相思相愛ペアリング

忘れたい。忘れられない。



必死で忘れようとしてるのに。



そんな時、目の前に不思議な宝飾店が現れるらしい。



「その人にぴったりのジュエリー」を用意してくれるんだって。




+++++




「さっき、あの上司がさあ」


「この前の休み、あそこのスポットに行ったんだけど」


休憩室はいつも騒がしい。


私が入社する数年前までは、食券を購入し、料理を注文出来るタイプの社員食堂だったらしい。


しかし、それも不況の為に無くなったようだ。


今ではただ、数脚の長机とパイプ椅子がところ狭しと部屋を埋め、各々が購入した食品や、自炊した弁当を持ち込んで食べるだけの場所になっている。


反対側の席で昼食を取っているグループは、何メートル先の相手に話をしているのかと言いたいくらいに声を張り上げている。


女性社員が九割を占めているので、当然といえば当然の現象だ。


「そういえばさ、この前友達に聞いたんだけど……」


女性社員の声のトーンが少しだけ落ちた。


そして何やら、今までに聞いた事のないような都市伝説の話を始めた。


私は後頭部を耳にしながら、職場近くの弁当専門店で購入したスペシャル豚カツ弁当を前に、箸をすすめる。


それと同時に、目の前でいちゃつく社内恋愛カップルも観察していた。


周りの視線などお構いなしに彼女の手作り弁当をアーンしてもらう彼氏。


周りが一切見えていないとはこういう事を言うのだろう。


豚カツとキャベツと白米を絶妙なバランスで交互に詰め込みながら、目の前のカップルを眺める。


私は飾りのパセリまでしっかりと食べ、弁当を綺麗に完食した。


箸を置き、両手を合わせた時には、目の前のカップルの弁当の中身はまだ半分ほども減っていなかった。



【今日、ディナー行かない?】


昼休憩を終え、再び座った自分のデスクのPCにメールが届いていた。


送り主は同じ職場の男性上司だ。


顔を上げ、上司のデスクの方を向いてみる。


上司は、私の視線を思いきりスルーした。


『決まりが悪い』という感覚は一応持っているようだ。


なにせ上司は妻子持ちなのだから。


【半年先まで予定が埋まっているので、遠慮しておきます】


すぐに返信メールを送った。


実際は、半年どころか週末の予定もないのだけれど。


それにしても、前から何度も断っているのに、しつこいな。


周りに聞こえない程度の小さい溜め息を吐いた後、気持ちを切り替えてキーボードを叩き始めた。



「ねえ。今日、合コンがあるんだけど一人都合が悪くなっちゃって。……あなた来れない?」


定時になったので、更衣室で帰りの仕度を始めていた時、先輩が聞いてきた。


普段は私には声すら掛からないので、よほど緊急なのだろう。


仕方がなく私を誘っているのが、気だるい話し方から伝わってくる。


「あー、今日はスライダーマン3が地上波初放送なんで無理です。録画しとくの忘れちゃって」


「……そう。あなた、結構いい歳よね?恋人とか結婚とか、興味ないの?」


そんなに憐れむようなトーンで言われても。


先輩は、結構いい歳の私より歳上ですけどね。


喉まで出掛けた言葉を飲み込む。


「あんまり、ですかね。一人で宅飲みしてる方が落ち着くと言うか。じゃあ、お疲れさまです!」


私は、ゆるく敬礼のポーズをしながらヘラヘラと笑って誤魔化し、香水の匂いが充満する密室からさっさと退散した。



「スライダーマンはアクション映画と見せかけておいて、ホラーや人情、恋愛要素もあるから面白いんだよねー。

大体、毎回NJが煮え切らないから……」


自宅のアパートの最寄り駅から、小さく独り言を呟きながら、チューハイ片手に家を目指す。


最寄り駅のコンビニで、夕食のお供に買った缶チューハイを、家に着くまでに開けてしまったのだ。


辺りはすっかり暗くなっている。


街灯も、職場近くに比べると少ない。


『恋愛とか興味ないの?』


ふと、先ほどの先輩の言葉を思い出す。


「別に、興味がない訳じゃないんだけどな……」


私だって、最近まで好きな人がいた。


だけどそれは結局、実ることはなく、見事に玉砕ぎょくさいしてしまっただけだ。


男性と『交際』したことはあるが、『恋愛』をしたことがない。


自分が好きになった人と付き合えたことがないからだ。


いつも受け身で、相手を好きになれない。


『付き合ってから好きになることもある』って、十代の時に読んだ雑誌にも書いてあったのに、自分には当てはまらなかったらしい。


どうしてみんな、そんなに器用に恋愛が出来るのだろう?


私にとっては好きな人と付き合えるなんて、奇跡のようなことなのに。


ふと虚しい気持ちになり、立ち止まる。


その時、自分とは別の足音がワンテンポ遅れてピタッと止まった。


すぐに振り返ったが誰もいない。


勘違い……?


チューハイをクイッと流し込みながら少し早足で歩いた。


勘違いではなかった。


やはり足音は二人分で、後ろの人物も私に合わせて早足になっている。


怖くて、また後ろを見る余裕なんてない。


走り出そうとした瞬間、足がもつれ、缶の中身をぶちまけながらその場に思い切り転んでしまった。


落とした缶の響く音が合図とでも言わんばかりに、後ろにいた人影が、クラウチングスタートを切った短距走選手のようにこちらに向かって走り出した。


逃げないと!


