第2話 俺が可哀想すぎて仕方ない
大地は不義の子として生まれた。大地を生んだ母親は「妊娠さえすれば認知してくれるだろう」と構えていたが、結局生まれた息子ともども父親に当たる男に捨てられた。それどころか彼の本妻から慰謝料も請求され、彼女は借金に追われる日々だった。
生まれた大地は様々な場所に預けられた。彼女の実家、親戚、乳児院。しかし、不倫の末の不祥事に加えて人付き合いが苦手だった大地の母親は様々な場所で結局つまはじきにされた。行政の力により昼の仕事に就いた時期もあったが、すぐに辞めて結局夜職に戻っていった。
大地は幼い頃から母親に似たのか、人付き合いを苦手としていた。それに加えて寂しい境遇が更に彼を人から遠ざけた。幼い頃から預けられていた保育所で保育士から「可愛くないわね」と言われたことをそのまま母親に報告してしまうような、本当に可愛げのない子供であった。友達もなく、周囲を見て一生懸命周りに合わせて動いているような幼少期を大地は過ごした。
それは小学校に上がっても変わらず、更に大地の服装についてよく級友からからかわれるようになった。リサイクル品でサイズが合うものを片っ端から買ってくるだけの服は常にどこかすり切れてボロボロであった。小学校の頃のあだ名は「ビンボー」「カゼ菌」であり、大地を受け入れるような場所はどこにもなかった。
それでも大地はしぶとく学校へは通い続けた。何故なら、学校で嘲笑されるほうが家にいるよりマシだったからだ。小学校の高学年くらいから、家には常に母親がいた。借金の返済は終わったが、その代わり精神を病んだ母は狭いアパートの一室で横になるばかりで、大地の面倒を見ている場合ではなかった。家に居て下手に母の機嫌を損ねることを大地は恐れた。まだ学校で笑われている方がマシだったし、勉強をしていれば一瞬でも現実の嫌なことを忘れることができた。
ひたむきな大地の態度に嘲笑は次第に小さくなり、中学に入る頃にはすっかりいじめられることはなくなっていた。その代わり、周囲の視線には常に哀れみが混じるようになった。大地はますます孤立し、親しく話せる友人はひとりもいなかった。
『風間さんところの息子さん、ちゃんと食べているのかしら』
『部活も出来ないで、お母さんの面倒見ているんですって』
ひそひそと聞こえてくる近所の人の声を大地は必死に聞き流した。他の子がスーパーでお菓子を買ってもらうのを見ないふりをして、少しでも安い惣菜はどれかと近所のスーパーを渡り歩いた。それを買って帰って、インスタントの味噌汁とご飯を横になっている母親に備える。それが大地に出来る精一杯の母親の世話だった。
そして、大地は部屋の隅で母親に見えないように安い菓子パンを食べて図書館で借りた本を読んで気を紛らわせた。少しでも大好きなお母さんが元気になるように、自分よりもいいものを食べてもらいたいと大地は思っていた。自分の境遇に疑問は持たなかった。
しばしば家にはケースワーカーと呼ばれる人がやってきた。生活保護を受け取っている大地の母親の具合の様子を見に来ているのだそうだ。そして数日入浴していない大地に入浴するよう促したり、足りない学用品の用立てをしてくれた。ゴミの分別も一緒にしてくれた。テレビのない家を不憫がられたのか、どこかから中古の小さいテレビを持ってきてくれたりもした。
大地はテレビに救われた。家にいる間はテレビを見ていれば寝ている母親の方を見ないで済んだ。そして、その日も母親に食事を与えてぼんやりテレビを見ていると、寝床から久しぶりに母親が起きてきた。
『この歌な、お母さん昔好きだったん』
『そうなんか』
そして母親は隣に座り、一緒にテレビを眺め始めた。それだけで、大地は今まで生きてきて良かったとしみじみ思った。大好きなお母さんと同じものを見ているだけで、大地は幸せだった。
それをきっかけに、少しずつ母親は寝床を離れる時間が増えた。『だいちゃんの母親らしくせんと』と言って、少しずつ部屋を片付けるようになった。そして、手料理を少しずつ振る舞うようになった。
『だいちゃんにはいっぱいご馳走してもらったから、今度はお母さんが作ってやらな面目が立たない』
母親は昔料理が得意だったと言って、たくさんのご馳走を作ってくれた。基本の卵料理に始まり、煮物や揚げ物など多彩な料理が食卓に並ぶようになった。
『お母さんすごい、コックさんみたいや』
『だいちゃんが言うなら、お母さんコックさんになろかな』
特に母親が気に入っていたのが、白身魚の香草焼きだった。安いタラに塩と酒で味をつけて、あり合わせのハーブをまぶして食べるのが大地は好きだった。スーパーの惣菜や弁当屋のメニューにはない、特別な家庭料理という感じがしていた。
こうして大地の母親は少しずつ社会復帰に向けて歩き出していたが、当の大地は社会へ放り出されようとしていた。中学の進路相談では「経済状況を考えても高校進学は無理」「せめて定時制や通信制の高校へ通えないか」などの話し合いがあったが、まだまだ調子を崩す母親の看病がどうしても必要だということから大地は高校進学を渋った。
そもそも学校というものに対して期待を一切していない大地は、これ以上学校に通う意義がわからなかった。そして大地は中学を卒業し、細々とアルバイトをして生活する道を選んだ。
新聞配達とスーパーの品出しと夜間の交通整理のアルバイトを掛け持ちして、大地は賢明に働いた。中卒で雇ってくれるところは他にないからと、大地は言われるままに仕事を続けた。家に帰ればまだまだ体調の悪い母親の相手をして、休みの日は一緒に病院に付き添った。役所に行って、一緒に母親の就労について相談もした。このままでは大地のアルバイト代は貯金出来ないと言われ、まずは母親の生活保護を抜けるところからと宣言されて大地は悩んだ。
この頃、それでもある程度社会に揉まれた大地にも夢がようやく出来た。空気のおいしいところで母親とのんびり暮らしたい。食べるものに困らないくらいお金を蓄えて、母親に何の心配もかけたくない。旅行代理店のパンフレットを眺めて、いつか母親を旅行に連れて行こうと大地は思っていた。
きっといつか、信じていれば夢は叶う。
そんな甘い言葉を信じて、大地は賢明に働いた。自分が母親を養うことができるくらいの収入をもらえれば、生活保護を抜けて貯金もできるかもしれない。毎日ふらふらになりながら、母親の世話もしつつ大地は働き続けた。
その日の朝、自転車で新聞を配り終えてふらふらになった大地は運転を誤って道路側に大きく転んでしまった。そこに運悪く、一台の乗用車が通りかかった。
もし、ふらふらにならずに健康な状態で自転車を運転していたら。
もし、新聞配達なんかしなくても暮らしていけるような状況だったら。
もし、誰かに遠慮なく頼ることができていたなら。
そんなことを考えても、全ては後の祭りだった。
こうして風間大地は十七年の生涯を閉じたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます