第1話 異世界とメイドとクソ親父

 二人の男女が沈黙したまま向かい合っていた。


「……………………………」

 

 メイドの女性は心配そうにもう一方の少年を見守っており、彼が話し出すのを待っている。

 

「……………………………」


 そして少年の方は俯き、頭を抱えながら、思考を巡らせている。

 というのも、つい先程まで彼の疑問に対する一問一答が行なわれていた。彼は今、その答えを整理し、必死に飲み込もうとしている真っ最中なのである。

 

「…………つまり……だ」

「! ……は…はい……!」


 少年がようやく口を開く。


「俺は“ユーリウス・ペイルウルフ”」

「!…………はい」


 彼は、先程教わったことをそのまま話す。頭だけでは飲み込み切れず、声に出して確認することで、この現状を受け入れようとするつもりらしい。そのまま言葉を続ける。


「ペイルウルフ家はなんか……偉い貴族で……、俺はそこの坊ちゃん」

「はい」

「ここはペイルウルフ家の屋敷……、つまり俺の家で…。あなたはそこのメイドで……俺の世話係の“ヘレナ”……さん」

「そうです! ……さん付けしていただかなくても大丈夫ですよ?」

「そうか? ……分かった。……で、俺は家の階段で転んで、頭を打って気絶していた」

「…………はい」

「…………むぅぅぅ」


 最後の返事だけ答えるのが遅かったのは、転んだ姿がよほど間抜けだったのだろうか。ともあれ、一通り確認し終え、彼は唸る。

 自分の名前、自分の家、自分に起こったこと。そのいずれもが、全くもって身に覚がない。彼にとってはそれほどまでに受け入れ難い状況であった。

 夢かと思い、何度も頬をつねったが目覚めは一向に来ない。起きたときよりはマシにはなったものの、いまだに現実感のかけらもないのである。


「だ……大丈夫ですか?」

「……とりあえずは……まぁ」


 正直言って大丈夫ではないのだが、ヘレナと名乗るメイドに、これ以上心配を掛けさせぬため取り繕う。

 再び頭を抱えていると心配からか、今度は彼女の方から質問する。


「…………あの…、本当に何も覚えていないのですか?」

「……あぁ」


 記憶喪失。彼は一問一答の際にそう説明した。そう言っても遜色ない状態ではあるが実際には少し違う。

 彼の記憶は完全な白紙ではなく、“ユーリウス・ペイルウルフ”とは別人の“南雲 勇利”としての記憶があった。しかし、まったくの別人の記憶があると伝えても信じてもらえるか怪しく、むしろ話がややこしくなると思ったため、とりあえず記憶喪失ということで通すことにした。


「そう……ですか……」


 そうしてヘレナは悲しそうな顔をして俯いてしまう。

 彼女は勇利、もといユーリウスが起きてからずっと付き合ってくれている。彼にとっては初対面のようなものだが、これまでのやり取りで彼女の人の良さと、自分をとても気に掛けてくれているのが分かった。そんな彼女が落ち込んでいるのを見て、ユーリウスも申し訳なく思う。

 なんとか励まそうと思ったその時、ヘレナは顔を上げ、


「……そうだ!ひとまず旦那様……、ユーリウス様のお父様をここにお呼びしましょう!」

「お父様?」

「はい!ご家族のお顔を見れば何か思い出すのではと」


 彼女はこの家の主であるユーリウスの父親を呼ぶ提案をしてきた。

 確かに親しい人物と会えば何か進展があるかもしれない。しかし、ユーリウスは記憶喪失ではない。父親に会ったとしても、思い出す可能性は低いだろう。


「……分かった。じゃ、お願いします」


 とはいえ、それ以外に何か思いつくことがあるわけでもなく、彼も自分の父親とは会っておきたいと思った。それに、少し一人で考える時間が欲しかったため、その提案を受けることにした。

 

「かしこまりました。では私は失礼いたします。。……安静になさってくださいね?」

「……すいません、いろいろ面倒を掛けちまって……」


 ユーリウスが礼を言うと、彼女は一瞬驚いたような顔をする。それを不思議そうにしていると、彼女はハッとして表情を戻し、一礼をしてから部屋を出ていった。




 部屋に一人残されたユーリウスは、ベッドから降り部屋に置かれている鏡の前に向かう。向かう途中で転びかけたが、なんとか鏡の前にたどり着くとそこには、10歳程の淡い青色の髪をした男の子が映る。

 “南雲 勇利”とは似ても似つかない、そもそも明らかに日本人ではない見た目。目覚めたときにはこの姿になっており、初めの方こそ混乱していた……、というか今も混乱しているのだが、はこの状況を説明する言葉を知っていた。


「…………これって……、異世界転生ってやつだよな? ……姉貴の本棚にそんなんがあった気がする」


 異世界転生。彼はまだ“南雲 勇利”であったとき、自身」の姉の本棚にそういった内容の、やたらと長いタイトルをした漫画や小説があったことを思い出す。あまり感性には合わなかったので少ししか読んでいないが、大体が死んだら異世界の別人になっているという内容だったことは覚えている。まさしく、彼の今の状況そのままである。

 “南雲 勇利”としての最期の記憶は女の子をかばい電車に轢かれたところであり、猛スピードで走行する電車にぶつかって生きていられるはずがない。そして、彼が今いるこの家も全体的に古風で、しかもメイドがいる貴族の屋敷ともなれば、今時ヨーロッパにもそんなところがあるとは思えない。つまり……、


