第3話 頭のおかしい少女
貴重なポーションを割った男を蹴り倒しただけにも関わらず、絶世の美少女に御礼を言われる展開になるとは思っていなかった。エイルは困惑していた。
すると、少女は頬に手を当てて、どこか物憂げな表情を見せた。一体どうしたのかと気になり、エイルが尋ねようとすると、
「でも、やっぱり奴隷になってみるのも面白そうでしたねぇ……」
「はぁ? アンタ何言ってんだ?」
突然、そんな馬鹿げたことを言い始めた少女にエイルは正気を疑った。奴隷になるのが面白そうだと、どこか抜けた様子で言ってのけた。誰もが奴隷を嫌がるというのに。
この女、狂っている。
神によって最高なバランスで作り上げられたかのような歪さが欠片もない端正な顔立ちに、日の光を透かして眩く光り輝く麦穂のような金髪。そして、視線を誘導する豊満な乳房。すらっと伸びる手足は程よい肉感を纏っている。
そして、その完璧に作り上げられた美貌に、人とは思えないほどの貴賓を感じさせる慈母のような微笑みを貼り付けながら、到底普通の人間のものではない感性でものを語る。
明らかに狂人の類だ。
これ以上、関わるのは避けた方が良い。直感がエイルにそう告げている。
「ま、まぁ……無事そうなら良いよ。それじゃ!」
エイルは早口で捲し立てると、そそくさと足早にその場を後にした。少女を攫おうとしていた犯罪者と標的となった頭のおかしい少女は憲兵に押し付ける事にする。
と言うか、もともとエイルは鍛冶屋に行く予定だったのだ。此処で頭のおかしい少女の相手をしている暇など有りはしない。
今は鍛冶屋と治療院で掛かることになる出費のことで頭がいっぱいなのだ。
「どこに行かれるのですか?」
「…………」
歩く速度を少しだけ上げた。
「……? なぜ、早歩きに?」
「…………ッ」
歩く速度を少し上げ、小走りに。
「あの、貴方の名前を聞かせて貰えると嬉しいのですが」
「…………ッ!」
そして、全力疾走した。
この女、怖いッ!
エイルが視線を後方に向けると、少女はけろっとした様子でエイルの全力疾走に付いてきている。どうやら少女は狂人に加えて、ストーカー気質があるらしい。
攫われていた少女を助けて、なぜそこから助けた少女と鬼ごっこをする羽目になっているのだろう。
いや、理由はわかっている。少女としてはエイルに何かしらお礼をしたいのだろう。だが、当のエイルは少女に関わりたくないと考えている。そんな二人の齟齬がこの現状を招いているのだ。
そうして、暫く追いかけっこをした後、
「いつまで付いてくるつもりだ!」
エイルは遂に痺れを切らして、少女へと振り返った。
追いかけっこをしている内に、気付けばエイルは目的の場所であった鍛冶屋まで辿り着いていた。それまで数多の迂回路を利用して、少女を振り切ろうと画策した。
だが、少女はそれをまるで意に介さず、後ろから追跡し続けてきたのだ。
「いつまでも何も、話を聞いてくれるまでですけど?」
「話ぃ? 俺はアンタと話す事はない!」
「貴方には無くても私にはありますよ? 例えば、助けてくれたお礼とか!」
「あぁ……お礼なら良いよ。アレはあの間抜けが俺のポーションをぶち撒けやがったのが理由だし……」
エイルはバツの悪そうな表情で、少女から目線を逸らした。少女は純粋無垢に目を輝かせながら、エイルにお礼がしたいと言っているが、実際問題エイルにとってはポーションを無駄にされた仕返しに過ぎない。
少女を助けるつもりがあって助けた訳ではない為、素直に彼女からのお礼を受け取る事はできなかった。
「あ、お礼より先に名前を名乗らないとですよね! 私はティエラと申します! 以後、お見知りおきを」
「え? あ、あぁ……俺はエイル……よろしく……」
「よろしくお願いしますね、エイル!」
少女――ティエラは無邪気な笑みを浮かべて、エイルの左手を両手で握りしめた。その様子に少しドキリと胸が高鳴った。
可憐なる少女の愛らしい微笑みに当てられ、茹だったような熱を持つ思考を振り払うように、エイルは頭を数度左右に振った。
どれだけ可愛らしく振る舞っていても、ティエラと名乗ったこの少女は間違いなく頭がおかしい。幾らエイルが恩人といえど、危機感のまるでない行動は、彼女が純粋さのあまりモノを知らないからだ。
そんな人間と関わって、もし仮に自分が彼女の起こした問題に巻き込まれたらどうする。と、思考に冷静になるようにひたすら促し続けた。
「どうかされました? 急に頭を激しく振っていましたけど」
「…………いや、何でもない。ただ、良くない考えが脳内に過っただけだ」
「そうですか。それは大変ですね」
「うん。凄く大変だ」
「私が一肌脱ぎましょうか?」
「やめてくれ。俺にはそんな気は一切ない」
自身が着用している純白のワンピースに手を掛けたティエラを、エイルは即座に静止した。
