第3話 涙が溢れて仕方がない
俺はモルーカの前で、延々と涙を流していた。
今ならどうして、前世の記憶がなかったのかなんとなくわかる。こんなの、覚えていたって仕方がないじゃないか。あんな惨めで、可哀想な日々。忘れていて正解だったんだ。俺はもうエリク・ヴァインバードであって、風間大地じゃない。
お母さん。
お母さんに会いたくて仕方がない。
アマンダ・ヴァインバードじゃない。
前の世界に残してきた、俺のたったひとりの大切なひと。
どうして俺は周囲の助けを突っぱねてしまったんだろう。
どうして俺はひとりでも生きていけるなんて思ってしまったんだろう。
思えば、俺のお母さんも俺も生き方が不器用すぎた。プライドも何も関係なく、誰かの世話になればよかったのに。どんなに嫌な目にあっても、生きてさえいれば絶対何とかなるのに。でも、それは俺がこうやってエリク・ヴァインバードの人生を歩んできたから言える話だ。風間大地の頃に言ったって、絶対聞き入れやしなかった。
悔しくて、悔しくてたまらなかった。
どうして俺が死ななければいけなかったんだ。俺がいなくなって、残されたお母さんはどうやって生活していったんだ。俺を生んで、俺を何とか幸せにしようとして空回ってたお母さん。俺を不幸にしたって、泣きわめいて手首を切ったお母さん。仕事でお酒を飲んで、ずっと寝ていたお母さん。まだ未成年の俺に連れられて、病院でわあわあ泣いていたお母さん。
そんなお母さんでも、俺はお母さんが大好きだった。
お母さんのために、生きていたいって思ってたはずなんだ。
俺の馬鹿野郎。どうして死んじまったんだ。
死んじまったら、もうお母さんには会えないっていうのに。
なあモルーカ。どうして人は死んじまうんだろうな。どうして大好きな人と、ずっとずっと一緒に暮らせないんだろうな。この世界に生まれて、俺はいろんな人に会ってきた。
俺の家族のヴァインバード家の面々。お母さんを早くに亡くしてしまったフロンティア家。生まれたばかりの赤ん坊が死んでしまったカーペンター家。ソルテア族ということで迫害を受けたことのあるゼルタス家。
詳しい事情は教えてくれないけど、他の開拓団員たちにも何かしらの事情があるに違いない。かつて俺が母親以外に心を開かなかったように、俺に心を開いていない開拓団員だっているはずだ。
モルーカが俺に向かって鼻を鳴らす。
「何、風が吹いてくるって? 今日はまだ大丈夫だよ」
俺はモルーカのふかふかした毛皮を撫でた。優しくて、温かくて、いつも俺のことを見てくれる澄んだ瞳が俺は好きだ。モルーカは俺に鼻をこすりつけてくる。これは俺を信頼しているって印らしい。
「思い出したんだ、昔のこと。そして俺がどうしてタウルス高原なんかに放り込まれたのかってこと」
バッファローを召喚できるスキルを使えるようにするために、転生の女神とやらは俺をここの開拓団の監督にするよう仕向けたんだ。
「ごめんな、こんなスキルいらないなんて思って、本当にごめんな」
この高原は、前世の俺の理想郷だ。誰もが助け合い、困難に立ち向かって暮らしている。ひとりぼっちで困る人はいない。みんなで支え合って生きている。
俺はたまらなくなって、モルーカの前で大声で泣いた。俺の中のエリク・ヴァインバードが俺の中の風間大地をしっかりと抱きしめている。お前はもうひとりじゃない。家族も、友達も仲間も牛もたくさんいるんだ。
俺は泣いて泣いて泣きまくった。こんなに泣いたのはいつ以来だろう。泣いても泣いても涙は止まらなかった。二十年間、溜まりに溜まった風間大地の涙が一気に溢れてきたようだった。そんな俺を、モルーカは優しく見つめ続けてくれた。ああ、やっぱりモルーカは最高の牛だ。俺はお前を一生愛するって誓うよ。
さあさあと弱い風が高原を駆け抜けていく音が響き、これから風が吹く気配が辺りに漂った。間もなく大嵐がやってくる。俺は涙を拭いて、モルーカに頬ずりをする。
「また来るからな」
俺がランプを消すと、モルーカが一度鳴いた。もう一度モルーカを撫でてから俺は牛舎を出て、扉をしっかり閉めた。これで大風が吹いても大丈夫だ。
小屋へ帰る道を急ぎながら、俺はエリク・ヴァインバードとして考える。
「俺は、俺は何をやってるんだ……?」
歩いていると、次々といろんなことが頭をよぎる。
俺が死んで、お母さんは何を思ったんだろうか。
俺という金食い虫がいなくなって、また生活保護で暮らせるって思ったんだろうか。
それとも、やっぱり母親っていうのは子供が死ぬと悲しいんだろうか。
悲しいに決まってる。俺はどうしてお母さんを疑う必要があるんだろう。
俺は馬鹿だ。
いつだって自分のことばっかり。遠慮をしているわけじゃない。ただ、他人が怖かったから流されるままに生きてきただけだ。前世も、まだ今のエリクになっても俺は甘ったれのお坊ちゃんなんだ。
「俺だって、みんなを幸せにしないといけないんだ」
俺は決意を新たに、俺の家族のマリィの待つ小屋に戻った。
もう俺は、ひとりじゃないんだ。
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