「……“南雲 勇利”は死んで、異世界の“ユーリウス・ペイルウルフ”に転生した」


 それ以外考えられなかった。改めて口に出すことで、これが現実であると理解させられる。


「…………マジかぁ……」


 もう“南雲 勇利”はしまった。これからは“ユーリウス・ペイルウルフ”として生きていかなくてはならない。その事実に打ちのめされそうになる。


「……ええぃ、しっかりしろ“南雲 勇利”‼ ……いいや“ユーリウス・ペイルウルフ”‼」


 は自らに活を入れる。

 今までの未練はある。これからの不安もある。されどここで嘆いてもなんにもならない。

 

「『どれだけ足が止まろうと、心だけは前を向け』」


 ユーリウスはかつて、師でもあった祖父からの言葉を思い出す。


「どうせ過去には戻れやしねぇ…… 、どうあがいても俺はもう“ユーリウス”として生きなきゃならん。……ならとことん生きてやろうじゃねぇか! 新しい人生……、“ユーリウス・ペイルウルフ”としての人生をよ‼」


 こうして彼は、覚悟を決めた。

 戻れぬならば進むのみ。どんなことがあろうと“南雲 勇利”の記憶を受け継いだ“ユーリウス・ペイルウルフ”として、前に進み続けると。




 決意を新たにヘレナの帰りを待っていると、三人分の足音が聞こえてきた。それらが部屋の前で立ち止まると、ドアがノックされ、ヘレナの声がした。


「ユーリウス様、旦那様をお連れいたしました」


 そうしてドアが開くと、ユーリウスと同じ淡い青色の髪をした中年の男性が、部屋へ入ってくる。そのあとに続いてヘレナと、執事服を着た老人も一礼をして部屋に入る。何故か後に入ってきた二人は冷や汗をかいている。一方で最初に入ってきた男はまるで苛ついているような、焦っているような表情をしていた。男はユーリウスを見ると、睨み付けながら近づいて、


「ユーリウス! 記憶がないというのは本当か⁉」


 まるで威圧するかのような声で問い詰めてきた。その態度に困惑しつつも答える。


「あ…あぁ……、本当だ。……アンタは…………俺の父親でいいんだよな?」


 自分と同じ髪の色に、明らかに後ろの二人より偉そうな立ち振る舞い。ほぼ間違いなく自分の父親のようだが、その態度はとても我が子に向けるようには思えなかった。故に、疑問で返すようなかたちになってしまった。

 しかし男は、そんな質問を受け更に語気と態度を強くして問い詰める。


「それすらも覚えてないのか⁉ 誇り高きペイルウルフ家の当主にして、お前の偉大な父親である“ウィリウス・ペイルウルフ”すらも覚えていないというのか⁉」

「⁉ …………あぁ、何も覚えていない」


 いきなり怒鳴られ、ユーリウスは一瞬困惑したものの冷静に質問に答える。


「! ……ならばは⁉ お前には優れた魔法の才能があった! その使い方も覚えていないと⁉」

「魔法⁉ 覚えてねぇよ! ……というかそんなんあるのか⁉」

「……何ということだ……!」


 彼が再び肯定すると、ウィリウスと名乗る男は頭をおさえながら嘆く。

 正直ユーリウスにとって、記憶を失った息子への心配よりも、自分を覚えていないことや、魔法とやらが使えるかどうかを優先するこの父親は、もう既に印象最悪であった。

 ウィリウスの後ろの二人、ヘレナと執事に視線を送ると、ヘレナは申し訳なさそうに目を伏せており、執事は冷や汗を垂らしながら渋い顔をしていた。

 そうしていると、何かが癇に障ったのか、再びウィリウスが怒鳴り始める。


「そもそもなんだその口の利き方は!貴族としての立ち振る舞いすら忘れたのか⁉それに……!」

「…………おい……!」


 ここまで自分勝手に責め立てられては、さすがにユーリウスも怒りが湧いてくる。もしかしたら記憶を失ったのは“ユーリウス”の不注意が原因だったのかもしれないが、それでもここまで言われるのは納得がいかなかった。反論の一つや二つ返してやろうと思った矢先、先程まで静観していた執事が割って入る。


「旦那様! どうか落ち着いてください! 坊ちゃまはいきなり記憶を失ってしまい、何も分からない状態なのです。そんなに詰め寄っては、坊ちゃまもさらに混乱してしまいます。どうか……!」

「…………ふんっ!」


 執事に諫められ、ウィリウスは引き下がる。しかし態度は依然として変わらず、ユーリウスを睨み付けている。ユーリウスにとってはただ一方的にまくし立てられただけであり、溜飲も全くさがっていないのだが、これ以上はかえって面倒なことになると予想できたため、口から出そうになった言葉の数々を飲み込むことにした。

 すると今度はヘレナの方へ向き直り、

 

「……おい!そこのメイド!」

「⁉ ……は…はい!」

「ユーリウスに貴族としての知識や立ち振る舞い、それから魔法の使い方もだ!全て一から教育し直せ‼」

「 ……か…かしこまりました!」


 ヘレナにそう命令すると、ウィリウスは怒りを露わにした足取りで執事を連れて、部屋から出ていった。部屋にはユーリウスとヘレナが取り残される。

 

 しばしの沈黙。ユーリウスは俯いたまま、ただ黙り込んでいた。

 落ち込んでいるのか、とヘレナが心配して声を掛けようとしたその時、


「……なんだあのクソ野郎はぁぁぁぁぁっっ!!!!?」


 ユーリウスの怒りが爆発した。

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