第2話 運命の出会い

 目まぐるしく移り変わる《クノッソス》の景色を眺めながら、その少女は感嘆の溜め息を漏らした。


「わぁ……速いですねぇ……! もっと速くする事はできますか?」


 少女は自分の現在の状況が分かっているのか、分かっていないのか。呑気に目を輝かせながら、自身を男にそう問いかける。

 男はあまりにも平常運転――というか、のんびりし過ぎている少女に顔を引き攣らせながらも、街中を全力で駆け抜けていた。


「お前……今の自分の状況がわかってるのか?」

「えぇ……わかってますよ? 私は今、誘拐されているのでしょう?」


 どうやら自分が攫われているということを理解しているらしい。だが、まるで動揺している素振りが彼女からは見えない。というか、この状況を楽しんでいる節がある。

 その事実に若干男は引きながらも、仕事を完璧に遂行する為に街の外へと続く門扉まで走り続ける。


「お前はこれから奴隷として売り出されるんだぞ。なのに何で、そんな平然としてられるんだよ……」

「あら? だってこのスラムでは誘拐されるのは日常茶飯事なのでは? それで奴隷として売り飛ばされてもそれはそれで面白そうですし。何事も経験は大事ですからね!」

「…………狂ってんな」


 どうやら攫われている少女は頭のネジが何本か飛んでいるらしい。確かに《クノッソス》のスラムでは誘拐など日常的にある光景だ。大体の誘拐の対象は幼い子どもか力の弱い女。

 攫われた女子供は奴隷を専門的に取り扱うオークションに掛けられ、破格の金銭を手にすることができる。より上質な奴隷を提供できればより多くの金銭が手に入るというシステムだ。


 無論、奴隷は人のように扱われる事はなく、家畜以下の扱いを受けることが殆どだ。

 そのため、多くの人間は奴隷にだけはなりたくないと泣き叫ぶのだが、この少女だけは違った。明らかに異質な雰囲気を纏いながら、しかし何処か抜けている。


「…………まぁ、良い。どうせ憲兵も間に合わねぇだろうし、このまま脱出だ!」

「本当ですか? 頑張ってください!」


 少女の謎の応援を受けて、男はさらに戸惑った。


◆◆◆◆◆


 一方その頃、《無限迷宮》入場口・スラム通り。


 エイルは緑色の液体が入った試験管片手に、そこからスラムへと戻っていた。手に持っている試験管の中身は薬草を煎じて作られた『ポーション』だ。

 飲めば、たちまち傷が治る!

 という代物ではないが、飲めば体中の痛みと疲労がある程度軽減されるのだ。

 その為、冒険者たちには重宝されているのだが、この『ポーション』には一つ大きな欠点が存在しているのだ。それというのも、


「んぐっんぐっ! …………ッ、くっそ不味いッ!」


 とても不味いのだ。

 どれだけ不味いかと聞かれれば、葉っぱの青臭さ、コーヒーのような苦味、チリソースのような辛味、そして謎の甘味を加えて、それら全てを何倍にも濃縮したような味だ。

 これを飲んで暫くは味覚がバグり散らかし、何を飲み食いしてもこのポーションな形容し難い不味さが口の中を支配してしまう。


「くっそ! ただでさえ高いのに……少しくらい味を改良しやがれってんだ……!」


 エイルは飲みかけの試験管の中身を睨みつけながら、一つ愚痴を溢す。というか、そもそもの話エイルのパーティメンバー達が裏切らなければ、ポーションを使う羽目にはならなかったはずだ。

 今更、その事に言及するのは無駄だから何も言うことは無いが、いつか自分の力で《無限迷宮》を挑めるようになった時、奴らの鼻っ柱を折ってやらなくては気が済まない。


「…………あーあ。結局、あの乱戦の中じゃ《魔石》の回収なんてできなかったし、今日の収穫はゼロか……」


 エイルは基本、窮地を脱する際にモンスターが落とす《魔石》を忘れずに回収しているのだが、今回に限っては回収などしていたら死亡していた事もあり、一つも回収できていない。

 加えて、家に戻るまでの道すがらを歩く体力の確保目的で、エイルにとっては高価なポーションも使ってしまった。利益は大幅なマイナスである。


「まぁ、命があっただけ良かったと思う事にしよう。そうしよう」


 今回ばかりは本気で死んでいてもおかしくない状況だった。そんな絶望的な状況から生還することができたのだ、金を得るよりもよっぽど良い拾い物をした。

 そもそも生きるための金を得るために《無限迷宮ラビリンス》に潜っているのだ。

 なのに、そこで死んでしまえば本末転倒すぎる。


「てか……これからの出費を考えたら、更にマイナスになるのか?」


 まず、負った傷を治す為に治療院に行かなくてはならない。傷を放っておけば、そこから雑菌が入り込んで何かの病気になりかねない。ただでさえ衛生環境の良くないスラムで暮らしている以上、なるべく傷は清潔に保ちたい。

