第2話 彼女とふたりっきり、かあ
僕とマリベルの祝言はその日の夜遅くまで続いた。大会館に集まった開拓団員たちは飲んで歌って、大いに騒いだ。
「それじゃあ、僕たちは小屋に戻ろうかな」
僕はマリベルの手を取り、ミネルバにも声をかけた。
「私は久しぶりに奥様にお会いしたので、今夜は夜通しこちらにいる予定ですよ」
ミネルバはいつものように済ました声で応える。母が何か言おうとしたが、その前に兄さんたちが割って入る。
「そうだよ、僕らも久しぶりにミネルバと話がしたいんだ」
「懐かしいな、もっと開拓団の話を聞きたいと思っていたよ」
不自然に示し合わせたような台詞に、母だけがきょとんとしている。
「それではおやすみなさいませ、エリク様」
ミネルバにきっぱり言い切られて、途端に気まずくなった僕はマリベルの手を引いて大会館を後にする。夜霧で湿った草の上を歩いて、マリベルを僕の小屋の前まで連れてきた。
「……いいんだよな?」
「何がですか?」
月明かりの下で見る花嫁衣装のマリベルは、身震いがするほど美しかった。今日から僕は、この子とふたりでずっと一緒にいられるんだ。
……だけど、いまいち実感がわかないな。
「エリク様、風が吹いてきましたよ。早く入りましょう」
「わかってる」
僕はマリベルを連れて小屋に入り、雨戸を全て閉めた。真っ暗な小屋の中で明かりをつけると、マリベルが女神様のように幻想的に浮かび上がる。
「今日は疲れたね」
「ええ」
僕が寝台に座ると、マリベルも僕の横に座る。
「ねえ」「あの」
重なった声に僕は気まずくなって口を閉ざす。それはマリベルも同じだったようで、僕らは互いに顔を反らす。少しだけ沈黙が訪れて、この空気に耐えられなくなった僕が先に口を開いた。
「ねえ、いつから僕のことが好きだったの?」
「初めてお会いした時から」
「初めてって、本当に初めて会ったとき?」
「そうです。貴方がタウルス高原にやってきたあの日です」
マリベルは続ける。何だか少し、よそよそしい気がするのは僕の気のせいだろうか。
「ヴァインバード家から監督が来る、と聞いていて私はどんな人が来るのかワクワクして待っていたんですよ。うちの兄はその時何だか気に入らなかったみたいなんですけど……」
それは覚えている。あのときルディは異様にツンツンしていたっけ。
「私、小屋から出て初めて貴方を見たとき、こんなに素敵な人がいるんだって感動したんです。だから大会館までの道案内をさせてもらったんですよ」
「……そうだったんだ」
僕はその頃からマリベルに気に入られていたんだな。全然わからなかった。ああ、僕はなんて鈍感野郎なんだ! 自分が許せなくなってきた!
「私からもよろしいですか?」
僕が頷くと、マリベルは続ける。
「私のこと、今日からちゃんとマリィと呼んでくださいね」
「それは、君が僕のことをずっと様付けで呼ぶから……」
「だって、好きな人のことを呼び捨てにするなんて、私にはできないんですもの」
そうだったんだ。本当に僕は何にも気がついていなかったんだなあ……。
「でも、今日からこうして夫婦になったんですもの。様付けはおしまいにしますね」
僕はマリベルの言葉にほっとした。
「今日からは、旦那様ですよ」
前言撤回。全然ほっとしない。むしろすごくドキドキしてくる。
「ねえ、旦那様?」
「……なんだい、マリィ」
外の風の音が大きくなった気がする。いよいよ強風がやってくるに違いない。僕はタウルス高原の強風を初めて経験するヴァインバードの家族を思い出して、すぐにそいつらを心の中から吹き飛ばす。
「風、強くなってきましたね」
「いつものことじゃないか」
そう言って僕はランプに手を伸ばして、明かりを消す。真っ暗になった小屋の中で、僕はマリィの体温をじっくりその手に感じた。
「いいんだよね?」
「ええ、ずっと待っていたんですよ」
風の音が僕の胸の音をかき消した。きっとマリィの胸の音も大きく響いているに違いない。でも今の僕らは、風の音しか聞こえない。
荒れ狂う強風に怯えるように、マリィは僕にしがみついてくる。僕はそれに応えるように、マリィをキツく抱きしめる。どれだけ強い風が吹いたって、僕は決してこの子を離さない。離してたまるものか。僕のマリィ、愛しいマリィ!
どのくらいマリィを抱いていただろうか。
風の音が聞こえなくなって、僕は自分自身がすっかり怖くなっていた。こんなに幸せなことってあるものか。僕の腕の中に、夢にまで見たマリィがいる。あったかくて、すべすべした本物のマリィだ。
「どうかなさいましたか?」
「いや、夢じゃないよなって思って」
するとマリィはクスリと笑った。
「奇遇ですね、私も同じことを考えていました」
「それじゃあ、僕ら今心が通じ合ってるね」
「ええ」
ああ、よかった。僕は今とても幸せで、彼女もとても幸せみたいだ。雨戸を開けると、きらきらした日の光が小屋に射し込んできた。タウルス高原の新鮮な朝の空気が流れ込んできて、僕らの間を通り過ぎていく。
「これからもよろしくな、マリィ」
「ええ、旦那様」
僕はもう一度マリィの白い肌に触れる。確かにマリィはそこにいた。うん、これはやっぱり夢でないんだなあ。マリィは僕のお嫁さんになったんだ。そして僕は、マリィのお婿さんだ。もう可愛いエリクなんかじゃないぞ。これで僕だって、一人前の男だ。
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