頭では分かっているのだが、酔いと恐怖でうまく起き上がれない。


わずか二十メートル程の距離はあっという間に縮まった。


人影が私の方に手を伸ばしてくる。


ひっ!


私は咄嗟に身をひねった。


「大丈夫ですか?」


落ち着いたトーンの声が聞こえた。


え?『大丈夫ですか?』って言った?


我に返った私は、恐る恐る顔を上げ、状況を理解しようとした。


ああ、なんだ。


転んだから心配してくれただけだったのか。


帰る方向も偶然、同じだっただけで。


「大丈夫です。ちょっと転んだだけで……」


私は人影に向かってそう応えた。


「私はこっちですよ」


え?


声の方に顔を向けると、道路の反対側の電柱に、腕を組みながらもたれ掛かっている長身の男性らしき人物が目に入った。


私はやっと気付いた。


その声が、こちらに向かって手を伸ばしている人影から発せれているものではいないと。


人影は、長身の男性を確認した瞬間、きびすを返し、ものすごいスピードで走り去っていった。



「夜の一人歩きは危険ですよ」


長身の男性は私の方にゆっくりと近付いてきて手を差し出し、地べたにへたり込んでいた私を起こしてくれた。


「あ、ありがとうございます……」


長くて細い、白い指。体温が感じられない。


月の薄灯りで、長身の男性の顔が少しだけ確認できた。


中性的な顔立ち。まるで彫刻のようだ。


「あまり見つめられると照れてしまいます」


長身の男性の言葉に、はっと我に返る。


「おや、お怪我をされているようですね。

当店で手当てを致しましょう」


派手に転んだせいで、両膝からジワリと血が滲んでいる。


「わ、本当だ。でも、これくらい大丈夫ですよ」


それに『当店』って、何?


「しかし痕が残ってしまってはいけません。どうぞ、こちらへ」


長身の男性は、そこにあった建物のドアを開けた。


真っ暗な道路に、建物からの光が漏れる。


こんな所に建物なんかあったっけ?


いつも通っている道のはずなのに、見覚えが全くない。


扉の中からの尋常ではない光が眩しすぎて、思わず目を瞑る。


次の瞬間、私はキラキラと輝く部屋の中の、アンティーク調の椅子に腰掛けていた。


「……チューハイ一杯でこんな幻覚を見るなんて……」


「幻覚ではありませんよ」


振り向くと、長身の男性が救急箱を持って立っていた。


「だって、さっきまで……」


混乱しながら疑問を投げ掛けようとするが、頭がうまく回らない。


酔いのせいだけではない。


この空間特有の、とても言葉では表現できない空気がそうさせているのだ。


「もう少し、膝を前に出して頂けますか?」


長身の男性が、ピンセットの先に消毒液を染み込ませた脱脂綿を挟み、私の前に膝まずいた。


「……あっ。自分でしますから、大丈夫です!」


私は慌てて、長身の男性が持っているピンセットを奪った。


「そうですか。それではお飲み物をお持ちいたしましょう」


長身の男性は立ち上がり、奥の扉へ向かった。


「お、おかまいなく……」


いろいろしてもらって、なんだか悪いな。


ピンセットを握りしめたまま辺りを見回す。


数々の宝飾品がガラスケースの中でキラキラと輝いている。


へえ。ここは宝飾店なのか。


いつの間にこんな店が出来たのだろう。


店の男性が戻ってきた。


紅茶の香りがする。


あれ、カップが二つだ。


自分の分も入れてきたのかな。


「お待たせ致しました」 


店の男性は、その内の一つを私の前のテーブルに置いた。


「どうも……」


「さあ、あなたもどうぞ」


店の男性は、私の横を通り過ぎながらそう言った。


『あなたも』って、さっき周りを見渡した時は誰も……。


体を捻り後ろを向いた瞬間、至近距離に店の男性とは別の男性の顔があった。


ひっ!


その男性と私はお互いにのけ反り、短い悲鳴を発した。


「ビックリした……。さっきまで人なんていなかったはずなのに」


こちらが言いたかったことを先に言われてしまった。


「私はついさっきから座ってたんですけど……」


「僕も十分くらい前から」


「お二人共、紅茶が冷めてしまいますよ」


少し不機嫌な店の男性の口調に、私達は取り合えず、紅茶を静かに飲み始めた。


あ。この紅茶、とっても美味しい。

空になったカップをソーサーに置き、男性の顔を見る。


男性も、私と全く同じことを言いたげだ。


『一体ここはどこなんだ』と。


「ここは願いを叶える事が出来る宝飾店ですよ」


言葉に出していないのに、店の男性は私達の疑問にそう答えた。


願いを叶える……?


「今回は、『最近、失恋をした』お二人にぴったりの商品をご紹介させて頂こうと思いまして」


「どうしてそれを……」


男性が驚いた顔をしている。


私だって、誰にも話していないのに。


というかこの人も、最近、失恋したんだ。


しかも『商品』って?


