第2話 久しぶりの我が家だな
エルムウッドから汽車に乗ったら、ノヴァ・アウレアまですぐだった。俺がタウルス高原まで来たときはここの道のりが長くて長くて退屈だったのを思い出す。でも、汽車は真っ直ぐに俺たちを休まずノヴァ・アウレアまで運んでくれた。やあ、文明っていうのはありがたいものだ。
ノヴァ・アウレアに着いたはいいけれど、俺はほとんど引きこもりのようなものだったからあまりノヴァ・アウレアの町並みに馴染みがなかった。ヴァインバードの屋敷はどこだったかと思い出そうとしたが、無理だった。
子供たちのほうはと言えば、ずっと上の方を見上げて歩いている。高い建物が珍しいんだろう。高原には風が吹くから、背の低い建物しかないからな。
「本当に、エリク坊ちゃんは昔からなんでも人任せで……」
「もう坊ちゃんはやめてくれよ!」
結局、俺はほとんどミネルバの案内で自分の家まで帰ってきた。俺たちを出迎えたのは、俺の知らない女中だった。
「エリク様、ようこそお帰りになられました」
女中に礼をされるとなんだか家に帰ってきたぞ、という感じがした。俺がしゃんとしたのを見て、ケイトとカイトが唖然とする。
「お父様、もしかして偉い人?」
た、タウルス高原でも俺は偉い人なんだぞ! 一応な! こら、俺の知らない女中は笑うな! 一応俺はこの家の息子なんだぞ!
「そうですよ、エリク坊ちゃんはとても偉いお方なんですよ」
ミネルバが冷静に二人を諭す。間違ってないのかもしれないけど、その説明も俺にはくすぐったいぞ。そしてまだミネルバは俺を坊ちゃん扱いする気か?
「そうなんだ、お父様すごい!」
俺は一気に疲れてしまった。マリィも俺と同じ顔をしている。とにかく、高原育ちの自由な子供たちが何かやらかさないかとヒヤヒヤする。
そして、俺は屋敷から一目散に母親が出てこなかったことが気がかりで仕方なかった。実は具合が悪いというのは大したものでなくて、ノヴァ・アウレアに着いたらいつものように「エリク! おかえりなさい!」って屋敷から飛び出してくるんじゃないかって、少しだけ期待をしていた。
でも、その期待は裏切られた。俺はいよいよ覚悟を決めなければいけないかもしれない。
***
相変わらず愛想の悪い俺の父さん、それとアレックス兄さんの家族は元気そうだった。あの牛を気に入って高原から帰らないと駄々をこねたハンナも随分と大きくなって、素敵なお嬢さんになっている。エルムウッドにいたルーク兄さんの一家も家に帰っていた。一気にヴァインバード家が賑やかになった。
子供たちをマリィに任せて、俺は父さんと兄さんたちから母さんについての話を聞いた。家族の前だと皆何でもないような顔をしていたけど、ヴァインバードの男だけで集まった瞬間に、一気に皆疲れたような顔になった。
母さんはある日急に倒れて、その後目を覚ましてから少しずつ様子がおかしくなっていったそうだ。物忘れが激しくなり、食がとても細くなった。俺に知らせを出した頃にはベッドから起き上がることができず、それから着実にゆっくりと弱っているのだそうだ。
「医者の見立てだと、いつ死んでもおかしくない。もってあと数週間だそうだ」
父さんの声はとても暗かった。俺も覚悟を決めてきたとはいえ、その事実を突きつけられるとやはり言葉も出ない。
「母さんは、エリクがお気に入りだったからな。顔を出せば少し持ち直すかもしれないぞ」
ルーク兄さんが俺の肩に手を置く。その声には既に涙が混じっている。
「じゃあ、みんなで母さんのところに行こう。きっと喜ぶよ」
俺の提案で、まずヴァインバードの一族だけで母さんに会うことになった。母さんの病状はあまりいいものではなく、嫁さんや孫たちを一気に合わせても混乱するとのことだった。マリィや子供たちとは、母さんの調子がいい時に合わせようとのことだった。
「おや、誰だい?」
「母さん、エリクが帰ってきたんだよ」
アレックス兄さんの後について母さんの部屋に入った俺は、自分の目を疑った。俺の中のアマンダ母さんはもっとしゃんとしていた。ベッドに弱々しく横たわっているのは、きっと俺の母さんなんかじゃない。何かの冗談に違いないんだ。
そんな俺を否定するように、懐かしい母さんの声がする。
「まあまあ。お帰り、可愛いエリク」
母さんの中で、やっぱり俺は「可愛いエリク」だった。俺たちは久しぶりに家族水入らずの時間を過ごすことができた。相変わらず照れ屋の父さんに、張り切り屋の兄貴たち。そして引っ込み思案の俺と、そんな俺を心配する母さん。ああ、いつものヴァインバード家だ。
「ごめんなさい。私、どうしてもエリクにだけ伝えなきゃいけないことがあるの」
そう言って、母さんは俺以外のヴァインバード家の男たちを追い出した。一体何を聞かされるのかと俺はドキドキした。
「実はね、あなたを生む前に母さん夢を見たの。とても素敵な金髪の女神様が現れて、今から生まれてくる男の子をとても大事にしなさい、絶対幸せにするようにって言われたの」
金髪の女神、と聞いて俺は例のおっぱいが大きい女神様を思い出した。あいつ、母さんのところにも行っていたのか。
「私、今度も男の子なんだって思ったのと、女神様がわざわざ現れるような素敵な子に早く会いたかった。初めてあなたの顔を見たとき、なんて素敵なの! って思ったのよ。だからこの子を幸せにすることが私の役目だって、何度も自分に言い聞かせたわ」
母さんは優しく話を続ける。
「あなたが熱を出した時、あなたに不幸が降りかかったらどうしようって私はいつも怖くて仕方なかった。タウルス高原に行くと聞いたときも、そんな私の知らないところで生きていけるのか不安で仕方なかった。でも、今のあなたはとても幸せそうね」
俺は母さんの手を握った。
「母さん、女神様との約束が守れてよかったわ」
もっと、母さんの手を握っていればよかった。泣きながら何度も何度も母さんに「生んでくれてありがとう」と礼を言った。俺を、エリク・ヴァインバードとして生んでくれた母さんには礼を言っても言い尽くせない。
***
それから一週間後、母さんは多くの人に看取られてこの世を去った。俺はアマンダ・ヴァインバードの息子でよかったと心からそう思った。
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