第9章 僕って俺だっけ?

第1話 マリィのご馳走は何でもおいしい

 僕がマリィと結婚して、半年くらいが経った。


 とにかく、マリィと結婚して僕の人生は華やいだものになった。朝起きればマリィがいる。夕食のときは必ずマリィが隣にいる。報告書を整理していてもマリィが手伝ってくれる。そして寝るときもマリィは一緒だ。


 もう僕の生活はマリィ一色だった。マリィを幸せにするためなら、僕は何だってやってやらなきゃいけない。まずは村の発展と長毛種の完成、それに加えて彼女を悲しませないことを僕はし続けなくてはいけない。独身の頃と違うのは、常に頭の隅にマリィを置いておかなければならなくなったことだった。マリィが好きだった頃もそうだったけど、夫と妻という関係はまた別の気の遣い方がある。


「ただいま、マリィ!」

「お帰りなさいませ、旦那様!」


 僕が道路建設や大会館関連の仕事を終えて家に帰ってくると、マリィが出迎えてくれる。そして、竈付きの小屋だからマリィは僕のための夕食を作ってくれる。マリィがひとりで作った、マリィのパンやスープが僕の活力だ。僕の体はもうマリィで出来ているんだ。


「今夜はお魚を焼いてみたんです、もう少しで用意が出来ますよ」

「魚!? 珍しいね」


 タウルス高原には目立った水場がない。井戸を掘れば水は手に入ったのだが、池や沼という場所に行くには馬車を使わないと行けない。そういうわけで、タウルス高原の開拓民はほとんど魚を食べない。肉類はほとんどバッファローの肉の塩漬けか、森の獣たちのものだ。


 しかし、最近は道路を作るためにいろんな人や物がやってくる。グリーンホロウでも珍しく魚の塩漬けを売っていたようで、それをカーラが買ってきたのだそうだ。


「父が森林監察官だったとき、よく兄と川に魚を釣りに行ったんです。それをその場で焼いて食べたんです。余った魚は持って帰って……」


 そこでマリィは一度言葉を句切って、寂しそうに笑った。


「……母に、料理してもらったんです」


 そうか。マリィのお母さんは随分前に亡くなっているんだ。ランドさんがタウルス高原の開拓事業に参加したのも、お母さんを亡くしたルディとマリィのためだったと聞いている。僕もマリィのお母さんに一度会ってみたかった。きっとマリィに似て、とても美しくて優しい方だったんだろうな。


「それじゃあ、冷めないうちに食べよう」


 僕は感傷的になっているマリィを食卓に招いて、一緒に食事を始める。


「この魚、ただの塩漬けじゃないんだね」

「塩を洗い落として、風味があるところに香草をたくさん使ってるんです」

「ふうん、変わった味だね……?」


 変わった味?

 いや、この魚の味、僕はどこかで食べたことがある……?


「この料理、僕は食べたことあったかな?」

「ないと思いますよ。この料理は、私の母がよく作っていたものなので」

「そうなのか……」


 いや、僕は絶対この味を知っている。

 喉元まで出てくるんだ、この味、この味は……。


「もしかしたら、母の料理も誰かから習ったものなのかもしれないですね」


 お母さん。


 その言葉がきっかけで、僕の記憶の扉が勢いよく開いた。


 お母さん、お母さんの味だ!


「どうしました!?」


 マリィの声で、僕は我に返る。


「いや、とてもおいしくてびっくりしてたんだよ」

「……そうですか?」


 マリィは変な顔をしている。僕は急いでテーブルの上の料理を全部腹に収めた。その間、マリィが僕に何か話しかけてきたけど、全然頭に入らなかった。とにかく魚の味について思い出したことが僕の中を駆け巡り、まるで僕は落ち着かなくなってしまった。


 ダメだ、ひとりでじっくり考える必要がある。


「ちょっとモルーカの様子を見てくるよ」

「風が出てくる前に帰ってきてくださいね」


 居ても立っても居られず、僕は外に飛び出した。タウルス高原のひんやりした空気があっという間に僕を包む。今日は星がよく瞬いている。きっと風は吹かないだろう。


 僕は真っ直ぐ長毛種用の牛舎へやってきた。人間たちはみんな自分の小屋に戻って、夕食をとって休んでいる。ここにいるのはモルーカと、バッファローたちだけだ。


「なあ、モルーカ」


 僕はランプをつけると、モルーカの前に座り込んだ。


「お前はヴァインバード牛だし、バッファローだよな。思い出したよ、バッファロー。でもお前たちの本当の名前はバッファローじゃない。アメリカバイソンだ」


 モルーカは僕のことを見ている。不思議そうな、透き通った表情だ。


「この世界は異世界だけど、知っている限り魔法とか剣とか精霊とかそういうのはなくて、物理法則はなんら変わらないんだ。俺たちが住んでいた、あの世界の日本という国とは随分違うけれどな」


 ああ、思い出した。思い出したんだよモルーカ。

 俺が何者なのか、どうしてこの世界に投げ込まれるほど女神に哀れまれたのか。


 出来れば思い出したくなかった。

 でも思い出しちまったものは仕方ない。


「モルーカ。君だけに教えてあげる。僕はエリク・ヴァインバード、それは間違いない。でも、エリクになるずっとずっと昔の名前があるんだ」


 モルーカは澄んだ瞳をこちらに向けている。


「俺の名前は、カザマ・ダイチだ」


 ああ、これは前世の記憶って奴だ。畜生、こんなの思い出したくなかったな。

 俺は悔しくて涙を流した。こんな姿、マリィにも誰にも見せられない。

 

 思い出せば出すほど、後から涙が溢れて仕方がない。

 俺はなんて馬鹿だったんだ、なんで俺は死んじまったんだ。

 俺は、前世の俺は一体何をやっていたんだろう。

 

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