「何なんでしょう、これ。買うまで帰れない系のやつですかね?」


私が小声で男性に言った。


「……そうかもしれないですね」


男性が難しい顔をしながらそう答えた。


「当店は決してそのような怪しい店ではありませんよ」


店の男性は、軽く握った右手を口元に当て、コホンと咳払いをした。


目をじ、軽く眉間に止せたシワは『心外だ』とでも言っているかのようにも見える。


「さて。こちらが『相思相愛になれる』ペアのピンキーリングでございます」


私達の目の前に二つのリングが差し出された。


怪しいと思っているはずなのに、その輝きに思わず引き込まれてしまう。


「このリングをそれぞれの指にはめられた瞬間から、お二人は相思相愛になります。

ただし、その効果はお互いが指輪をはめている間だけです」


だけどやはり、にわかには信じられない。


「は……、馬鹿馬鹿しい」


立ち上がり、入口の扉に向かう男性。


私もその後を追った。


「……くっ、開かない……」


男性が扉を力一杯開けようとするがびくともしないようだ。


「私達、閉じ込められちゃったんですか?」


「僕、警察に連絡しますね」


男性はジーンズのポケットからスマホを取り出し、電話を掛けようとする。


「……何だよ、これ。故障……?」


男性が怪訝けげんそうな顔をした。


横からスマホを覗き込むと、液晶の通話画面らしきものがぐにゃりと歪んでいた。


「私のスマホで掛けてみます」


鞄からスマホを取り出し、通話ボタンを押そうとした瞬間、手の平にぬるりとした感覚を覚えた。


スマホの穴という穴から、血らしきものが溢れ出してしていたのだ。


「きゃあっ!」


思わずスマホを床に放り捨てる。


「大丈夫!?」


男性が私の手を取り、自分のシャツの袖で、着いた血を拭ってくれた。


「あれ、怪我したんじゃ……?」


「…………これ、私の血じゃないです……」


私は青ざめながら、震える声で答えた。


「店の中では、お静かにお願い致します」


私達が振り向くと、店の男性が冷たい笑みを浮かべながら立っていた。


「当店はお客様が幸せになられる為の商品を、無料でご提供させて頂いているだけでございます。そして、あなた方二人が出会ったのも決して偶然ではございません。……当店の商品は、きっとあなた達のお役に立つ事でしょう」


店の男性がそう言った次の瞬間、私達は店に入る前の道路の上にいた。


しゃがみ込んでいた私は、店があったはずの場所を凝視したが、そこは荒れ果てた空き地だった。


そうだ、ここは前から空き地だったはずだ。


だとしたら、あの店はどこから現れて、どこに消えたの?


驚いて開いたままの口を右手で押さえた瞬間、小指にあのリングがはまっている事に気が付いた。


さっき、あの店の男性が見せてきたリングだ。


急いで外そうと左手で思い切り引っ張るが、皮膚に直接張り付いているかのように、微塵みじんも動かない。


嫌だ、気味が悪い。


「あの、怪我とかしてませんか?」


さっきまで店に一緒にいた男性が私の前でしゃがみ、両手で起こそうとしてくれている。


「大丈夫です。どこも怪我してません……」


「そう。良かった」


顔、近いな……。


この人の右手の小指にも、やはりリングがはまってる。


助けてもらいながらゆっくりと立ち上がるが、まともに目が合わせられない。


そして脈打つ心臓。


この感覚、心当たりがある。


誰かを好きなった時のあの感覚。


私は、ほんのさっき出会ったばかりのこの男性の事が好きになっていた。


『相思相愛になるペアリング』


あの店の男性はそう言っていた。


つまり今、私の目の前にいる男性も、私の事を好きになっているという事なのだろうか。


「あ、あの……」


「LINE交換しませんか?これ僕のQRコード。吉野よしのと言います。……ていうか、故障じゃなかったんだな……」


男性が自分の名字を告げ、スマホ画面を見せてきた。


「……はい」


どうしよう、嬉しい。


鞄からスマホを取り出そうとした時、さっきあの店の床に投げたした見まみれの自分のスマホの事を思い出した。


「あれ、スマホ、鞄に入ってる……」


男性が鞄を覗き込む。


「本当だ」


確かに床に放り投げたはずの私のスマホは、特に汚れたりもせず、血のようなものも全く着いていなかった。


吉野さんのシャツの袖を見てみるが、スマホを拭いてくれた時に着いたはずの血も消えていた。


不思議に思いつつも、私は吉野さんのQRコードを読み取った。


「あ、私の名前は……」


「下の名前だけでいいよ。naoさん?で合ってる?」


フルネームを言いかけた私を吉野さんがさえぎり、LINEに表示された私のハンドルネームを読み上げた。


「……?はい、奈央なおです」


そうか!もうすぐ『吉野奈央』になるから名字は聞かないって事かな?


私はさっきの恐怖体験も忘れ、完全に舞い上がっていた。


「ありがとう。あの店の事、なにか分かったら連絡します」


え?次に来る連絡はデートの約束じゃないの?


「家はこの近くですか?また、あの店の男性が現れると危ないから送っていきます」


なるほど、送り狼!