やはり、ティエラにはまるで危機感がない。と言うか、恥じらいというものも無い。ありとあらゆる人間的感性がお亡くなりになっているらしい。
「とりあえずお礼はいらない。俺は忙しいんだ。もう付き纏わないでくれ」
「あらま、それは大変。でしたら、その用事が全て終わった後にお礼をさせてください」
「いや、だからお礼は要らないって」
「ならやはり、ここで脱ぐしか無「わかった! 後で幾らでも付き合うから脱ぐのはやめろ!」
この女には脱ぐかお礼するかの二択しか無いのか! と、エイルは内心で悪態を吐いた。いずれにしろこんな所で裸になられては、エイルが暴行を働いたとして憲兵に捕まりかねない。
それだけは絶対に避けなければならない。今後、冒険者として……いや、人として生きていくときに枷になる可能性がある。
「……俺はこのまま鍛冶屋に入るから、ティエラはどっかで時間潰してろ」
「はい! わかりました!」
よし。このままティエラを外で待たせて、鍛冶屋の裏口からこっそり逃げることにしよう。呑気に外で待つティエラはエイルが出てくるまで何十分何時間と待たされ、気づいた時にはエイルはいなかった。
そうなれば、ティエラもお礼することを諦めて、帰路につくはずである。
エイルは思い描く完璧な流れに心の奥底でニヤリとほくそ笑んだ。
◆◆◆◆◆
《クノッソス》スラム・
「おい、坊主……! なんだ、あの別嬪さんは!」
そこの店主であり、エイルの武器の整備を受け持ってくれている坊主頭の親父――ガノフ・トールはエイルの後ろで飾られている武具を見て、目を輝かせている少女を見て動揺していた。
「そんな事はどうでも良いから、早く武器の整備を……」
「それは明日までに終わらせる! んな事より、お前が女連れてきた方が大事だ!」
ガノフとエイルの間には受付用の机があるのだが、それを忘れているのかエイルを強引に引き寄せて、彼に耳打ちをし始めた。
エイルとしては机の辺が腹部に刺さり苦しいので、どうにかして解放して欲しいのだが、テンションがどうにもおかしいガノフにはそこまで察する能力はなかった。
「あの子……まさか、彼女なのか!?」
「ちげぇよ。此処に来るときにたまたま人攫いから助けたら、物凄く感謝されてお礼したいって付いて来やがったんだよ」
「て事は、あの子はお前にホの字ってことか!!?」
「そんな訳ないだろ……。ただでさえ、さっき出会ったばかりだってのに……」
「いやいや! お前が白馬の王子に見えたって可能性もあるだろうが!」
混乱してガノフは頭がおかしくなっているらしい。何時ものガノフなら、
『あ? 武器の整備? そこ置いとけ。明日には終わらせといてやる』
というように、ぶっきらぼうな接客をして、エイルを家に帰してしまうのだ。だが、勘違いして欲しくはないが、ガノフはこれで仕事人気質であり、エイルの武器の整備はいつも完璧に近い仕上がりをしてくれる。
その腕前はエイルも評価しており、人に裏切られ続けてきたエイルであっても彼の腕だけは信用していた。
曰く、
『武具には命が宿る。例え、持つ野郎が性根の腐った奴でも、ソイツの武具に罪はねぇんだ。だから、俺は再び武具に命の火を与える。要は、武具専門の医者みてぇなもんだ』
医者では武具を鍛造できないではないか。というツッコミは無しだ。一度、エイルがそれをツッコんだ際には、思いっきり頭を鷲掴みにされ悶絶した事がある。
だが、少なからずガノフという男は無愛想で、常に顔を顰めているような男なのだ。
そんな男が絶世の美少女を前に情けなく動揺している様は、実に滑稽に映ってしまう。
況してや、ザ・強面と言わんばかりの鋭い目つきと太い線が特徴的な顔で、『白馬の王子』などと宣っているのは余計に面白さを増長させている。
「俺は雑談しに来たわけじゃないんだ! とにかく早く整備してくれ! 頼んだぞ!」
エイルはガノフの腕から抜け出して、早口でそう吐き捨てた。
エイルは聞こえないように溜め息を溢すと、未だ飾られている武具を眺めているティエラを見た。
まさか、ティエラが鍛冶屋の中にまで付いてくるとは思っていなかった。エイルは外で待つだろうと予想していた。鍛冶屋なんて居ても楽しくないだろうと思っていたからだ。
だが、予想と反して、ティエラは鍛冶屋を思いの外楽しんでいる様子だった。
よくよく考えれば分かることだった。ティエラは人の価値基準とは異なる基準の持ち主。付いてくるだろうと予測しておくべきだった。
これは完全なるエイルの落ち度であり、今から逃げ出すのは困難。
「…………諦めるかぁ」
エイルは大人しくお礼を受け取ることにした。一体何をもってお礼とするのか、ティエラの価値基準からして怖いが、何か変なお礼であっても、それもまた運命。
そう思うことにして、エイルは遂に逃走を諦めたのだった。
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