ、お礼を、させてください」
「えぇ? わざわざ
――やはり、この女は途轍もない悪女だ!
笑いを噛み殺したような声色で、片言言葉に的確に嫌な返答をしてくる!
「ご飯……奢ります……」
「え! 本当にいいんですか! じゃあ、お願いしちゃいますね!」
とてもとても良い笑顔を浮かべるティエラに、エイルは恨みがましい視線を送りながらも嘆息した。
手痛い出費が増えてしまった……と。
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