帰り道、吉野さんが長く続いた沈黙を破り、口を開いた。


「さっきの、何だったんでしょうね」


「キュ、キューピッド……?」


再び沈黙が流れる。


この人、何を考えているのか全く掴めない。


当たり前だ。さっき出会ったばかりなのだから。


でも、好きだ。


この人吉野さんの事、何にも知らないのに。


「じゃあ、僕はここで」


吉野さんは、私のアバートの前に着いた途端に帰ろうとした。


「あ、上がっていかないんですか?」


「何でですか?」


吉野さんは不思議そうに言った。


「何でって……」


『まだ一緒にいたいから』


ただそれだけの理由なのだけれど。


「確かに僕は、君の事が好きになっています」


その言葉に、私は驚いて顔を上げた。


「でもそれは、このリングの力で、でしょ?」


吉野さんは、広げた右手を自分の顔の横に掲げて、私に見せた。


「たぶん……、そうなんだと、思います。

まだ半信半疑だけど……」


「だったら尚更です。リングが外れた時のことを考えて、責任の取れないことはしたくないんです。さっき下の名前だけ聞いたのも、僕の事を好きじゃなくなった時に、フルネームを知られてたら嫌かなと思って」


見掛けによらず、硬派!


でも、『リングが外れた時のこと』か。


私、何にも考えてなかったな。


「じゃあまた、何か分かったら連絡します。お休みなさい」


そう言って吉野さんは背を向け、暗い夜道を帰っていった。



「生殺し!」


部屋の鍵を開けた後にそう叫び、小走りのまま、ベッドにダイブする。


シャツで血を拭いてくれるとか優しい人だな。


部屋に上がらないなんて、硬派で男らしい。


吉野さんの顔と行動を思い出し、一人ゴロゴロと転がり悶絶もんぜつする。


そうだ、人を好きになるってこんな感じだった。


しかも両思いだなんて信じられない。


仰向けになり、手の甲を額に持ってきた瞬間、小指のリングがコツンと当たった。


だけど私があの人を好きになっているのは、私の意思じゃなくて、このリングの力なんだ……。


あの店は、一体何なんだったのだろう。


そして何故、相思相愛になる相手が吉野さんだったのだろう。


考えている内に眠気が襲ってきた。



スライダーマンを見逃した事を思い出したのは次の日になってからだった。


昼食は、弁当を持参した。


早起きをして料理をするなんて、何年振りだろう。


メイクにも、いつもより少しだけ時間を掛けた。


昨日の朝までは、出社ギリギリまで寝ていたかったはずなのに。


最近肌も荒れ気味だったし、この先、吉野さんに手料理を振る舞う機会もあるかもしれないし、一石二鳥だと思えばいい。


そう考えながらサラダ中心の手作り弁当をちまちまと食べ進める。


目の前には以前、豚カツ弁当をかき込んでいる時に見た、バカップルの女子の方が、同僚らしき女子と昼食を取っていた。


今日は彼氏とラブラブランチではないようだ。


「本当、彼の気持ちが分からないよ……」


バカップルの女子の方は何やら悩んでいる様子だ。


「本当、男心って難しいよねー」


私は片肘を付きながら、それを軸に上半身をスライドさせながら身を乗り出し、話に加わろうとした。


女子二人はポカンとしている。


「……さ、行こっか」


「そうだね……」


そう言って二人は食べ終えたサンドイッチの袋を一つにまとめ、休憩室を出ていく準備を始めた。


おや?私はガールズトークに入れてくれないの?


「あの人、いつもカロリー高めのお弁当をがっついてる人だよね。見掛けないリングしてたし、彼氏とか出来たのかな」


あなた達、ヒソヒソ言っているつもりでしょうが、丸聞こえです。


ええ、両思いの相手が出来ましたとも。


私は席で一人、腕を組みながらふんぞり返る。


「今、あの二人が言ってた事、本当?

彼氏とか何とか……って」


以前、PCメールで口説いてきた上司が天井を塞ぎ、私の視界にフレームインしてきた。


「はい、実は最近……」


私は頭の位置を元に戻しながら控えめに答える。


「……ふーん、そうなんだ。

せいぜい、遊ばれて捨てられないようにね」


セクハラ発言!


「ご心配には及びません」


私は余裕の笑顔で返しながら、食べ終わった弁当箱を袋にしまい、休憩室を後にした。



帰り道、あの店があったはずの空き地を見て、吉野さんの事を思い出す。


下の名前も聞いていない。


歳も、住んでいる場所も知らない。


だけど会いたい。


その時、LINEが届いた。


【今、電話大丈夫ですか?】


すぐに『大丈夫です』と返信を打ち、着信音が鳴ってすぐ、光の早さで親指をスライドさせて電話に出た。


「もしもし、奈央さん?」


「はい、私です」


「あれから特に変わったことはないですか?」


「今のところは、ないです」


心配してくれている。


そう思うだけで嬉しくなる。


「実は僕、昨日帰ってから色々調べていて。ネットで『不思議な宝飾店』っていうのを見つけたんです。『悩みを持つ人間の前に現れて、ジュエリーを渡して願いを叶える』っていう都市伝説みたいなんだけど。僕達が昨日見たあの店が、この不思議な宝飾店の事なんじゃないのかな」


『悩みを持つ』


『ジュエリーを渡して』


この話、どこかで聞いた事がある。


『この前、友達に聞いたんだけど……』


そうだ、休憩室であの人達が話してた内容!