 次に、武器の手入れだ。小鬼ゴブリンの血液やら油脂分やらが付着した刃は放置しておけば、腐食してしまい使い物にならなくなる可能性がある。血液や脂を落とすだけなら自分でもできるが、刃毀れなどの可能性がある以上、鍛冶屋に持っていかなくてはならない。


 前言撤回。


「命があっても採算とれねぇよ……」


 一先ず、今日は晩飯を抜くしかない。冒険者は体が資本ではあるが、金が無いのであれば仕方がない。仕事道具が使えなくなる方が困るし、傷が悪化して死ぬのも勘弁だ。

 晩飯一回分抜いたところで体には何ら影響はない。というよりも、長いスラムの暮らしの中で食べられないことの方が多かったエイルには空腹は当たり前だった。


「とりあえず、武器を持ってくかぁ……」


 肩を落としながら、エイルはスラムを歩き続けた。 相変わらず陰鬱とした雰囲気の街並みにうんざりしながら、行きつけの鍛冶屋へと向かっていた。

 そんな時だった。


「誰かぁ! ソイツを捕まえてくれぇ! 人攫いだぁ!」


 男の声がスラム中に響き渡った。


「またか……」


 人攫い――今日も今日とて、いつも通りに起こる犯罪に今更なにを思う事はない。

 ただただ煩わしく薄汚い悪行に辟易とする。助けてやりたいが、そもそもとして人攫いをしている人間は逃げ足があり得ないほど速い。

 加えて、スラムは複雑に道が入り組んでいる為、その現場に遭遇する確率も低い。

 憲兵も人攫いを追っているだろうから、部外者であるエイルが介入することでもない。


(まぁ、憲兵がどうにかするだろ。捕まえたところで罰せないから意味ないけど。ま、人攫いに遭うのは運が無かったって話だしな)


 スラムは他の《クノッソス》の区画と比べても、明らかに司法が腐り切ってる。ここに暮らす人間はゴミとでも言いたいのか、人攫いはゴミの処分と捉えている節があるのが現状だ。

 憲兵たちも必死になって人攫いを捕まえてはいるが、人攫い達を裁くための法律の整備が整っていないため、捕まえたところで罰を与えられないのが現状だ。


「おい! そこ退け!」

「はぇ?」


 エイルは人攫いに遭った人のことを憐れみながら歩いていると、目の前から少女を抱えた男が走って来ていた。声が聞こえた時には既に避けられる距離ではなく、男の肩とエイルの肩がぶつかった。


「ッ、つぅ……! な、なんだ?」

「気をつけやがれ! クソが!」


 男は自分からぶつかってきた癖にエイルに悪態をついてみせた。それにほんの少しだけイラァ……っと来たが、堪えてポーションを飲もうと右手を見る。

 そこには地面に落ちて割れた試験管があった。中身の液体は地面に染み渡り、飲める状態ではなくなってしまっていた。


 ――ぶつかった衝撃で落とした?


 その事実に思い至った瞬間エイルは踵を返して、先を走り抜ける男を追走した。


「お前……ッ! お前なァ……ッ!!!」


 肩を震わせながら、ぶつかって謝りもしない男に対して怒りが爆発したエイルは地面を蹴り、建物の壁を足場にしながら、男の頭上へと躍り出た。


「アレがどれだけ高いか分かってんのかァァァ!!!」

「へぶっ!?」


 そして、限界まで腰を捻り、放たれた飛び蹴りが男の後頭部を正確に撃ち抜いた。

 一撃。たった一撃で男は意識を失い、勢いよく地面へと顔面が埋まってしまい、抱えられていた少女は空中で三回転して地面に華麗に着地してみせた。


「……ったく、弁償しやがれってんだ!」


 地面に倒れた男を睨みつけた。ただでさえ収支はマイナスだというのに、この男が貴重なポーションを割ったせいで金を無駄にしてしまった。

 後ろから「止まれぇええ!」という声と共に、複数の足音が聞こえてきた。恐らくこの男のことを追っていた憲兵たちだろう。

 後処理は憲兵に全部任せて、ここを離れることにした。色々と話を聞かれるのは面倒なのだ。時間は有限。この街の代名詞でもある《迷宮》のように、決して無限ではないのだ。

 そうして、エイルが大人しくこの場から去ろうとしたそのとき、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、そこには絶世の美少女が立っていた。


「助けてくださってありがとうございました!」

「え? 助けた? 誰が?」

「? 貴方が、私を人攫いから救ってくれたではありませんか」


 そう言って気絶した男を指した少女は不思議そうに首を傾げた。エイルは倒れた男と少女を数度見てから、ようやくどういう状況だったのかに納得がいった。


「なるほど。つまり、俺は知らぬうちに君を助けてたって事か!」

「そういうことですね!」


 こうして、二人は出会った。

 この二人の出会いによって、世界の運命の歯車は大きな音を立てて廻り始めたのだ。

 それは絶望へ向かうのか。希望へ向かうのか。

 だが、確かにその日を境に世界に大きな波紋が広がっていき、停滞していた二百年を大きく動かしていく事はまだ誰も知らない。

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