「それ、職場の人達が話してるのを聞いた事があります!その時は単なる噂だと思ってたたけど……。たぶん、あのお店のことだと思います!」


「そうなんだ。でも僕もまだ、あの店が悩みがある人間の前に現れるって事しか分かってなくて」


「……そうなんですね。でも」


そこまで声に出した後、私は口ごもった。


「『でも』?どうしたの?」


吉野さんは不思議そうな声を出した。


「私の悩みは、失恋からなかなか立ち直れない事でした。それは吉野さんも、なんですよね……?」


しばらくの間、沈黙が流れた。


もしかしたら通話が切れてしまったのかもしれないと、画面を確認しようとした瞬間、吉野さんの声が聞こえてきた。


「僕は今、心の底から幸せとは言えないし、思えないんです。こんな道具リングを使って人を好きになってしまっている事が、何だか虚しいよ」


ああ、またやってしまった。


自分の気持ちを優先して、相手の気持ちを後回しに。


「ごめんなさい!私、勝手な事ばかり言って……」


そう言いかけた瞬間、誰かに背後からハンカチのような物を口に押し当てられ、私は気を失った。



目覚めた時にまず目に入ってきたのは、あのキラキラと輝く光景。


すぐにあの宝飾店だと理解した。


「さっきのは、あなたがやったんですか?」


私は、やはりそこに立っていた店の男性を睨みつけた。


「夜の一人歩きは危ないと、以前に申し上げたでしょう?……さて。相思相愛になられたものの、どうもお相手が一筋縄ではいかないタイプのようですね」


「……どうして私達をこのお店に連れてきたんですか?私、誰かと両思いになれたら、毎日が幸せでたまらないと思っていた。でも結局、自分とは別の人間だから、考え方も価値観も違って当然なんですよね。……こんなの、片想いの時と同じじゃないですか」


店の男性は目を伏せ、ゆっくりと話し始める。


「出会いには必ず『意味』があります。偶然など、この世に存在しないのですよ」


私は静かに、店の男性の男性の言葉を聞いていた。


「しかし、せっかく相思相愛のお相手が思い通りにならないとは、当店の商品にも問題があります。お詫びとしてアフターサービスの用意をしてありますのでご安心下さい」


店の男性の両手の上には、いつの間にか細長い箱が乗っていた。


店の男性が、箱の中に入っているケースを取り出し、私に向けて開けてみせた。


分厚いチェーンのネックレスだろうか。


「こちらはネックレスではなく、チョーカー。全てゴールドで出来ています」


考えていることが筒抜けなのは、もう気にならなくなっていた。


「モノにしたいお相手の首に着けると、二度と外れなくなり、お互い一生離れられなくなります。さあ、是非これをあの男性、吉野様に……」


店の男性がケースから取り出し、こちらに渡そうとした瞬間、私は勢いよくその手を払った。


チョーカーが宙を舞う。


「……おやおや。商品ジュエリーはとてもデリケートなんですよ。乱雑に扱われては困りますね」


店の男性は床に膝まずき、チョーカーを拾い上げて静かにケースに戻した。


「今のことは謝ります。でも、そのチョーカーはいりません!そこまでして、相手の気持ちを思い通りになんてしたくない!」


店の男性は立ち上がり、私に微笑みかけた。 


「……何を笑ってるんですか」


「いえ。そこまでお元気なら、もう大丈夫でしょう」


「大丈夫?何がですか?」


「あなたを元の世界にお戻し致します。

後はあなた達の問題ですから。……ご多幸をお祈りしています」


店の男性がそう言った瞬間、私は意識を失うようにその場に倒れ込んだ。



「……いじ……です……か」


誰かの声が聞こえる。


「大丈夫ですか!?」


その声がやっとはっきりと確認できた時、目の前に吉野さんの顔が見えた。


「電話の最中に様子がおかしくなったから、何かあったのかと……。だとしたら、この場所なんじゃないかって思って」


「また、あのお店が現れたんです」


私の言葉に吉野さんが辺りを見回すが、やはりそこには空き地しかなかった。


私は、自分と吉野さんの右手を確認する。


リングはまだ嵌まったままだ。


「どこも怪我してない?

救急車、呼んだ方がいいかな?」


私は首を横に振る。


「家まで送るよ。立てる?」


そこから一言も話さず私のアパートの前に着いた時、思い切って口を開いた。


「あ、あの!」


「寄っていかないですよ?」


吉野さんは真顔で即答した。


「そうじゃなくて!次の休み、私とデートしてくれませんか?」


「デート?」


吉野さんはキョトンとしている。


「あの店の男性が言ってたんです。『出会いに偶然はない』って。どうして私達があの店で出会ったのか、それが偶然じゃないのなら、その意味を知りたいんです!それに私……、好きな人とデートした事がないんです。人生で一回くらい、好きな人とデートをしてみたい!」


吉野さんは目を真ん丸にして私を見ている。


やっぱり駄目か。


諦めかけた瞬間、吉野さんが口を開いた。


「……テーマパーク」


「え?」


「テーマパークとか、好きですか?」


「……絶叫マシーンもお化け屋敷も苦手です。でも、好きな人となら、一緒に挑戦してみたいです!」


吉野さんは笑いを堪えきれずに吹き出した。


「え?どうしたんですか?」


「いや、自分に正直な人だなと思って」


「……ワガママと、紙一重ですよ」


自分の気持ちを優先して、好きな人に思いをぶつけて玉砕ぎょくさいした。


相手の困る顔を見たかった訳じゃなかったのに。


今だって、吉野さんに自分のワガママを聞いてもらおうとしているのだから。


「いいんじゃないですか、君らしくて」


吉野さんにそう言われ、顔が赤くなる。


「じゃあ、待ち合わせの時間とか細かいことはまた連絡するから。お休みなさい」


「送ってもらってありがとうございました……」

 

吉野さんは私の言葉に、手を振りながら帰っていった。


……デート。


好きな人とデートが出来る。


好きな人と一緒の時間を過ごせる。


服を買わなきゃ。


カラーだって数ヵ月していない。


……髪、結構痛んでたんだな。


その夜は興奮して、なかなか寝付く事が出来なかった。



次の日の職場での昼休み、休憩室でまたもやバカップルの女子の前の席になった。


「彼は私の事を考えてくれてたのに……。本当、私って馬鹿だよね」


まだ彼氏と仲直りしていないようだ。


「まだ遅くはないよ」


私は春雨スープを食べていた手を休め、バカップルの女子に語りかけた。


「自分の愚かさに気付けた時に初めて、新しい自分に生まれ変われるんだよ……」


「またこの人だよ」


バカップルの女子の隣に座っている同僚が、呆れた表情をしている。


「……そうですよね!」


バカップルの女子が立ち上がり、叫ぶ。 


「ちょっと、あんたどうしたの!?」


バカップルの女子の同僚が驚いた顔をしている。


「ほら、行きな!」


私は顎をクイッと動かし、社員食堂の入り口の方を指した。


バカップルの女子は力強く頷き、弁当袋を小脇に抱えながら走り去って行った。


「何が起こったの……?」


バカップルの女子の同僚は静かに混乱している。


「驚くくことじゃないよ。恋する女のシンパシーが伝わっただけだから」


休憩室の視線が全集中する中、私は春雨スープを再びすすり始めた。


そうだ。


ネイルにも挑戦してみようかな。



「あなた、彼氏が出来たの?」


定時になり、更衣室で着替えをしていると、以前に私を合コンに誘ってきた先輩がそう聞いてきた。


「何故それを!?」


「あなた仕事中にPCで『彼もイチコロ!間違いないデートコース~テーマパーク編~』を見てたでしょ」


バレていたのか。


「すいません……」


「まあいいわ。実は私も、付き合ってる人と近々一緒になる予定なの」


「先輩、彼氏がいたんですか?一緒になるって……、もしや結婚!?」


「もう七年になるかしら……。結婚もずっと考えてはいたんだけど、相手がなかなか煮え切らなかっただけで。受け継ぎとかいろいろ済んだら退職するつもりよ」


「ななねん!」


彼氏がいるのに頻繁に合コンに行っていたのも私には信じられない話だけれど、先輩に彼氏がいたなんて、全然知らなかったな。



デート当日、待ち合わせの四十分前に到着した。


吉野さんが十五分後に待ち合わせ場所に現れたが、私の方が早く来ている事に驚いていた。


テーマパークに入場し、いくつかのアトラクションに乗った。


アトラクションの待ち時間は、好きなアーティストや映画、漫画の話をした。


だけどお互い、フルネームを聞こうとはしなかった。


「ちょっと休憩しようか」


私達は沢山のキャラクターがいるカフェに入った。


「スライダーマンのアトラクション、すごかったね。大丈夫だった?」


「全然、余裕です!」


私は興奮気味に続けた。


「本当に、すごく楽しいです!好きな人とデートって、こんなに楽しいものなんですね!」


吉野さんは少し微笑み、僅かに赤くなったように見えた。


注文したスイーツが二つ運ばれてくる。


「うわー、可愛い!」


十代のようにはしゃぐ私を見て、吉野さんは笑顔になっている。


「あ、そういえば、職場で昼休みによく一緒になるカップルがいるんですけど、毎回彼女がアーンして彼氏にお弁当を食べさせてるんですよ。ほんと毎回毎回、私は今までアーンした事ないっていうのに。まったく!見てて恥ずかしくなりますよ、アーンなんて」


「それは、僕にアーンしたいっていう事ですか?」


「……私は食べさせてもらいたい側です。

ドMなんで」


「何それ。アーンにSとかMとかあるの?」


そう笑いながら、吉野さんは自分の分のスイーツをスプーンですくい、私の目の前に差し出した。


大きく口を開け、近付いてくるスイーツを迎え入れる準備をする。


「フゴォッ!」


吉野さんの持っているスプーンに乗っていたスイーツの生クリームが、鼻の穴に思い切り入った。


「ドMとは言いましたが、身体的なのは求めてません……!」


紙ナプキンで鼻をかみながら、吉野さんに訴えた。


「吉野さん?」


吉野さんはスプーンを持って停止したまま、店の外を見ている。


私は窓の外を向き、吉野さんの視線の先を探した。


そこには一組のカップルが、手を繋ぎながら幸せそうに歩いていた。


「あ……」


思わず声が出てしまっていた。


「あのカップル、……君も知り合い?」


吉野さんが私に聞いてくる。


私は吉野さんの方に向き直り、頷いた。


「……片方の人だけですけど」


「僕も片方の人だけ、知ってる」


この時、やっと私達が出会った意味が分かった気がした。



日が暮れ、パレードが始まる。


私達は人混みから少し離れた場所にいた。

 

「さっきのカップル……、結婚するんですよね」


「みたいだね」


「幸せそうでしたね」


「そうだね」


「やっぱり、二人揃っているところを見ちゃうとショックかも……」


私が本音を口にする。


「そりゃあね。僕も同じだよ」


「……でも」


同時に言葉を発してしまい、お互いが黙る。


「お先にどうぞ」


吉野さんに譲られ、私は話し始める。


「だけど一人で見ていたら、もっとショックを受けてたかもしれない。……たぶん、まだあの人を好きな気持ちは残ってるんだと思います。でも、あなたみたいな人に出会って分かりました。『この先』誰かを好きになった時、自分の気持ちだけを優先しないで、相手の幸せを願える人間に、私は、なりたい!」


吉野さんは真顔で聞いていたが、最後にプッと吹き出した。


「なんで最後、宮沢賢治調なの」


「読んだことないんですけどね……」


吉野さんが優しい目をしながら話し始める。


「相手の幸せを願いたいのはもちろんだけど、僕は今までよりも、もう少し自分の気持ちをぶつけられるようになってもいいかなって。君を見ててそう思った。『この先』、また誰かを好きになった時は、構え過ぎずに少しだけ素直になってみるよ」


「それも有りだと思います!」


吉野さんが右手を差し出した。


私も右手を差し出し、私達は握手をした。


お互いの右手にはまっていた二つのリングが地面に落ちて転がる。


握手した状態でリングが外れるはずがないのに。


二つのリングは地面を転がり、別の男性の革靴にぶつかって止まった。


「あっ、すいません」


革靴を履いた男性が二つのリングを拾い上げた。


「どうぞ」


革靴を履いた男性は二つのリングを私の手の平に乗せてくれた。


「ありがとうございます」


そう言って見上げた革靴を履いた男性の顔に、私は見覚えがあった。


さっきのカフェの中から吉野さんと見た、カップルの男性の方だった。


革靴を履いた男性の後ろには、やはりさっきの女性が立っている。


「あれ?久しぶり」


革靴を履いた男性が言葉を発した。


「……ああ、久しぶりだな」


吉野さんが答えた。


革靴を履いた男性は吉野さんに近付き、話し始めた。


「お前、最近付き合い悪かったのは彼女が出来たからだったのか?」


革靴を履いた男性は、茶化すように吉野さんを肘で小突く。


「ああ、そうだよ。彼女。デートを優先してたらなかなか都合が付かなくて」


吉野さんは笑顔で答えていたが、どこか寂しげに見えた。


「……久しぶりだね」


女性の方が私に声を掛けてきた。


「お久し振りです!彼氏、優しそうな人ですね!」


「あれからずっと気になってたんだ。連絡は着かないし……」


「しばらく傷心だったので……」


「ごめん……」


女性は申し訳なさそうに俯いた。


「嘘です!私は全然大丈夫ですから!これから幸せになるっていうのに、暗い顔してたら駄目ですよ!」


私は大袈裟に話してみせた。


女性は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。


「ありがとう。あの人、彼氏なの?」


「そうです!彼氏!両思い!」


「そっか、良かった……。お互い、幸せになろうね」


「……はい」


私は、今にも溢れ出しそうな涙を必死で堪えながら、笑顔を作った。


「そろそろ行こうか」


革靴の男性が女性の方に近付き、「じゃあ」と言いながら、背を向けて歩き始めた。


後ろから、吉野さんが叫ぶ。


「お前、幸せになれよ!!」


「何、クサいこと言ってるんだよ。

なるよ、言われなくても」


革靴を履いた男性は振り向きながらそう答えた。


私と吉野さんは二人、手を繋いで帰っていく二人の姿が見えなくなるまで、無言で立ち尽くしていた。


「こういう事だったんだね」


やっと二人の姿が見えなくなった時、吉野さんが口を開いた。



「私達の共通点は『同じカップルの片方が好き』って事だったんですね」


夜、自宅に送ってもらっている道の途中で私はそう言った。


「君も『異性を好きになれない』人だったなんて。でも男性と付き合ったことがあるって、テーマパークで言ってたよね?」


「あー……、それはですね。学生時代、恋愛に全く興味を示さない私を心配した友人が、他校の男子を紹介してくれたりして、少しだけ付き合った事があるだけですよ。もしかしたら男性を好きになれるんじゃないかって。でも、やっぱり無理で。相手にも失礼なことをしちゃったなって」


吉野さんは頷きながら聞いてくれていた。


「というか、ヤキモチ焼いてくれるかなと思って話したんですよ。あ、今は焼かないで下さいね」


「それはないよ。リングが外れても僕の事を好きなままだったらどうしようかと思ってた」


「リングが外れた瞬間に恋心はさっぱり消えました。今回の事で女に目覚めて、家分かってるからってやめてくださいよ、ストーカーとか」


吉野さんは目を点にした後、お腹を抱えて爆笑した。



私のアパートに着いた。


「あのさ」


吉野さんが口を開いた。


「上がらせませんよ?」


眉間にシワを寄せた私をよそに、吉野さんは続ける。


「そうじゃなくて、色々ありがとう」


「……こちらこそ。ありがとうございました」


きっと、もう会うことはないだろう。


吉野さんはそれ以上何も言わず、最後に笑顔を見せて帰っていった。


アパートの自室に入り、ベッドに鞄を放り投げた時にある事に気付いた。


「リングがない!?」


リングを革靴の男性に拾ってもらった後、鞄に仕舞ったはずなのに、どこを探しても見つからなかった。


「まあいいか。今日は久々に飲もう」


冷蔵庫から取り出したチューハイの缶の口を開け、部屋で一人、空中に向かって乾杯のポーズを取る。


フルネームも知らない、あの人の幸せを願いながら。



次の日、私をメールで口説いていた上司と、私を合コンに誘ってきた先輩が死体で発見された。


二人は七年もの間、不倫関係にあったらしい。


第一発見者の証言によると、一本のゴールドのチョーカーで、上司と先輩の首を締め付けるように巻かれた状態で生き絶えていたらしい。


その話を聞いた時、私はゾッとした。


きっと先輩の前にも、あのお店が現れたことがあるんだ。


先輩は『一緒になる』という意味が結婚だと思っていたんだろうけど、まさかこんな結果になるなんて。


短いチョーカーを自分と相手の首に巻く事は不可能ではないかとの見解があり、心中と事件の二つの可能性を視野に入れ、捜査が進められている。


他の社員を含め、私も事情を聞かれたが、何も疑われることはなかった。


驚いた事にあの時、液体を染み込ませたハンカチで私の気を失わせたのは上司だったらしい。


何人もの部下にセクハラやストーカーをしていた事もおおやけになった。


店の男性に初めて会ったあの夜も、私の後をつけている上司の姿が防犯カメラに映っていたと、刑事から聞いた。


二度目にあの店が現れた日、ハンカチで気を失った後に防犯カメラから私の姿は消え、辺りを捜し回る上司の姿しか移っていなかったらしい。


私は店の男性に二回も助けられていたんだ。


防犯カメラには一切、店の男性が映っている映像はなかったとか。


刑事は、私が神隠しにでもあっていたのではないかと冗談混じりに言った。


「うーん……、神ではないかも」


私の言葉に、刑事は目をパチクリさせていた。


でも、悪魔でもないかな?


私が応接室から出てきた時、次に刑事に話を聞かれるであろう、あの社員食堂のバカップルが手を繋いでイチャついていた。


お、仲直りしたんだ。


「もし浮気したら、あなたを殺して私も死ぬからね」


笑顔でそう言うバカップルの女子の言葉に、バカップルの男子は引きつらせながら「はい……」と答えていた。


おーこわ!


私は口元を両手で押さえながらその場を後にした。



顧客への優待ハガキをまとめて郵便局から送り、会社へと戻る。


「奈央さん、何か落としましたよ?」


受け付け嬢が、私が制服のポケットから落とした防犯ブザーを拾って渡してくれた。


「ありがとう。最近、買ったんだ。でも、落としてたら意味ないからウォレットチェーン付けてベルト穴に繋いどくかな」


「……制服にロック要素を取り入れないでください」


「あ、私のアパートから最寄り駅までが結構物騒でね。持った方がいいよ?」


「あー……。私、彼氏に送り迎えしてもらってるから大丈夫です」


余計なお世話と言わんばかりに余裕の表情でそう言い放ちながら持ち場に戻り、こちらをチラチラと見ながらもう一人の受け付け嬢とヒソヒソ話を始めた。


「あの人、自意識過剰なんじゃないの?

自分が被害に遭うとでも思ってるのかな?」


すでに背中を向けて歩き出していますが、あなた達、丸聞こえです。


上司の件は警察には内密にしてもらっているので、受け付け嬢達は私が襲われたことは知らない。


本当、気を付けなよ。


彼氏が迎えに来れない時はどうするの?


夜の一人歩きは危険なんだよ。


痴漢や露出魔、それと、不思議な宝飾店が現れちゃうかもしれないんだから。



奈央の姿を会社の廊下から眺めていた店の男性は一人、呟くように話し始めた。


「今回の本来のお客様は、亡くなった上司の奥さまでした。不倫にはなんとか目を瞑っていたものの、犯罪にまで手を染めてしまったご主人を許すことが出来なかったようです。……気付いていなかったでしょうが、あなたが二度目に私の店を訪れた時、あなたの先輩も私の店にいたのですよ。そして、あのチョーカーを是非とも自分に譲ってくれと懇願されたのです」


店の男性は、なおも続ける。


「万人に祝福される恋愛というものは滅多にないのかもしれません。しかし恋愛とは本来、全くの他人同士が惹かれ、愛し合い、時に傷付け合ったりしながら成長していく事が出来る素晴らしいものなのです。もっとも、あなたの上司や先輩のように、見返りや快楽を求めるだけの行為を恋愛と呼ぶかどうかは私にも分かりかねますが。相手の幸せを願うが故に、時には自ら身を引く。それを成し遂げた『あなた方』には、きっといつか報われる出逢いが訪れることでしょう」


店の男性の手の平には二つのリングが光っていた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

復讐代行宝飾店 沙里央 @8henge

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